パトリックさんの命拾い ~ぐりぐり増量編~
パトリックの目が開き慌てて起き上がる。
パトリックにはなにがなんだかわからなかった。
確かに娘が少し変わっているのはよく理解していた。
懐が深すぎるのも知っていた。
なにせ騎士学校在学中に事件を起こした札付きの不良騎士二人を自分の部下にしたのだ。
しかも理由は『面構えが気に入った』である。
確かに二人とも整った顔立ちではある。
当時は娘が面食いなのかと思っていたが、どうやら違ったようだ。
なにせ娘の恋人と称する大男は姿形こそ上品なれど、美しいとは言えない。
そう言うなれば帝国を陰から操る黒幕という顔である。
それも部下を殺されたら自ら剣を片手に敵地に乗り込んでいく武闘派に違いない。
そしていつしか世界をその手中に収めるのだ。
中々惜しい想像をしたパトリックはさらに考える。
……ライミ侯爵家。
確かにカードとしてはこれ以上ないほど強いものだ。
だがパトリックにそのカードを扱いきれるのか?
それが問題だった。
それに悪魔だ。
悪魔がどんな存在かはわからないが、物語では待っているのはたいてい破滅だ。
この悪魔もそうなのだろう。
邪悪なものだ。
そうパトリックが拳を握る横でクローディア、今はタヌキの花子が大口を開けてケーキを口に入れた。
パトリックの額に冷たい汗が輝く。
タヌキは、むしゃむしゃとドライフルーツ入りのパウンドケーキを食べている。
「ええっと……悪魔?」
花子は手を振った。
口にものを詰め込んでいるのでしゃべることができないようだ。
タヌキは手を上げる。
すると何もない空間から酒が注がれたジョッキが出現する。
それを容赦なくグビグビと飲み干す。
いい飲みっぷりだ。
だが酒のつまみがドライケーキである。
「ぷはーッ! やだー、見られちゃった~♪ おばちゃん恥ずかしい」
(おんやー?)
パトリックは何かが引っかかった。
タヌキの声はクローディア・リーガンのものそっくりである。
するとパトリックは太ももの辺りがずしりと重いことに気づいた。
パトリックが目を向けるとピンク色の小さな生き物。
まるで小型犬のような、生き物がすやすやと寝ていた。
尻尾がゆらゆらと揺れている。
時より足をパタパタさせている。
なんだかかわいい。
「パトリックちゃん。レベッカちゃんお願いねー。今アイリーンちゃん呼んでくるから」
数十年ぶりに『ちゃん』呼ばわりされたパトリックは微妙な表情になった。
だがさすがにタヌキの化け物に反論する気力はない。
するとドタドタと色気のない足音が聞こえてくる。
「はいはい。アイリーンちゃんが来たわよー♪」
タヌキが上機嫌でそう言った。
すると珍しくスカート姿のアイリーンがやって来る。
パトリックは、それがなによりもショックだった。
タヌキの化け物や巨大な蜘蛛よりも。
「お、お、お、お、お前、なんだその格好は!」
娘が娘の格好をしている。
パトリックはわけがわからなくなっていた。
「なんだって……舞台の練習をしてたのですよ。だいたい娘が娘の格好をしてなにが悪いというのですか!」
「だってお前、あれほどスカートを嫌っていただろう!」
「私だって女なのですから、かわいい格好をしてなにが悪い!」
(うわぁ……こいつら親子だわぁ……)
と、ギャアギャア騒ぐ二人を見てタヌキは思った。
タヌキが呆れているとレベッカがすくっと起き上がる。
目をゴシゴシこするとパトリックへ挨拶する。
「こんにちは! レベッカです!」
レベッカは尻尾をピコピコと振る。
そんなレベッカをアイリーンは抱っこする。
「いい子いい子。挨拶できたなあ」
「あい!」
しゃきーんとレベッカは得意げな顔をする。
褒めて欲しいらしい。
パトリックはなんとなくアイリーンが抱っこしているレベッカの頭をなでる。
するとレベッカは目を細めて気持ちよさそうにしていた。
なんだかパトリックはほっこりとした。
「あ、そうだ父上、瑠衣殿が話があるそうです」
なんだろうとパトリックが思て横を見ると、そこには執事服を着た女性がいた。
服装こそ個性的だがクローディア・リーガンに勝るとも劣らない妖艶な美女である。
「花子、一緒に説明をお願いします」
「花子って言うな」
二人は仲が良さそうだ。
「ええっとこれなんですが……」
瑠衣が皿を出す。
そこには肉が盛られていた。
「なんですかな?」
「あのな……父上……落ち着いて聞いて欲しい」
アイリーンまで様子がおかしい。
「倒れられたので、この際だから全身診ちゃおうということになりまして」
瑠衣が微笑む。
だがその台詞はまさに不穏である。
