悪の帝王 3
授業が始まった。
とは言ってもしばらくは数日に一回、午前中だけの簡単なものである。
最初は椅子に座ることを教えることが重要なのだ。
それにもっと大事なことがある。
その時、ブラックコングによる計算の授業が行われていた。
いつも忙しいのに暇を見つけるとボランティアに励んでいるのだ。
そんな中におずおずと男の子が入ってくる。
遅刻だ。
普通の学校なら怒られているだろう。
だがブラックコングは怒らない。
男の子の方に行くとしゃがんで目線を合わせる。
男の子は下を向いていた。
「えらいなあ。来てくれたか」
ブラックコングは笑顔を見せた。
男の子は顔を上げる。
男の子の顔は腫れていた。
ブラックコングは表情を変えなかった。
男の子は目を合わせずに言った。
「転んじゃって」
それでもブラックコングは笑顔のままだった。
全く動じない。
「そうか。じゃあ手当てしねえとな」
男の子はビクッとした。
だがブラックコングは大げさな反応はしなかった。
「みんな悪い。ちょっと瑠衣先生のところに連れて行くから自習しててくれ」
この学校では、まだ自習とは「遊んでていいよ」というのと同じだ。
子どもたちは大喜びする。
クラスメイトの腫れた顔を見ても誰もなにも言わない。
どの子の家庭環境も似たようなものなのだ。
ブラックコングは保健室まで男の子を連れて行く。
ドアを開けると一瞬違和感がある。
おそらくショートカットなのだろうが、悪魔の技術を聞いてもブラックコングには理解ができない。
明らかに元の保健室の倍くらいある部屋には、魔道士が使うような道具が並んでいる。
窓の外から見える空が妙に赤いのは、きっと気にしたら負けに違いない。
部屋の中には瑠衣がいた。優雅にお茶を飲んでいる。
ブラックコングに気づいた瑠衣は微笑む。
「あら、どうされました?」
ブラックコングは動じずに冷静に言った。
この男の胆力は相当なものである。
子どもの方は暗い顔をしたままだった。
違和感に気づかなかったのは逆に良かったかもしれない。
「こいつが怪我したみたいでよ。悪いが見てくれねえか」
ブラックコングは瑠衣にもいつもの態度である。
瑠衣の方もブラックコングの態度は気にしない。からかいもしない。
方や、子育てお化け。
方や、子育て聖人。
どうやらお互いに認め合っているようだった。
瑠衣は子どもの顔を見る。
「あら、これはひどい」
そう言うと瑠衣はパチンと指を鳴らす。
すると悪魔騎士の一人、ゲイツが突然現れた。
「すいませんがカルロス様を呼んできてもらえますか?」
「かしこまりました」
ゲイツが消える。
子どももブラックコングもなにも言わない。
そう言うものだとありのまま受け入れていた。
「それで……だ。なんでカルロスの兄ちゃんを呼んで来るんだ?」
ブラックコングが聞いた。
「カルロス様は、本山の薬草のレシピと材料をお持ちですから」
「魔法で治せないのかい?」
「小さい子だと体力の消耗や副作用が怖いのです。今回は薬草の方がいいでしょう。でも……」
瑠衣は子どもの顔に手を当てる。
「痛みだけは取っておきましょう」
魔法で痛みを取るとカルロスがやって来る。
「子どもが怪我をしたんですって!」
走ってきたのかカルロスは息が切れている。
「ええ、診てくださりませんか」
カルロスは顔を見る。
「これどう見ても殴られ……んご」
瑠衣はカルロスの口を塞ぐ。
「転んだんです」
瑠衣は口調こそ軽かったが、その目はそれは恐ろしいものだった。
カルロスはコクコクとうなずいた。
瑠衣はカルロスの口から手を離す。
ついでに逃げ出さないように糸を付けた。
瑠衣はカルロスの扱い方に慣れたようだ。
カルロスは苦笑いしながら湿布を作る。
まずはカバンから数種類の薬草を取り出す。
そしてローラーのついた手動粉砕機、いわゆる薬研で薬草を砕く。
なれた手つきで薬草を砕くと、砕いた薬草を乳鉢に入れ、そこに泥を入れてかき混ぜる。
布にできた薬を塗る。湿布の完成である。
湿布を作ると子どもの顔に貼る。
「ついでに炎症止めも作るぞ。瑠衣さんお湯はありますか?」
「ええ」
瑠衣がどこからともなく水の入った鍋を出すと、カルロスはカバンから別の薬草と布の袋を取り出す。
薬草は乾燥していた。
カルロスは手で乾燥した薬草を砕くと布袋に入れる。
「瑠衣さん。これを煮てください」
「はい♪」
瑠衣は実験用と思わしきかまどの前に立つと、手を叩く。
するとかまどから火が上がり、鍋を温める。
薬草の入った袋をぐつぐつと煮込んでいく。
薬湯を作っているのだ。
ブラックコングは手際の良さに感心していた。
「すげえもんだな」
「これは修行僧時代に教わったものですけどね」
カルロスは苦笑いする。
しばらくして薬湯ができると、冷ましてから男の子に飲ませる。
「苦ぁい……」
男の子には不評だったが、なんとか飲ませる。
男の子が薬を飲むとブラックコングは言った。
「悪いな。瑠衣先生にお礼をするから先に教室に戻ってもらっていいか」
男の子はこくんとうなずくと、保健室を出て行く。
ドアが閉まるとカルロスは言った。
「いいんですか?」
「んなわけねえだろ!」
ブラックコングが怒鳴る。
「ですね。殴った人にはお仕置きが必要ですね」
瑠衣も怒っている。
「じゃあどうするんですか?」
カルロスは不満げである。
「お前な……他のガキどもも大半が同じ環境だ」
ブラックコングが言った。
カルロスはため息をつく。
「いやそうなんですけど」
カルロスもあまり良い環境で育っていないため、その辺りはよくわかっていた。
「まあカルロス。少し待てって、これから掃除をするからな!」
ブラックコングは口角を上げた。
瑠衣も微笑んでいる。目だけは怖いままで。
カルロスは嫌な予感がした。
ここにいる連中は、子どものためならなにをしでかすかわからない。
すぐにでもアイリーンに伝えなければ。
止める……必要はないが、大虐殺は防がねばならない。
もう少しだけ穏便にしてもらう必要があるのだ。
「そ、それでは拙者はこれで。御免!」
変な口調になりながらカルロスは逃亡した。
(やばいよー!)
草食動物は走った。
必死に走った。
悪魔から逃げる時よりも。
二人の暴走を止めるために。




