悪の帝王 6
フランコはスラム街を牛耳る顔役の一人である。
表向きは金貸しを営んでいる。
だがその実体は人身売買を生業としている。
金で買うこともあるし、誘拐もする。
夜警すらいないスラム街ではよくあることだった。
特に子どもの売買にかけてはクルーガー帝国一であると、軽蔑をこめて言われている。
フランコは手に入れた子どもを鉱山などに売却する。
子どもは体が小さくて小回りが利くので、危険な作業をさせるのに都合が良いのだ。
平均余命は二年。たいていは事故か栄養失調で死ぬ。だが問題にはならない。
出生率も死亡率も高いクルーガー帝国では、子どもの命の価値は低い。
ましてやスラム街の子どもならなおさらだ。
だからフランコのような外道が見過ごされてきた。
フランコも慎重だった。
ありとあらゆる悪行はスラム街の中でのみ行われた。
スラム街から一歩出れば帝都の民は誰もフランコの悪行を知らない。
子どもの誘拐なんて物語の中にしかないのだ。
人身売買を元手にして、麻薬、金が金を生み、フランコの元には屈強なワルが集まった。
まさにやりたい放題。
フランコはまさにスラム街の王だった。
……もちろんそんな事をアッシュは知らない。
例えば、今アッシュの前に立ちはだかった日焼けした浅黒い肌の大男。
大斧のズゥ。
得意の大斧で14人を殺害。
指名手配中の凶悪犯罪者なのだが、そんなことはアッシュには関係なかった。
アッシュはズゥが振り上げた斧を殴りつける。
斧がポッキリと割れたと同時にアッシュのビンタというには威力が大きすぎる張り手がズゥの顔面に炸裂する。
ズゥは床をバウンドしながら壁を突き抜けて、外の井戸の中に落ちた。
バシャンと水の弾ける音がする。
もちろん蜘蛛が回収する。
アッシュが階段に辿り着くと、階上からガシャリガシャリと音がする。
全身を板金鎧に包んだ男がハルバードを振り回していた。
男の通り名は没落騎士のレヴィン。
その名の通り、没落騎士で用心棒をしている。
結核を患っており、もはや残りの命数は少ない。
レヴィンにとってはそれは最後の戦場だった。
人生の最後に強大な敵と戦うことを望んでいたのだ。
レヴィンは歓喜した。
殴り込んできた男は大物中の大物だ。
その立ち姿、無駄のない筋肉、足の重心。
それだけで強敵であると見抜いたのだ。
だがそれもアッシュには関係ない。
アッシュは、甲冑潰しと恐れられた秘技を解禁するつもりだった。
「うおおおおおおおッ!」
レヴィンがハルバードを横なぎする。
ハルバードはアッシュの腹を引き裂くはずだった。
だがレヴィンが見たものは想像を絶していた。
アッシュの踏み込みは雷のようだった。
一瞬で間合いを詰めた。
ハルバードは空を切る。
それと同時にレヴィンの兜、その視界が黒く染まった。
兜をつかまれていることに気づいたのは、そのまま持ち上げられてからだ。
兜からミシミシと音がした。
突如としてバコンという音と共に兜が縮んだ。
いや、握りつぶされた。
兜はひしゃげ顔と同じ大きさになる。
空気穴は塞がり、視界も暗黒に包まれた。
呼吸もほとんどできない。
「空気穴だけはあけてやろう」
そう言うとアッシュは兜の脳天の部分に指をズブリと突き刺す。
レヴィンはピクリとも動かなかった。
いや恐怖で動けなかった。
圧倒的すぎる。
これは人間どうしの戦いではない。
噂に聞く悪魔……いや悪魔でもこんな理不尽な戦いにはならないだろう。
フランコは喧嘩を売る相手を間違えた。
もう終わりだ。
この区域は終わりなのだ。
呼吸と視界を制限されたレヴィンはいつの間にか涙を流していた。
叫んでもいた。だがそのどれもがどこか遠くで起こった出来事のような気がしていた。
レヴィンは叫び、泣き、そして壊れた。
これがアッシュの甲冑潰しである。
フルアーマーの騎士を精神的に潰す技なのだ。
