アイリーンの危機
そこはアッシュの部屋だった。
レベッカはアッシュに抱きついている。
アイリーンは特に理由もなくアッシュの腹に貼り付いているレベッカを抱っこした。
ドラゴンの魔法は強力だ。
いや強力すぎる劇薬だ。
だがドラゴンのためなのでしかたがない。
「レベッカ、みんなを隠す方法を知らないか?」
「あい?」
レベッカが首をかしげた。
「ここの人間さんに見つかったらドラゴンのみんなが危険なんだ」
「あ!」
アッシュもようやく気づいたのか手を打った。
「アッシュ遅い!」
さすがのアイリーンも怒る。
「えーっと、えーっとね!」
「なにかあるのか?」
「ここは幸せが少ないの。だから大きな魔法は使えないの」
やはりクリスタルレイクとは違う。
無能が治める土地は不幸しかない。
とは言ってもアイリーンも無能の一族の一人である。
「こうなったら悪魔を呼んで来て悪人どもをパージするしか……」
まさに危ない独裁者の発想である。
「アイリーン……悪魔さんたちは小食だから……」
アッシュは悪魔をよく観察していた。
効率を好む瑠衣たちは不幸の精製も効率的である。
カラスたちもタヌキもクリスタルレイクのごく少ない悪人で栄養はまかなえている。
それよりも甘味や娯楽の方が常に供給不足であるくらいだ。
「うむ……それでもドラゴンの姿を見せるのはまずい……どうすれば……」
レベッカはキョトンとしている。
「アイリーンお姉ちゃん。ドラゴンの姿じゃなければいいの?」
レベッカが首をかしげた。
するとレベッカはアイリーンの手から抜け出して床に着地する。
「え?」
アイリーンが間が抜けた声を出したのと同時にレベッカが光る。
まばゆい光を放ち終わると出てきたのは、桃色の髪で桃色の服を着た女の子だった。
「あい♪」
「人化……だと……」
確かに悪魔たちもやっているのでドラゴンができてもおかしくはない。
だが度肝を抜かれたのだ。
「化けたのか……?」
アッシュがそう聞くと、レベッカは説明する。
「違うのー。まだ充分な大きさがないからできないって瑠衣さんが言ってたの」
どうやら、ある程度成長しないと化けられないようだ。
「じゃあどうやったんだ?」
「えーっとね、なんだっけ……? うんとね、認識を歪めたの♪ 何も変わってないけど、頭ではそう感じるの♪」
するとレベッカは尻尾をふりふりする。
ベルの好きそうなフリフリのスカートから尻尾が出ている。
「って、レベッカ尻尾! 尻尾!」
「あっれ~?」
レベッカは尻尾をにゅっと引っ込める。
いや引っ込めたように見えた。
これも認識の歪みだろう。
「とりあえず……みんなに相談しよう……」
一行はアイリーンの部屋に移動する。
レベッカはアイリーンが抱っこしている。
本当だったらズシッと重いはずだ。
だがレベッカは小犬程度の重さしかない。
アイリーンが部屋に入ろうとする。
「あの……アイリーン様」
すると声がかけられる。
アイリーンはビクッとした。
声の主は館のおばさんだった。
「あ、あ、あ、あ、ガラおばさんか……びっくりした」
その姿はメイドさんというほどは洗練されていない。
アイリーンも「おばさん」と呼ぶほど古くからいる女中であった。
「あの……その子は……?」
「あ、ああ? あ、あーああ! クリスタルレイクの領民の子でな、ちょっと世話を頼まれたのだよ」
「あ」が多い。
しかも意味不明である。
どこの世界に代官に子守を頼む領民がいるだろうか。
それだけアイリーンは焦っていたのだ。
「あ、ああ! そうですか!」
ガラは触ってはならない話題だと理解した。
「あ、あはははは。そういうことだ。失礼する」
「あ、あのアイリーン様。お客様のお食事ですが……」
「あー……イナゴ以外で……」
「イナゴ……ですか?」
「いやすまん。なんでもない」
やはりありえないのだ。イナゴ料理やザリガニ料理は。
アイリーンは少し涙目になった。
するとガラはにこりと笑う。
話に特段疑問を感じなかったようだ。
「お名前は?」
レベッカは大きな声で返事する。
「レベッカです!」
「あら、いい子ね」
よしごまかせた!
