講和会議 1
愚図なパトリックでも、もはや理解していた。
娘のアイリーンがとてつもない『何か』をしたことを。
そうでなければ説明がつかない。
女の身で突如として辺境の村の代官になり、しかも誰も文句を言えないほどの巨額の利益を上げている。
しかも官位こそ低いものの、宮廷魔術師を束ねる官僚として絶大な政治力を持つエドモンド、さらには第三皇子セシルに取り入り二人の庇護を受けた。
なんと、たかだか一代官のために第三皇子が騎士団を編成したのだ。
しかも相談役は百剣のガウェインという徹底ぶりだ。執拗と言ってもいい。
この好待遇はアイリーンが第三皇子の結婚相手ではないかとすらいう者すらいるほどだ。
さらには騎士であれば将軍相当であるメディナ海軍提督も味方につけた。
軍閥からすれば降ってわいた話である。
さらには、あのクローディア・リーガンとその一座を誘致することに成功し、文化においても覇権を握りつつある。
これには篤志家として有名な商人、ブラックコングの助けがあったともっぱらの噂である。
どう考えてもおかしい。
乙女が体を差し出してもここまで上手くは行かない。
あまりの人脈の豪華さに、王宮では絶世の美女にして人を惑わす悪女とすら噂されている。
誰の話だ……パトリックは心からそう思った。
少なくとも噂に出てくる女は娘ではない。
娘はいい年して部下の騎士と外でチャンバラやボール遊びをしているような残念な生き物だ。
美しいのに、こと色気だけは欠けている。それが娘のはずだ。
さらに未確認の噂では、とんでもない隠し球を持っているらしい。
その隠し球のせいで皇帝はアイリーンにやりたい放題を許している。
……と、言われている。
とにかくアイリーンは、もはや壁の花ではない。
良くも悪くも帝国の噂の中心にいる日の当る花なのだ。
……もはやパトリックからすれば「誰だこいつ」状態である。
知らない子である。
完全に知らない子である。
どんなに淑女にしようと努力しても無駄だった娘がここまでできるはずがない。
実は暗殺されてて別人が成り代わっていてもパトリックは驚かないだろう。
それほどの変化がアイリーンには起っていたのだろう。
それはパトリックも同じだった。
パトリックは気合を入れた。
あれからパトリックの人生は狂った。
パトリックはノーマンとの戦い、その勝利の功労者として祭り上げられてしまったのだ。
どうしても帝国には英雄が必要だった。
そこで本来なら戦犯の一人であるパトリックに白羽の矢が立った。
いやパトリックでなければならなかった。
なぜならあの戦いで生き残った貴族はパトリックだけなのだ。
撤退した他の貴族たちは動く死体の餌食になってしまった。
だから生き残ったパトリックは便利に使われる羽目になったのだ。
今もそうだ。
ノーマンとの講和会議。
そのクルーガー側の大使の一人としてパトリックはノーマン共和国で開催される会議に赴いた。
ただの人数合わせだ。発言を求められることはない。
ただそこにいるのがパトリックの役目だ。
会議場のあるノーマンの宮殿にパトリックが向かおうとすると、馬車の前で騎士がパトリックを待っていた。
「クリスタルレイク桃竜騎士団のゲイツと申します」
40歳ほどと思われる落ち着いた雰囲気の男性騎士が礼をした。
ちなみに中身は蜘蛛である。
だがそれをパトリックは知らない。
「同じくケンです」
続いて20代にしてはやたら落ち着いた黒髪の騎士も礼をする。
中身はカラスである。
「ガスコンです!」
朗らかな印象の大男も礼をした。
縦も横も大きい。
ちなみに中身はタヌキである。
そのガスコンがパトリックへ言った。
「我々はパトリック卿の護衛を仰せつかりました」
「それはセシル様のご命令と言うことですかな?」
パトリックは思わず聞いた。
口調は同輩か目上に対するものにした。
第三皇子直属の騎士団なら近衛と同等、変なこだわりのせいで敵に回すわけにはいかない。
これ以上、変な噂を立てられたくなかったのだ。
「はい。その通りでございます」
「なるほど。わかりました。その……個人的な話で申し訳ないのですが……アイリーンは、娘は元気でしょうか?」
ガスコンがにいっと笑った。
「お代官様はお元気です」
どうやら生きているようだ。
そう安心しながらも、『お代官様』かとパトリックはため息をついた。
代官は貴族でも最下位の仕事である。
本来なら領地を持たない下位貴族の仕事なのだ。
それを近衛相当の領地を持っている、もしくは将来与えられることが確実であるエリート騎士が『様』付けするのだ。
異常事態である。
噂の何割かは正しいようだ。
それもこの反応は相当好かれているようだ。
「……それはよかった。娘は皆様にご迷惑をかけていないでしょうか?」
「いえいえ。アイリーン様には大変お世話になっております。実に素晴らしい方です」
ガスコンは「がはは!」とい笑った。
ちなみにガスコンの言葉を意訳すると「お菓子をくれるいい人だよ♪」である。
その間、ケンは一言も発しない。
無口な性分のようだ。
だが一番奇妙なのはゲイツである。
ゲイツは一見すると品のある紳士そのものだ。
指の先まで洗練されている。
だがパトリックはそこに不自然さを感じる。
どうしても人間くささを感じられないのだ。
まるで感情がないような印象を受ける。
「はっはっは、ケンとゲイツ隊長のことは気にしないでください。無口な二人の代わりにそれがしが3倍話しますので、がはははは!」
こちらは人間にしては、生臭すぎる。
騎士にしては、やたら人なつっこいのだ。
「それではいざ戦場へ赴きましょう!」
ガスコンはニコニコとしている。
パトリックはガスコンの態度になんだか安心した。
実はパトリックはすでに帝国貴族の価値観からはみ出していた。
そう、彼は悪魔を知ってしまった。
人類の天敵である悪魔を見たパトリックの本能は、彼らのちょっとした仕草から三人を悪魔だと見抜いたのだ。
だが違和感を感じたものの、パトリックはそれが悪魔であるという結論には辿り着かなかった。
ゲイツが馬車の扉を開けパトリックへ中へ入るように促す。
パトリックは相手に気を使いながら馬車に乗り込む。
ガスコンは朗らかに笑い、ケンは御者の隣に乗り込む。
パトリックはただの人数合わせだというのに、すいぶんと警備は厳重だ。
まだパトリックはこれが事件のはじまりだとは知らなかった。




