新大陸の瓶
セシルは浮かれまくっていた。
商売は上手く行き、演劇の興行も大好評。
失踪準備の為の貯金も充分貯まり、今は商人に金を貸して運用しているほどである。
出張の予定だったカルロスは、ちゃんと家に帰ってくる。
仕事もプライベートも順調すぎたのだ。
元々、王子の仕事はない。
能力が高いのに暇を持て余しているのがセシルだった。
なにせ演劇でもないのに、男の格好をしているだけでストレスフルだ。
ところがこのクリスタルレイクは、まさに楽園だった。
女の格好をしても誰も不審に思わない。
悪魔が普通にうろついているクリスタルレイクでは、セシルくらい変わっていても誰もおかしいとも思わないのだ。
そのゆるい空気のおかげで『遊び人のセシルさん』として好き勝手できる。
実際、クリスタルレイクではセシルは大好きな演劇に精を出しても、自分の才能を生かして商売をしても怒られない。
恋人のカルロスも『ギャンブルにのめり込んだり、浴びるように酒を呑みさえしなければいい』と言っている。
アレしろコレしろと、うるさい事を言わないのは素晴らしい長所だ。
しかも、村には大女優クローディア・リーガンがいるのだ。
クローディアの正体が悪魔なのは驚いたが、それはささいな事だ。
なにせ弟子になったのだ。憧れの女優の弟子になれたのだ。
今まで暗黒だったセシルの人生は、ここ数ヶ月で驚くほど光り輝いた。
やる気を出さないはずがない。
その日もセシルは、友人であるクリスの家に行った。
組合の利権の隙間を狙い撃ちにしたクリスの商売は、セシルの持つコネクションと、ブラックコングの交渉によって日々拡大していった。
セシルもクリスも、代官のアイリーンもウハウハである。
そんな絶好調のはずのクリスが、大量の陶器の瓶を前にため息をついていた。
「どうした?」
あまり美しくない酒の瓶が所狭しと並んでいる。
瓶の中には何かが入っているようだ。
「香水……を注文したらこれになった」
クリスは瓶を指さす。
意味がわからなかったが、セシルは瓶の蓋を開けた。
柑橘系とは違う、爽やかな匂いがした。
「ふーん。なにこれ?」
「新大陸の植物で作った香料かな? 学者たちが言うには薬効があるらしいけど、今のところは何にも使えない品かなあ……」
クリスは落ち込んでいた。
売れない在庫の山は、人の活力を奪うのだ。
「何に効くの?」
クリスとは違い、セシルは目を輝かせた。
「打ち身に、筋肉痛、肩こりにもいいってさ。ヨモギを揉んで貼り付けときゃ同じなのに」
クリスたち村人には正式な医学や治療魔法の知識はない。
だがその代わりに、民間の治療法が広く行われていた。
どんな症状にでも、ヨモギを使うのもその一種である。
その雑な内容に、都会の住民であるセシルは愛想笑いをするしかなかった。
「これ使っていい?」
クリスは言った。
「何に使うの? 売ったらいろんな組合がうるさいよ」
するとセシルはニヤニヤとした。
「まあまあ、少しイタズラしてみようよ」
セシルはそう言うと行動を開始した。
クリスの家を飛び出すと、劇場に行く。
中にはクローディアの一座の人間に混じって、タヌキたちが働いている。
セシルはタヌキたちに瓶の話をする。
タヌキたちは悪い顔で笑う。
タヌキはイタズラが大好きなのだ。
次にセシルはタヌキたちと、金細工や金箔などを作っている工房街に行く。
こちらも人間の職人に混じってカラスが働いている。
そこでセシルはタヌキたちと一緒に計画を話す。
カラスたちも悪い顔をした。
スキップをしながら、セシルはブラックコング商会の出張所に行く。
今はルーシーがいるはずだ。
ブラックコング商会の出張所に着くと、セシルは口角を上げ、最高に悪い顔をして言った。
「上位貴族の奥様のコネが欲しくないか?」と。
セシルの計画は詐欺に近い悪質なものだった。
まずは謎の薬を瓶に入れる。
異国風の意匠を凝らした瓶だ。
それを新大陸のものとして上流階級の奥様に配るのだ。
これはカラスがノーマンの彫刻に詳しかった。
この場合、新大陸の彫刻である必要はない。
誰も新大陸の彫刻を知らないのだ。
この場合、なんとなく豪華で珍しければいい。
むしろ帝都の流行と逆行しているくらいが好まれる。
セシルは大量の瓶を帝都に送る。
『桃龍騎士団の新大陸土産』として贈答するのだ。
セシルの名前なので、受け取りを断られることはないだろう。
そもそもが売り物ではないので、組合は関係ない。
後は勝手に噂されるのを待つだけだ。
なにせ新大陸は、セシルの桃龍騎士団と海軍でも怪我人が出るほどの危険な地……という事になっている。
巨大な危険生物に、ノーマンからの攻撃、アンデッドの群れ。
誇張しまくっているが、全て事実である。
新大陸は過酷だというニュースばかりなので、たまには楽しいニュースを意図的に流してやるのだ。
金にはならないが、金よりも大事なコネや期待が手に入る。
まだセシルは自覚してないが、クリスタルレイクや、セシル、桃龍騎士団、それに海軍の宣伝効果まであったのだ。
セシルはクスクスと笑った。
こうして悪いセシルは、面白半分に情報を操作していくのだ。
その手腕は、まさに民を操る皇帝に相応しい物なのだが、セシルにはその自覚はなかった。
楽しそうだからやった。後悔してない。
まだそんな程度の認識だったのだ。
さてさて、そんなクリスのイタズラは海の向こう、新大陸にまで影響を及ぼしていた。
完璧を求めるカラスが瓶を『希望の街』に持ち込んだのだ。
そして『希望の街』に住んでいたドワーフたちの間で会議が開かれた。
屈強で逞しいヒゲを生やしたドワーフが言った。
「俺は、コイツは俺たちに対する挑戦だと思っている」
陶器の瓶は美しい意匠が施されていた。
なにせクリスタルレイクのカラスこだわりの作である。
日焼けしたドワーフが言った。
「俺もそう思う。もっと凄えの作って見やがれっていう挑戦だな」
ただのイタズラが大きな話になっていく。
それほど瓶の出来が素晴らしかったのだ。
ドワーフたちは本気で瓶を作ることにした。
こうして新大陸土産は、貴族たちや豪商の間で高値で取引されることになる。
だが、まだそれをセシルは知らない。
セシルもタヌキもカラスも「イタズラ成功~♪」と喜んでいたのだ。




