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没落騎士レヴィンとタヌキ

 夜警隊隊長を無理矢理押しつけられたレヴィンは、鎧を着られない体になっていた。

 鎧を着ると閉じ込められたあのときを思い出し、恐怖のあまり動けなくなるのだ。

 ありもしない声が聞こえ、ありもしないものが見える。

 心臓は高鳴り、呼吸も荒くなる。

 要するにレヴィンは閉所恐怖症になってしまったのだ。

 とはいえ、正々堂々の勝負でレヴィンが完膚なきまでに叩きつぶされたのは事実だ。

 正義や大義名分もアッシュにあったのもこれまた事実だ。

 他の連中は二階から捨てられ再起不能になったが、レヴィンは情けをかけられた。

 それをレヴィンは自分が騎士として認められたのだと勝手に解釈していた。

 しかも肺病の治療までされたのだ。

 具体的にはそれは美しい女性に、肺に直接手を差し込まれたところまでは憶えているのだが、すぐに気絶してしまったのでよく憶えていない。

 なにかとてつもなく恐ろしい目にあった気がするが、おそらく帝都の最新の治療なのだろう。

 つまり、レヴィンにはアッシュの命令を聞く理由こそ無数にあるが、断る理由はあまりにも少ない。

 レヴィンにはアッシュに忠誠を誓う以外の選択肢などなかった。

 そんなレヴィンは閉所恐怖症以外の大きな問題を抱えていた。


(今日もいる……)