そんなアッシュを見た人々は恐怖におののいた。
「おい見たか……騎士があの有様だぜ……」
「子どもみたいに泣いてるよあの人」
「ありえねえ……人間のやることじゃねえよ……」
その恐怖の言葉もアッシュには関係なかった。
とりあえずフランコを殴りに来たのだ。
二階に着くと待ち伏せていたごろつきが襲いかかる。
アッシュはごろつきの一人をつかまえると、ぽいっと木戸から放り捨てる。
そのえげつない攻撃に見ていた連中の方がびくっとする。
もちろん他のごろつきたちも怖じ気づいて足が止まる。
「ねえよ……」
「ひでえ……」
「まじかよ……」
などとつぶやいてもいた。
アッシュも普通に戦っていればこんな事は言われなかった。
変に気をまわして非殺傷性だが人間の尊厳完全無視の攻撃に切り替えたのがよくなかった。
俳優としての経験が浅いせいか、その心理的効果まで考えが及ばなかったのだ。
ごろつきたちがゴクリとつばを飲み込んだ。
もう無理だ。負ける気しかしねえ。
全員が同じ事を思った。
「お、おう、投降するぞ……」
「そうだな」
「そうしよう……」
などと言いながらアッシュに降参……させなかった。
アッシュは一人をつかまえるともう一人に投げた。
人間手裏剣である。
さらにもう一人をつかまえると外に放り投げた。
「……ひ、ひでえ!」
そこにいた誰もがアッシュではなく、フランコ側のごろつきに感情移入していた。
カルロスですらやりすぎだと思っていた。
アッシュはゆらりと進んで行く。
フランコの部屋を見つけると、アッシュはドアを蹴飛ばして壊した。
中には誰もいない。
だがアッシュはどこにいるかわかっていた。
部屋に置いてある机を片手で持ち上げると天井に叩きつける。
バカンという机が天井にぶつかる音がしたかと思うと、ミシミシと天井が嫌な音を立てた。
ガラガラと天井が崩れ、建物の破片に混じって人間が落ちてくる。
固太りの男だった。
「て、テメエ! 俺を誰だと思ってやがる! フランコ様だぞ!」
ここまでやられて、まだ脅迫しようというのだから根性は座っている。
だがアッシュにはそんなものは効かない。
「コイツはどんな悪いことをしたんだっけ?」
アッシュはカルロスに聞いた。
カルロスはアッシュに説明するのではなく、住民たちに説明するのだと理解し大声で言った。
「子どもをさらっては売り飛ばしてたらしいですよ!」
「そうか」
アッシュは静かにそう言うと、フランコの胸倉を掴んで持ち上げる。
フランコは足をばたつかせて抵抗した。
「お、おめえ、な、なにを」
息の詰まったフランコが何かを言うが、それを無視してアッシュは言った。
「子どもを買い戻せ」
フランコは答える。
「ふざけ……」
アッシュはフランコの後頭部を壁にぶつける
フランコの目に火花が散った。
「もう一度言う。買い戻せ」
「ふざ、ぎゃぶッ!」
今度は強くぶつける。
「買い戻せ」
アッシュは顔を近づけていった。
フランコはこくんとうなずいた。
カルロスは額を抑え、住民たちは青い顔をしていた。
アッシュは明るい声で言った。
「一件落着」
そして無意識にぽいっとフランコを投げ捨てる。二階から下に。
悲鳴もあげられずにフランコは消えていった。
その悪党の哀れな末路が決定打だった。
「ということで暴力はダメだぞ♪」
アッシュは明るく言った。
誰もアッシュに逆らおうなんて考えるものはいなかった。
新しい顔役は子どもをいじめる大人には容赦しない。
という意味に取ったのだ。
スラム街の人々は理解した。
世の中には絶対に怒らせてはならない人間がいるのだと。
この日を境にスラム街の治安は劇的に改善したのだった。
そして人々は噂した、悪の帝王がスラム街に降臨したのだと。
……ちなみに没落騎士レヴィンは蜘蛛たちとカルロスによって治療を受け、夜警として元気に働いているそうである。