アイリーンが確信した瞬間だった。
「あら……よく見るとアイリーン様の小さいころにそっくり」
「「ぶッ!」」
これにはアイリーンだけではない。
アッシュ、それにセシルまで顔を青くした。
なんとなくそんな気がしてたのだ。
アイリーンに似ていると。
「アイリーンお姉ちゃんは、お姉ちゃんだよ」
レベッカが元気よく答える。
ガラはニコニコしている。
だがその目は光っていた。
「お姉ちゃんですか?」
貴族の娘が望まぬ妊娠をしたときの常套句である。
「い、いや、違うぞ! そうじゃない!」
必死に否定するがおばちゃんの好奇心にはかなわない。
「このガラにだけは素直にお話しください!」
と、言うその目は輝いている。
完全に興味本位である。
そう、ガラは飢えていたのだ。
日常を楽しくするスパイスに。そう……サスペンスと言う名のスパイスに。
「い、いやだから……実はこのセシルの子で……」
「あ、貴様! 人のせいにしたな!」
ここで大きな間違いがあった。
アイリーンはセシルを女だと知っている。
仲の良い女友達であるという認識である。
だがガラからしてみればセシルは男性である。
そしてサスペンス脳のおばちゃんはすぐにドロドロの人間関係を作り出した。
そう、セシルが父親なのだ。
アイリーンの子の父親はセシルなのだ。
隠し子、それも王族との隠し子である。
そしてその醜聞を隠すための囮がライミ次期侯爵、アッシュなのだ。
女を孕ませておいて別の男と結婚させる。
まさに一大スキャンダル。
ガラは全身で喜んだ。
目は輝き、肌はツヤツヤ、髪の毛もつやが出てくる。
ああ、生きてて良かった。
ガラは喜びを感じていた。
この話題だけで一年はある事ない事言いふらす事ができる。
「が、ガラ、どうした?」
「い、いえ、では私は失礼致します……おほほほほほ」
そう言うとガラは小走りで逃げるように去って行った。
アイリーンはキョトンとした。
とりあえずドラゴンだとはバレなかったようだ。
アイリーンが安堵のため息を吐くとガラは怒濤の勢いで戻ってくる。
「ぬお!」
「アイリーン様! このガラは最後まで味方ですからね!」
なぜかアイリーンにドアップで迫ってからそう言うと、ガラは逃げるようにいなくなった。
セシルとアイリーンは「変な奴だな」と顔を見合わせた。
アッシュも「レベッカの正体がバレずにすんで良かったな」程度である。
誰も先の問題に目を向けていなかった。
それほど彼らにはレベッカが大事だったのだ。
「ベル、入るぞ」
ドアを開けるとベルがドラゴンちゃんたちをなで回していた。
その顔は至福そのものであった。
そしてそんなベルとレベッカの目が合う。
「ベルお姉ちゃん♪」
鼻血ぶーッ!
それは擬音で伝えるしかない見事な鼻血だった。
ベルは幸せだった。
だって幼女がいるのだ。
アイリーンの子どものころのような完璧な幼女がいるのだ。
髪の毛が雑だ。
それだけは直さねば。
アイリーンが小さいころにできなかったどこに出しても恥ずかしくない令嬢に……
「はぁ、はぁ……お嬢様……御髪を……」
「ベルが壊れた!」
「いつも壊れているだろ!」
セシルのツッコミ。
何気にひどい。
「いつも壊れているが、可愛いものさえなければ優秀なのだ!」
さらにひどい言い草である。
「ベルお姉ちゃん、壊れてるの?」
レベッカは首をかしげる。
「うん、壊れてる。ああなっちゃダメだぞー」
アイリーンは苦笑していた。
さてアイリーンたちはまだ気づいていなかった。
すでにガラによってアイリーンの兄へ「家を出ていた期間にセシル皇子との隠し子を作っていた」とある事ない事を報告されているという事に。




