パトリックさんの衝撃 ~もはやうちの娘が理解できない件~
湖に落ちた男性を救出した村人は、男が仕立てはいいのに悪趣味な服装なのを疑問に思った。
高い生地を台無しにしているとしか思えない。
いや村人は、忘れていた。
このクリスタルレイクの文明は異常に進んでいるという事に。
クリスタルレイクは新商品を無制限に認めている。
新しい商品を好き勝手に作っていいのだ。
これは帝国では珍しい。
帝国では緊縮財政下の時代では菓子に至るまで新製品の開発を禁止していたこともあるほどだ。
新製品や技術革新があまり評されない国なのである。
だから地方においても新製品開発には積極的ではない。
アイリーンのように進歩的な人間は少なかった。
だからアイリーンのような細かいことを気にしない代官とクリスタルレイクの相性は最高だった。
そう、人間や悪魔に好き放題を許していたら、たった数ヶ月でクリスタルレイクは世界有数の文化都市に変貌していたのだ。
アイリーンはパトリックに付き添っていた。
パトリックは気を失っている。
突然ゲートが開き、人が湖に放り出されたと思ったら、自分の父親だった。
何を言っているかまったくわからない。
セシルが秘密裏に派遣した悪魔たちに聞くと講和会議の会場が襲撃されたらしい。
講和を邪魔したい勢力の仕業であろう。
問題はどの勢力なのか、である。
帝国の中央でもまさかの出来事だったようだ。
パトリックはすでに死んだものとされている。
(いくらなんでも情報が早すぎる)
アイリーンは思った。
新聞が三週間遅れでやって来るのがクルーガー帝国である。
そんなに早く情報が入るはずがない。
パトリックの訃報もアイリーンの元には葬儀が終わってから届くだろう。
(……さてどうするか)
それが問題だった。
悩むアイリーンの方にアッシュの大きな手が乗った。
「アッシュ……」
「親父さんにはここにいてもらえばいい」
アイリーンはアッシュの手に自分の手をそっと添える。
「クリスタルレイクには間諜がいるはずだ。父上が生きている姿を見られては困る」
「俺がなんとかする」
アッシュがそう言うとアイリーンは無言でアッシュの手に頬を乗せた。
それはできないのだ。
最終的にはアッシュは勝つ。
それはわかっている。
悪魔たちの防護は人間相手なら完全である。
だが同じ悪魔相手なら二度も侵入を許してしまっている。
パトリックの身の安全も、住民たちの身の安全も保障できない。
責任者としては心苦しい。
「あのー、盛り上がっているところすみませんが……アイリーン様」
後ろに控えていたベルが口を挟んだ。
「アッシュ!」
ベルを無視してアイリーンはアッシュに抱きつく。
「あの~、アイリーン様」
「嗚呼、アッシュ、私は貴方と逃げてしまいたい」
「お~い」
「なんじゃいベル! 今いい所なんだからな!」
邪魔をされたアイリーンが怒鳴る。
自分に酔っていたのだ。
するとベルは「はいはい」と相手にせず、自分の話を続けた。
ベルに抱っこされていたレベッカはよくわからず尻尾を振る。
「お殿様を領事という名目で旅立ちの街に逃がすというのはいかがでしょう」
「それだ! いや……でも死んでいなければ後々困るが……」
実の娘の言う台詞ではないが、現実路線では仕方のない台詞である。
生きていれば講和会議襲撃犯ではないかという邪推の余地を残してしまう。
「死んだことにすればよろしいでしょう。今からお殿様は領事パトリック……ということにするのが一番得策かと」
「……なるほど」
そうアイリーンは言うとうなる。
どう父親を説得すべきか。
それが問題である。
すると次の瞬間、パトリックが飛び起きた。
「はッ! な、なにが起きたのだ! ……はっ、アイリーン。どういうことだ!」
パトリックは騒ぎ立てる。