「はあ」
だがパトリックは気のない返事をした。
意味がわからなかったのだ。
「最近調子がお悪かったのでは?」
「ああ、はい。ちょっと便秘が数ヶ月ほど続きましたが……てっきり痔だと……なにせ馬に乗りっぱなしでしたから」
なぜかパトリックは敬語だった。
それは本能が目の前の存在のヤバさを感じ取っていたのだ。
すると瑠衣はにこりと微笑む。
「大腸に癌を発見したので根こそぎ取っておきました」
声は明るい。
だが瑠衣がさらりと言ったのは重要な情報だった。
「はあ……って、ええ!? ……じゃあ、この肉は……」
「切除した肉です♪」
ようやくパトリックはそれがなにかわかった。
通称『岩』である。
皇族でも逃れられない不治の病である。
「肝臓にも転移してたので、ここのクローディアと二人で回復魔法をかけながら除去しました」
「え、え、え、え……ええー!」
「父上、運が良かったですぞ。このままだったら余命半年という所だったらしいです。クリスタルレイクに来て寿命が延びたなあ……」
パトリックは恐る恐る服をまくし上げた。
腹に小さな傷口があった。
急に肝が冷える。
パトリックは腹の傷跡を見て固まっていた。
するとレベッカが悲しそうな顔をする。
「おじちゃんお腹痛い?」
その顔を見たらパトリックはなぜか元気がわいてきた。
無理にでも元気を出さねばと言う気になったのだ。
「はっはっは。大丈夫! おじさんは強いからな!」
実際は傷跡も縫合した糸もついていたというのに全く痛くなかった。
ただ驚いただけである。
「……それで……瑠衣殿と仰いましたな。私はあと、どれほど生きられるのでしょうか?」
「さあ?」
ずいぶんと無責任である。
「あのな、父上。全て取ったのだ」
「どういうことだ?」
「だから『全て』、すっかり健康体だ」
「あと5キロほどお痩せになって、運動を心がけるともっと元気になられますよ」
瑠衣は優しく微笑む。
その表情は慈愛に満ちたものにパトリックは感じた。
だがアイリーンは知っている。
(実験動物をイジリ倒して満足って顔だな)
人間を切ったり繋げたりするのは蜘蛛たちの得意技である。
家を建てるのと同じジャンルの趣味である。
もちろん悪意はない。
「アイリーン……」
パトリックは目をうるうるとさせた。
人間は死に直面すると脆いものである。
「すまなかったー!」
パトリックが謝罪する。
するとアイリーンは手を打った。
「そうか! 今、どさくさ紛れに言ってしまえばいいのか! 父上、黙ってようと思ったことをまとめて説明するのでちゃんと聞いてください!」
「なにを……だ……」
結婚するとかそういう話なのか。
パトリックは少し警戒した。
だがこの日のパトリックは『きれいな』パトリックだった。
だから話くらいは許してやろうと思っていた。
「まずそこのタヌキはクローディア・リーガンです」
「……はい?」
するとタヌキは一瞬で帝都の大女優、クローディア・リーガンに変身する。
「クローディアちゃんでしたー♪」
これにはなんとか耐えた。
いいかげんパトリックも耐性がついてきたのだ。
だがアイリーンは続ける。
「それで……」
そこまで言うと、病室に誰かが入ってくる。
「アイリーン。パトリック殿は目覚められたか?」
派手な顔の美女である。
どこかの名のある貴族の奥方だろうか。
圧倒的な気品がある。
「ああ、セシル。今起きたぞ」
アイリーンはまるで友人のように話しかける。
おや、セシル夫人というのか。
セシル……セシル……セシル!
パトリックの顔から血の気が引いていく。
「ももももももも……もしかして……」
次の言葉が出てこない。
「第三皇子の正体は女でした。しかもカルロスと付き合ってる。あ、カルロスはメディナ提督の息子でして家柄自体はギリギリ釣り合ってるから安心してくださ……って父上?」
パトリックはまたもや白目を剥いていた。
耐えられなかった。
なにせ帝国の……いや世界の命運を握っているのは自分の娘だったのだ。
小物であるパトリックの世界は自分の領地と派閥までだった。
パトリックの処理能力を完全に超えていたのだ。
「あらら……もう一回診ますか? ……脳とか」
瑠衣は「あらあら」と笑っていた。
「ああ、お願いする……」
アイリーンはこの際だから全て治してもらえばいいかという顔である。
こうして寿命が大幅に延びたパトリックは、後日外交官として旅立ちの街へかくまわれたのである。
ちなみにセシルの問題の方が大きすぎて、アッシュの事はなんとなく許してしまった。
そしてさらなる受難がパトリックを襲うのである。




