葬儀のお知らせ
パトリックはクリスタルレイクから馬車で半日の場所にある『旅立ちの街』にかくまわれた。
なにせ物不足の街なので、今までのような贅沢はできないだろう。
ブラックコングたちの貢献により食料状態が改善した今でも、三食小麦粥と魚という状態である。
それが病み上がりのパトリックには逆に体に良いのかもしれない。
今ではアイリーンの仕事を手伝っている。
アイリーンと比べたら事務能力は遙かに劣るパトリックだが、領地経営の経験値は多い。
政治の決定権と無駄な金さえ与えなければ、官吏としては使える男なのである。
本人もそれを痛いほど理解したらしく、貿易用の重量税の徴収や各種交渉などを真面目にこなしている。
そして、たまにクリスタルレイクへ帰ってきて瑠衣の診察を受けている。
戦力の増強によって、あとは探検業務をこなせばいい。
そこまで来たクリスタルレイクだったのだが……ここで大きな問題が起っていた。
アイリーンとパトリックは二通の羊皮紙を見ていた。
差出人の一通はアイリーンの兄たちの名前、もう一通はアイリーンの叔父の名前である。
用件は一つしかない。
『パトリック・ベイトマン 葬儀のお知らせ』
パトリックもアイリーンもこれには困った。
なにせ二通というのが問題だった。
クルーガー帝国では葬儀というのは男の仕事である。
それも相続人の仕事である。
つまりベイトマン家の次代の当主ということである。
例えば、兄弟でまだ誰が家を継ぐかわからない時などは、兄弟全員の連名で葬儀のお知らせを出すのがクルーガー帝国のしきたりである。
つまり差出人が違う二通の通知が来たということは、お家騒動以外のなにものでもない。
「うっわ、めんどくせえ……」
アイリーンは思いっきり口に出していた。
パトリックは、娘のその淑女としてはありえないほどの汚い言葉遣いに一瞬顔をしかめた。
だが心情としては概ね同意である。
なにせ今のアイリーンは爵位こそ下位であるが、王族にまで目をかけられる新星である。
ベイトマンの領地など必要ない。
つまり、お家騒動に介入するのはマイナスになってもプラスにはならないのだ。
まさに面倒なだけである。
「ワシはお前に継いで貰うのがいちばんいいかなあと思っているのだが……」
パトリックも『ワシ』と崩した口調で言った。
この距離が今の二人の関係を示している。二人の関係は改善していた。
パトリックとしてはアイリーンに継いで貰えれば安泰である。
それほどアイリーンを認めている。
だがアイリーンには、すでに実家はお荷物でしかないこともよく理解していた。
「要りません。私としては兄上の誰かに適当にやって貰えばいいのではと思いますが……でも叔父上の方が気にいりませんね」
「だろうな。ワシも気に入らない」
パトリックも肯定した。
普通、相続は直系子孫、つまりパトリックの実子、それも男子の中で行われる。
つまり、アイリーンの兄たちである。
つまり叔父のこの行動は常識外、ありえない主張である。
叔父がこんな強硬手段に出るには力がなくて不可能だ。
そう考えると叔父側には強力な支持者がいると考えられる。
「面倒くさい……」
アイリーンはうなだれる。
それには理由があった。
「会計局になんて言えばいいのか……」
「なにを言っておる。冠婚葬祭は貴族の義務だ。正直に親の葬儀と言えばいいだろう。ワシの死亡は皆が知っている」
アイリーンたち代官は内務省会計局に所属している。
任務以外で領地を離れる場合は報告義務があるのだ。
(逆に新大陸の探検はアイリーンに課せられた任務のため、概ね自由に行うことができる)
「あーあ、週末はアッシュたちと海で遊ぼうと思ってたのに……」
本人が目の前で元気に生きているので、アイリーンにやる気はない。
かなり悪魔たちに毒されている。
パトリックは膝の上ですやすや寝ているレベッカをなでた。
レベッカは足をピクピクと動かす。
