希望の街
船旅はどうしても常にネズミや害虫との戦いである。
廃船をリニューアルしたときに内部を煙でいぶしたが、それでもどこからともなく害虫がわく。
だから常に掃除は欠かせないのだ。
アッシュはエプロンをして掃除をしていた。
屋敷の掃除こそ幽霊メイドのメグに明け渡したが、アッシュはきれい好きである。
船中を駆け回り、片っ端から清掃していたのだ。
ちなみに汚す原因である海賊たちは非常に緊張していた。
なにせ殺人鬼顔の大男が清掃をしまくっているのだ。
(汚したら殺される……)
そう思っても仕方がない。
普段は海にゴミを投げ捨てている海賊たちも、ゴミの分別を徹底していた。
この緊張感が良いのかアイリーンすらも文句を言わない快適さで航海は続いた。
さらに元砲兵隊の随伴兵だったアッシュは大砲の手入れもお手の物である。
アッシュが雑巾を持って大砲をから拭きしていた。
レベッカはアイリーンと昼寝をしている。
船の上ではアイリーンには子どもの世話くらいしかできないのだ。
アイザックもアッシュと一緒に大砲の手入れをしている。
「青銅製……素朴な疑問ですが、鉄じゃないんですね」
「すぐ熱くなっちゃうから連射はできないけど、安くて軽いから移動させる場合は青銅なんだ。ノーマンとの戦争でも使ってた」
「へえ……なるほど」
「鉄は安くて丈夫で摩耗に強いけど、ぶ厚くて大きくて重量があるから砦に固定する用かな」
そう言いながらアッシュは大砲をから拭きする。
ピカピカである。
「念入りに手入れするんですね」
「火薬のススで錆びると脆くなって撃つときに爆発するんだ。前戦では何人も死んだなあ……船で爆発したら全滅するかもしれないから手入れするんだ」
アッシュが懐かしそうにそう言った。
壮絶な話にアイザックは無言になる。
アイザックは本来であれば後方勤めの士官である。
暴発のことを知識では知っていても、実際見てきた人間の言葉を聞くと心が揺らぐ。
「アッシュさんは爆発事故に巻き込まれたことあるんですか?」
「ある。肩に背負っていた大砲が爆発して、吹っ飛ばされて城壁にブチ当ったら、ガラガラガッシャンって城壁の破片が振ってきて埋まった。あれは痛かったなあ」
アッシュは「恥ずかしいなあ」と頭をポリポリ掻いた。
どうやら『痛い』ですむらしい。
「ソウッスカ」
アイザックは考えるのをやめた。
アイザックは『勝てない戦いはない』と思っていたが最近では大分修正されている。
アッシュに勝つ方法など思い浮かばないのだ。
『ずいぶん大人になったな』とアイザックは自分自身をそう評価している。
手入れが終わると、アッシュとアイザックは料理を作る。
船の中で料理人は船長も一目置く存在である。
アッシュは船の中でも権力者なのである。
アッシュたちは帝国で広く食されている芋、いわゆる「じゃがいも」の皮を剥く。
同時進行で海賊たちが釣った魚を調理していく。
さらにアッシュはいわゆるサツマイモと旅立ちの街で手に入れた柑橘類を煮込んで砂糖で味付けする。
ちょっとしたデザートである。
家庭料理だがすでに海賊たちの餌付けは完了している。
問題は起こらないだろう。
「果物がまだたくさんあるからカットして出そう」
アッシュがそう言うとアイザックが笑う。
「それにしても俺たち、ずっと働いてますよね。朝から晩まで……スローライフって何でしょうねえ?」
からん、と音がした。
アイザックがアッシュの方を見ると、アッシュが口を開けてポカーンとしていた。
目は大きく開き、心なしか顔は青ざめて、体が震えている。
「わ、忘れてた……あまりに楽しすぎて目的を完全に忘れてた……」
アッシュは忘れていた。
スローライフの野望を。
楽しかったのだ。
クリスタルレイクの生活が。
忙しいがみんなに頼られる生活が。
常に孤独だった戦場とは違い、仲間といるクリスタルレイクはあまりにも楽しすぎて全力で仕事をしていたのだ。
「なんか……すいません」
アイザックは頭を下げた。
(アッシュさんって意外に繊細だよなあ……)
少しアッシュが可哀想になったのだ。
「い、いや、考えるのはやめよう。楽しいからいいんだ。いいはずだ」
アッシュはそう自分に言い聞かせながら作業に戻る。
だがダメージは大きく、少し斜めに傾いていた。
ちなみに夕食は大好評であったという。
次の日の午後、予定通り港町が見えてきた。
オデットが街の概略を説明する。
「『希望の街』はエルフの港町です。昔は大きな漁港だったんですが、化け物のせいで交流が途絶えました。今はどうなっているかわかりません」
アイリーンたちは顔を見合わせた。
見張り台で望遠鏡を覗いていた海賊の一人が叫ぶ。
「キャプテン。人がいないような気がしますぜ。見張り台や壁が朽ちてやがる」
「わかった! アイザック、悪いけどオデットを守ってやってくれ」
「わかったカルロス」
学生時代からの友人であるアイザックとカルロスの息はぴったりだ。
その点、オデットは反応が遅かった。
「え、私?」
「外交官であるアイリーン様を危険にさらすわけにはいかない。アッシュさんは海上から怪獣に攻撃されたときのために船に残ってもらう。クルーと船長がいなければ船は動かせない。だとしたら騎士団団長の俺とエルフで交渉役のオデットが行くべきだ。なあに危なくなったら、船とアッシュさんが援護してくれる」
「……反論ができませんが、アイザックさんって強いんですか?」
これにはアイリーンが思わず笑ってしまった。
「悪魔と正面から戦って生き残った騎士だぞ。クリスタルレイクでも指折りの猛者だ」
ただし、悪魔とドラゴンライダー、それにほとんど人外であるガウェインを除けばだが。
「んじゃ、爆弾と銃をもらっていきます」
アイザックは自分の剣を肩に背負い、渡された爆弾と銃も持っていく。
そしてオデットと小舟に乗り街に向かう。
「ああああああ、アイザックさん。本当に大丈夫なんですか?」
オデットはぷるぷると震えている。
アイザックは一見すると優男のため、オデットはいまいち信用してないようだ。
「大丈夫だよ。この間は子どもたちを逃がすために無茶やったけど、イレギュラーさえなければ10回やって6回は勝てる」
悪魔相手に勝率60%である。
これがどんなに困難な数字かを知らないオデットは叫ぶ。
「しょ、しょんなー! 4回負けるじゃないですか!」
「残り3回は引き分けだ。負けは1回だけだって」
「私死んじゃうー! 彼氏もいないのにー!」
そう言うとオデットは涙目でカルロスを見る。
「び、美青年……」
オデットはアイザックににじり寄る。
「残念だが俺は結婚してる」
新婚は非情である。
シャッターガラガラガッシャン。
「なんでこうなったー!」
オデットは頭を抱えた。
そんな小芝居を挟みつつ桟橋から街に入る。
今回はオデットも弓で武装している。
アイザックはこのドジッ子に後ろから射られそうな予感がした。
街に入るとやはり荒廃していた。
「……誰もいませんね」
「だな」
街には人っ子一人、いや動物すらいなかったのだ。
「街なのにカラスすらいませんね」
その時、アイザックは猛烈に嫌な予感がしていた。
この街ではない。
海上にいる船の方にである。
土曜日は歯医者で神経をグリグリしてくるので投稿できません。




