第五章プロローグ
アッシュは、その体には小さすぎる木剣を構えた。
その構えを見ただけでも、熟練の剣士なら恐ろしい達人であるとわかるほど自然な姿だった。
その対面にはアイザックが木剣を構える。
余計な力の抜けた姿。それはアッシュと比べても遜色なかった。
両者の間には、腕を組んだガウェインが鋭い眼差しで両者を見ていた。
さらに遠くでは瑠衣とカルロスも見学している。
どこかでアヒルが「ぐあっ」と鳴いた。
突如として、ガウェインが叫ぶ。
「はじめ!」
アイザックが動く。
アイザックはアッシュの下段。
足を狙って木剣で薙ぎはらう。
アッシュはそれをゆっくりと弾く。
いやスピードは速かった。
だがアッシュの動きはゆっくりと動いたかのように見えた。
アイザックも弾かれるのは予想していた。
体の重心を変化させ、弾かれた剣の軌道を制御し操る。
アイザックは弾かれた、自らの木剣を持った腕の下に潜り込み、上段の構えを作る。
アイザックはアッシュに弾かれた勢い、それを自らの動きの初動に使う。
初動の動きをキャンセルしたのだ。
相手がアッシュでなければ、超高速で動いたように思えただろう。
アイザックは剣を振り下ろす。
さすがのアッシュもアイザックの一撃を身をよじって避ける。
「上手い!」
アッシュが褒めるが、アイザックは悔しそうな声を出す。
「まだまだ!」
アイザックは今度は突きを繰り出す。
それは先ほどの動きとは違った。
単純に速く力強い。
「おっと!」
アッシュは突きを紙一重でかわす。
そしてアイザックの右手首を木剣の柄と自分の腕の間に引っかける。
その巨体に似合わない精密な動きである。
アイザックの手首をロックすると、そのままアッシュは引っ張って重心を崩す。
いや、アッシュの体なら、ただそれだけでも即投げ技になるほどの勢いだった。
アイザックは、引っ張られる勢いを利用し、自由な左でアッシュの顔に向けて肘を繰り出す。
二人とも騎士のスパーリングなら繰り出すことはない、容赦のない攻撃である。
お互い遠慮など一切しなかった。
だからアッシュは肘を防御せずに、ヒザ蹴りをお見舞いする。
「ふぎゃっ!」
猫の悲鳴のような声、どごんという、爆発音にも似た重い音が響く。
あまりの威力にアイザックの体が浮いた。
「アイザックゥ! 死ぬなー!」
カルロスは慌てて駆け寄り、瑠衣も「あらあら」と言うとアイザックの元へ走った。
「ちょ、やめ! バカ、アッシュお前、アイザックを殺す気か!」
ガウェインが怒鳴る。
「あ、ごめん! つい焦って本気出しちゃった」
アッシュは、アイザックを慎重に優しく下ろす。
アイザックは失神していた。
アイザックはとてつもない戦士へと変貌していた。
だが、いくらアイザックが剣の腕を上げようとも、さすがにこの体格差、筋力差が埋まることはない。
アッシュが人外過ぎるのだ。
むしろアッシュと闘って死ななかったアイザックも、すでに人外の領域へ踏み出していると言えるだろう。
「お前な! アイザックは世界でも上位の剣士だぞ! 壊したら責任問題だからな!」
口の悪いガウェインとしては、最大の賛辞である。
それほどアイザックを認めていたのだ。
「ごめん……アイザックが強くなりすぎて、つい……」
実力が拮抗してくれば、さすがのアッシュでも手加減が難しい。
それほどまでの経験をアイザックは積んだのだ。
「骨は大丈夫みたいですね。アッシュ様、無事です」
瑠衣がそう言うとアッシュは胸をなで下ろした。
「それにしても……今のアイザックさんは、ゼインに迫る強さになりましたね。死体を使ってごり押ししなければ……ですが」
死体を使わないネクロマンサーというのもよくわからないが、それでも瑠衣は心から褒めていた。
それほどまでの実力差が、人間と悪魔の間には存在するのだ。
今やアイザックは悪魔に勝つ見込みがあるほどに成長していたのだ。
アッシュが人外過ぎるだけである。
「う……」
びくんと一瞬痙攣すると、アイザックが目覚めた。
「また……負けたか」
そしてアイザックは悔しそうに言った。
「いやお前、おかしいから。アッシュと勝負して一秒で殺されないだけでも、達人レベルだからな」
ガウェインが呆れた声を出した。
それほどまでにアイザックの発言はおかしなものだった。
「ガウェインさん。それでも俺は勝ちたいんです。同じもの食ってる以上、勝てないはずがないんですよ!」
アイザックは熱い情熱をぶちまけた。
この男、重度の負けず嫌いである。
「ねえよ! お前は発想がおかしすぎるんだよ! 悪魔に勝てるだけでも伝説の剣豪だからな! そこを理解しろ!」
アイザックはガウェインがわかってくれないと理解すると、今度は瑠衣に話しかける。
「瑠衣さん。潜在能力を引き出す魔法とか、改造手術とかありませんか!」
最早、人間を捨てる覚悟である。
「それは悪魔になれば……アイザックさんなら悪魔になる資格は充分ですが……私はクリスさんに嫌われたくありませんのでお断りいたします♪」
バッサリ斬られる。
クリスは悪魔業界では有名な、かなりの顔役なのである。
なにせバッグ作りや、アクセサリー製作など、次から次へと楽しい遊びを提供してくれるのだ。
クリスに嫌われるのは、悪魔たちにとって避けたいことである。
もし出て行かれでもしたら退屈で死んでしまう。
クリスは力を持たない少女だが、悪魔たちとの友情によってクリスタルレイク最強の一角と噂されるほどなのである。
はっきり言って、動かせる武力ではアイザックより遙かに強い。
「嫁ぇ~ッ!」
アイザックは頭を抱えた。
悪魔にとっては、アイザックとクリスの夫婦仲は最優先案件である。
絶対に波風を立てる気はない。
アイザックは八方塞がりだった。
そんなアイザックにアッシュが近づく。
「あのさ、アイザック」
頭を抱えるアイザックにアッシュが声をかけた。
「なんですかアッシュさん?」
「俺は思うんだ。この間の帝都への攻撃みたいに戦略ってやつを考えることは俺にはできない」
帝都をゴミで爆撃した件である。
「だからアイザックは俺より強いんだと思う。あれがなければ、皇帝は俺たちに嫌がらせを続けていたと思う。死人だって出たかもしれない。だからアイザックは、人間のままで、遠慮なく俺を使ってくれたらいいんだ。俺はアイザックを信頼してる」
アッシュの言葉を聞くと、アイザックは頭をかきむしった。
「わかりましたよ! 改造手術は、なし!」
わかってくれたようで、全員が安堵する。
だがアイザックは続ける。
「でもいつか人間のままでアッシュさんに勝ちますから! 勝負は続けてくださいね!」
負けず嫌いである。
アッシュもこれには苦笑する。
「わかった。ガウェイン、アイザックに次はなにを教える?」
アッシュの言葉にガウェインはため息をついた。
「もう俺が教えることなんてねえよ。筋肉をつけて貰うくらいしか」
すると瑠衣が言った。
「魔法なんてどうでしょう? アイザックさんは小器用ですし、教養もございますし」
「「それだ!」」
アッシュとガウェインが言った。
こうしてアイザックは、最強という坂を転げ落ちて行くのである。