癌を治してからパトリックは変わった。
あれからパトリックは、気絶している間に蜘蛛たちに体をいじられまくった。
脳の血管の詰まりや、加齢による脳内物質の分泌異常などまで治療されたのだ。
それによってホルモンバランスなども改善、非常に穏やかになった。
顔も心なしか若くなり、今ではクリスタルレイクに来るとレベッカを孫のように可愛がっている。
レベッカも今ではすっかり『おじいちゃん子』である。
「あー……じゃあ行きます。兄たちの招待状でよろしいですね」
アイリーンは心の底から嫌そうな声を出した。
「そうだな。それにお前が行けば全て解決するはずだ」
「期待されたって困りますよ。私だってできないことがありますからね」
そりゃそうだ。
パトリックもそれくらいはわかっている。
そう言う意味ではない。
「そうだな。アッシュ君にセシル様、カルロスの分の宿を取っておくように早馬で実家に知らせなさい。くれぐれもセシル様に失礼がないように念を押すこと」
「……いや私とアッシュ、護衛でアイザックが行けばいいでしょう」
「セシル様が来ないはずがなかろう。お前の後見人、つまり親同然なのだぞ。お前は今やセシル様の右腕、腹心の部下だと思われている。その腹心の部下の実家のことだ。仲裁の一つもしなれば、無能の烙印を押され、セシル様の立場が危うくなるぞ。それにワシは今や国家に殉じた英雄扱いだ。葬儀に顔を出さないわけにはいかないだろう」
パトリックはクルーガー、ノーマン間の責任のなすりつけ合いやプロパガンダに最大限利用されている。
死んだ英雄はいくらでも話を捏造できるよい駒なのだ。
今やパトリックはノーマン軍一万を数百騎で葬った伝説を持つ国家的英雄である。
「めんどくせえ……」
アイリーンから本音が漏れる。
本人からすれば心の底からどうでもいいことなのに、周りが本気で介入してくるのだ。
これほど面倒なことはない。
アイリーンはパトリックを置いて庭に行く。
パトリックはレベッカとのお昼寝に戻る。
ちなみにアイリーンの使っている屋敷はアッシュのものである。
庭を進んでいくと荘園跡、今ではアッシュの畑が見えてくる。
アッシュが荒れ果てた土地をひたすら開墾した畑である。
さらにその横に悪魔たちが好き放題いじった果樹園がある。
帝国中の果実が季節関係なしに実りをつけるクリスタルレイクでも有数のミステリースポットである。
アッシュは果実を見ていた。
森で発見した新種である。
瑠衣も一緒に見ている。
「これは……実芭蕉ですかね……」
さすがの瑠衣もわからない。
「食べられますか?」
「ええ、芋の代わりになるという記録を見たことがあります」
他にも見たこともないような形の果実が実っている。
「他はわかりますか」
「いえ、私も見たことのないものがほとんどです」
「やはりオデットに聞かないとだめですね……」
あれからオデットはクリスタルレイクに外交官として駐在している。
とは言っても、『旅立ちの街』にいるパトリックがほとんどの業務をこなしているため、なにもすることはない。
一日中暇そうにしていて、楽器の演奏やセシルやベルと悪だくみをする毎日である。
「毒などがあったら怖いですからねえ」
「瑠衣さんでもわかりませんか?」
「ええ、私でも未知の毒まではさすがに……」
「食べてみますか……」
スイーツ中心に人生が回っている二人の会話である。
この二人なら毒を自身の体で人体実験しかねない。
だからアイリーンは話しかける。
殴ってでも止めねば!
「あのなアッシュ!」
「アイリーン! 今、新しい果物を食べようかと思ってたんだ」
「オデットに聞いてからにしような! な!」
「あ、うん」
有無を言わせない。
絶対にさせてはならないのだ。
「それでアッシュ、すまないのだが……」
「どうした?」
「実家に行かなくてはならないのだが……ついてきてくれるか?」
「ああ、いいよ」
アッシュは笑顔で答えた。