 蜘蛛やカラスが歩いている。

 蜘蛛は設計図らしき図面が描かれた羊皮紙をカラスに渡す。

 カラスはギャギャアと鳴くと器用に工具を持って何かを作り出す。

 広場では巨大なタヌキが酒盛りをしながら踊っている。

 しかも歌も踊りも上手い。

 この異常事態に関して、もはや誰も何も言わない。

 夜中に出歩く人も減った。

 不審な人物や、犯罪をする人間だらけのスラムではあるが、そもそも人間の姿をしてないものが出歩いていることは少ない。

 いや、今まではなかった。

 スラム街の人々は口々に言った。


「悪の帝王、アッシュの仕業ではないだろうか」と。


 だいたいあってる。

 そもそも蜘蛛もカラスもスラム街のインフラの整備をしていた。

 人間の建築業者はスラムには入ってくれないし、新大陸から連れてくるのも帝都の気候にあった建築ができるのかが問題だった。

 それにデザインもノーマン様式のため、余計なトラブルが起きる可能性があった。

 それならクリスタルレイクでの豊富な建築経験を持つ悪魔に頼む方がマシだったのだ。

 なにせ怪物の目撃情報があっても、スラム街に公的な調査が入ることはまずない。

 せいぜいがアカデミーの変人学者が面白半分に調査に来る程度である。

 だがそのアカデミーもアッシュ一味である。

 なにせアッシュはロメロの弟子で、農学者の一人である。

 学者の組合の一員なのだ。

 こうして知らないうちに強力な人脈を築いたのだが、アッシュはまだそれを自覚してなかった。

 レヴィンはため息をつくと街を歩く。

 なにせ怪物はそこに存在するが、被害の報告は一件もない。

 レヴィンとしてはあれは伝説にある悪魔じゃないかという気がしているが、害はないので放って置くしかない。

 なにせ本能がささやくのだ。絶対に勝てないと。

 レヴィンは目を合わせないようにして歩こうとする。

 だがいつのまにかタヌキに囲まれた。

 タヌキたちはレヴィンに酒瓶と杯を突き出す。

 飲めと言うことらしい。


「か、かたじけない……」


 レヴィンが杯を受け取るとタヌキたちは背中を叩きながら酒を注ぐ。

 妙なものかと思いきや葡萄酒だった。

 レヴィンは覚悟を決め、ぐいっと飲み干す。


「ぬ!」


 レヴィンの目が、「カッ!」と開いた。

 なんたる美味。

 まだ若くコクのない酒だが、芳醇な香りが口の中に広がる。

 それは未来を感じさせる酒だった。


「こ、これは、どこに手に入れた!」


 レヴィンが言うとタヌキの一匹が「シュタッ!」と手を挙げた。

 どうやら自家製のようだ。


「な、なんと! 熟成させれば全財産はたいても買うものがいるぞ」


 タヌキの尻尾の毛が逆立った。

 その発想はなかったらしい。

 タヌキたちは円陣を組んで相談をする。

 するとまたもやレヴィンを囲む。

 涙目でフルフルと首を振る。

 言葉のやりとりはなかったがレヴィンは何を言わんとしているかがわかった。

 熟成の期間が待てないらしい。待てなくて飲んでしまうのだ。


「ふ、ふむ。誰か飲まないものに預けてはどうだろうか?」


 タヌキたちは「がびーん!」という顔をした。

 その発想は全くなかったらしい。

 すぐに大きな蜘蛛の化け物がやって来る。

 どうやら友だちらしい。

 人外にも人間関係というのがあるのだなとレヴィンは思った。


「きゅううん。きゅう」


 タヌキたちが鳴きながら大きな樽を蜘蛛に渡す。

 蜘蛛は樽を背中に乗せる。


「へもへも。へもへも」


 蜘蛛は任せておけと言ったようだ。

 絵面的にはレヴィンは今夜のディナーの立ち位置なのだが、化け物たちはレヴィンに危害を加えようという意思はない。

 なにせ酒の方に意識を集中していた。

 背中に樽を乗せた蜘蛛が去って行く。

 タヌキたちは蜘蛛に手を振って見送った。

 あくまでその絵はバッドエンド一直線のおとぎ話のようだった。

 レヴィンはすでに考えるのを止めていた。

 騎士団での教えや訓練は役に立たないだろう。

 あとは獣の本能を信じるしかない。

 レヴィンの本能は告げていた。

 化け物たちとの間には、恐ろしいほどの実力差がある。

 だが相手に敵意はない。

 そして化け物たちは例外なく高い知性を持っている。

 敵対さえしなければ、危険はないはずだ。

 恐怖を抑え込もうと必死なレヴィンにタヌキが振り向く。

 そして何かをレヴィンに差し出す。

 レヴィンはその何かを恐る恐る受け取る。

 それは宝石だった。


「い、いや、これは頂けない」


 レヴィンは落ちぶれた言えども騎士。

 金には潔癖だった。

 タヌキたちレヴィンの反応には困ったらしく、再び円陣を組んで審議する。

 しばらくするとタヌキたちは、酒瓶を差し出した。

 中には先ほどの酒が並々と入っていた。


「か、かたじけない!」


 レヴィンは笑顔で受け取った。

 これを断る理由はない。

 まだ値段のついていないものだ。

 気持ちとも言える。

 断るのは無礼だろう。


「では拙者はこれで」


 レヴィンにタヌキたちは手を振った。

 話の内容自体はおとぎ話のようである。

 これが本当におとぎ話だったら、欲を捨てたレヴィンはなにか大きな宝を手に入れることだろう。

 だがレヴィンは満足だった。

 レヴィンは酒瓶の重さを確認する。

 一人で飲みきれる量ではなかったので、誰かに持っていこうと思った。

 スラム街の住民ではもったいない。

 決してスラムの人間をバカにしているわけではないが、酒の味がわかる人間と飲みたい気分だったのだ。

 レヴィンは平民の住む区画を目指す。

 すでに外は本当なら門が閉っている時間だった。

 だが抜け道はいくらでもある。

 レヴィンは抜け道を通り平民街に入った。

 そこの一軒の酒場に入る。

 酒場に入るとカウンター席に腰掛け、酒場の店主に言った。


「久しぶりだな。ジャスパー」


 ジャスパーと呼ばれた、豪快にヒゲを生やした男はレヴィンを見つけると、これまた豪快に笑った。


「おう、旦那生きてたんですかい」


 酷い言い草だが、レヴィンは笑う。

 そして酒瓶をドンと置いた。


「なにも聞かずにこれを飲んでくれ」


「なんですかいこれ?」


「あー、ああ、最近知己になったものの作った酒だ」


 さすがに悪魔に貰ったとは言えない。

 ジャスパーは妙な顔をした。

 素人の作った酒かとがっかりしたようだ。

 だがレヴィンの手前、飲まなければならない。

 嫌そうな顔で酒の匂いを嗅ぐ。

 ジャスパーの目が千切れそうなほど開いた。

 すぐに手が届く範囲にあった小皿を取り出すと、少量の酒をそそぐ。

 そして再び匂いを嗅ぐ。

 次に酒を口に含む。

 しばらくテイスティングをする。

 そして絞り出すように言った。


「旦那、なんていうものを手に入れやがったんですかい」


「だろうな。晩餐会のお零れより上等なものになるだろうと思う」


「これは俺の手には余る。もっと味のわかるやつを呼んで来ますわ」


 そう言うとジャスパーは、従業員を使いに出す。

 さて、呼ばれたのは商人が接待用に使う少し高級な料理店の関係者。

 最初は嫌な顔をしていたものの、酒を味見すると顔色が変わった。


「オーナーを呼んで来ます」


 そして来たオーナーも顔色を変え、さらに偉い人を呼ぶ。

 こうして酒がなくなる頃には、この謎の酒の噂は高級店にまで伝わったのだ。

 当然のようにレヴィンは質問攻めにあう。


「こ、コイツをどうやって手に入れたんですか?」


「知己のものが作っている試作品だ。手伝いをしたからお裾分けでもらったものだ。これを世に出さないのは惜しいと思ってな。持ち込んだ次第だ」


「い、いくらでも払います。その職人に紹介してください」


 少し面白くなさそうな顔をレヴィンはした。

 金の問題ではない。

 だが相手も必死なのはわかる。


「報酬はいらぬ。今回はそれがしの一存で持ってきたのだ。次に会ったら話をしておこう。ではそれがしはこれで」


 レヴィンは去って行った。

 実は想定したより大事になったので逃げたというのもある。

 レヴィンのその背中を商人たちは熱い視線で見守っていた。

 帝都に謎の職人の都市伝説が生まれた。

 だが酒を造ったタヌキたちも、まだ騒ぎを知らなかった。

 こうしてアッシュもアイリーンも管理できないところで、帝都はだんだんとクリスタルレイクに感染していくのであった。

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