「三人の騎士が化け物に変化して……いや助けてくれたのは彼らなのだが……」
「お父様、化け物ではなく悪魔です」
「そう、その悪魔が……」
パトリックはアイリーンをみる。
「悪魔あぁぁぁッ!」
「ええ、悪魔です。古からのドラゴンとの加護を復活させ、悪魔とも契約致しました」
「はあ?」
目を丸くするパトリックへ、ベルがレベッカを見せる。
レベッカは尻尾を振りながらご挨拶した。
「レベッカです! こんにちは!」
レベッカは新しい人に会ったため少し興奮している。
「あ、ああ……ドラゴン?」
「あい!」
パトリックはレベッカを見た。
一見すると愛玩動物のようであるが確かに伝承にあるドラゴン、その文言のままの姿である。
とりあえずパトリックはドラゴンについて考えるのをやめた。
それより大きな問題があったのだ。
「……あのなアイリーン。この子がドラゴンなのはわかった……だが、後ろの大男は誰かね? というか、なぜ抱きついているのかね?」
アイリーンとアッシュの額に汗が浮かんだ。
まさか親への挨拶がこのような形になるとは思っていなかったのだ。
「えー、えっと、こちらは……」
一瞬、アイリーンの目が泳いだ。
だがアイリーンは思い直した。
堂々と紹介すればいいのだ。
アイリーンがアッシュを見るとアッシュもこくんと頷き肯定した。
「ライミ侯爵家の末裔、アッシュ殿だ」
まずはアイリーンが言った。
身分違いだのなんだのと言われたくない。
だがアッシュは別の覚悟を決めていた。
「お、お嬢さんを私にください!」
それを聞いた瞬間、パトリックの脳は処理を拒否した。
強烈な耳鳴りがする。
娘たちが何を言ってるかわからなくなったのだ。
娘の恋人がライミ侯爵家の関係者というだけでも、優柔不断で賢いとは言えないパトリックには荷が重い。
持ち帰って検討する案件だ。
親戚一同総出で損益の議論を重ね、結婚などの結論を出すまでに半年はかかるだろう。
それなのにここではパトリックをフリーズさせる出来事の雨あられだった。
ドラゴンに悪魔、そして大男。
確かに娘の恋人の青年は体は大きいが、よく見れば品のある顔をしている。
つい最近、流行しはじめた顔と体型だ。
(うちの娘はこういうのが好みだったのか!)
パトリックが驚きながら目を丸くしているとガラッと部屋のドアが開く。
「アイリーンちゃん。お父様大丈夫だった?」
女性の声だった。
そしてその女性の顔を見た瞬間、パトリックは言葉が出なくなった。
なにせその女性はクローディア・リーガンだったのだ。
さすがのパトリックでも知っているほどの名女優だ。
「あああああ、あう……ああ?」
「あ、叔母上。今気づいたところだ」
(叔母上? どういう意味だ?)
「あうあうあう……」
びっくりしすぎて声が出ない。
「ああ、父上、紹介がまだだったな。こちらのクローディアは我が家の遠い親戚だったのだ」
(あう?)
ついにパトリックは脳内の言葉まで失った。
「それとなこのアッシュのライミ家だが……実は我が家の遠い親戚だった」
その言葉を聞いた瞬間、パトリックの脳はあまりの負荷に耐えきれず、落ちた。
「ち、父上、なんで泡をふいて倒れて……ちょっと! だ、誰か大至急、瑠衣殿を呼んで来てくれ」
アイリーンの声がした。
「あらやだ。たまにいるのよねこういう子。神経が細いんだから♪」
クローディア・リーガンの声が聞こえた。
「お、俺が連れて行く!」
「い、いやアッシュ動かすのはまずい! 前に親戚が似たような症状で倒れたことが……」
それは脳梗塞である。
今回はただのショックである。
次に目覚めたとき、パトリックはただ受け入れることしかできなかったのである。
アイリーンもアッシュもベルも、クローディアや後から来た瑠衣も思った。
セシルのことは黙っていようと。
絶対に受け入れられないだろうから。




