船出
レベッカはアッシュにひっついていた。
アッシュが航海に出るので、お留守番と言われたレベッカは目を潤ませていた。
アッシュの胸に顔を埋めてビクともしない。
連れて行って欲しいのだ。
珍しくぐずっている。
さすがに困ったアイリーンが声をかけた。
「あのな、レベッカ。危ないからお留守番してくれないかなあ?」
「一緒に行く!」
必死にしがみついている。
その力は強く、アイリーンでは引きはがせない。
アッシュはオロオロしているし、ベルは目を輝かせていた。
(まるで帝都の休日の親子連れだわー……)
アイザックは感慨深げだ。
もはや帝都は懐かしい思い出になっている。
あきらめたとも言う。
「もう、なんで行きたいの!」
アイリーンが声を上げる。
「行きたいのー!」
アイリーンにレベッカも主張する。
完全にお店でぐずる子どもと、その母親である。
「まあまあ、俺が守るから……」
アッシュが取りなす。
が、アイリーンがニコッと笑みを漏らすとアッシュは黙る。
かつてない危険を感じたのだ。
「アッシュさん。しょせん男ってのは女に勝てないわけですよ」
妻持ちのアイザックが言った。
新婚早々生々しい。
すでに三年選手のような有様である。
だからか、二人は意志を通じ合わせた。
「……アイザック」
「アッシュさん!」
がしりと抱擁する。
茶番である。
アイリーンへのささやかな抗議である。
だが、それに目を輝かせるのはエルフのオデットである。
「デュフフ……お軽い美男子と野獣の抱擁たまらねえでゴザル……」
黙っていれば妖精のように線の細い美少女なのに台無しである。
ちなみにオデットは交渉官として現地採用になった。
船に乗る予定である。
問題はカルロスである。
「兄貴、いやキャプテンカルロス! やっとこの日が来ました! ばんざーい! ばんざーい!」
カルロスは子分の海賊にやたら人気があるのだ。
「代理だ。俺は絶対に海軍なんか入らねえからな!」
「「兄貴! 兄貴! 兄貴! 兄貴! 兄貴!」」
誰もカルロスの抗議を聞いていない。
ちなみに純粋に食料消費の観点から悪魔である瑠衣とクローディアは乗船しない。
二人が乗船したら食料を食べ尽くされてしまうのだ。
お留守番である。
同じくベルもドラゴンちゃんたちの世話があるので留守番である。
ブラックコングたちはいったん帝都に帰ることになった。
移動に蜘蛛たちが帝国内に張り巡らせたショートカットを使うため三日程度で戻ってくる予定だ。
瑠衣のいきなり現れるのはショートカットの効果である。
非常に便利で安い移動方法であるのだが、アイリーンたちですら『怖いから』という理由で使わない。
それを平気で試すのだからブラックコングたちは、ずば抜けた肝っ玉の持ち主だと言えるだろう。
「アッシュ。本当に頼むぞ。レベッカに怪我をさせないようにな」
アイリーンが念を押す。
そもそも揉めているのだってレベッカに怪我をさせたくないだけだ。
「わかった。にいたんと一緒にいような」
「あい♪」
いい返事をすると、レベッカは「んしょ、んしょ」とアッシュの体を登り、アッシュの顔にスリスリと体をすりつける。
レベッカは兄ちゃん子なのである。
「まったく、しかたないなあ。でも好き嫌いはダメだぞー。食料が少ないからなあ」
とアイリーンは言いながらレベッカの頭を撫でた。
「あい!」
レベッカは元気よく答える。
レベッカには好き嫌いはない。
むしろ、このメンバーの中で一番好き嫌いが激しいのは、淡水生物の大半が食べられないアイリーンである。
完全に自分を棚に置いての発言だ。
お母さんにありがちな行動である。
一行は船に乗り込む。
中型船と聞いていたが、船はかなり大きい。
とは言ってもカルロスたち海賊チーム以外では船の知識がないため、アイリーンたちは『そんなものなんだろう』と思っていた。
すると海賊たちがニヤニヤとする。
解説がしたいらしい。
「中型ってのは全長ではなく、幅の話でさあ。その方が足が速いんですよ」
「なるほどな。板と同じか」
アッシュが妙な納得をした。
あれからサーフィンにはまったアッシュは腕を上げていたのだ。
アッシュが納得しているとカルロスが台の上に乗った。
「それじゃあ、みんな聞いてください」
カルロスが良く通る声で言った。
背が低いので台の上に乗ったのだ。
これじゃあ、なめられないかなあとアッシュは心配になった。
だがアイザックはニヤニヤしている。
「心配しないでください。相棒はあれでも荒くれ者の扱いは上手なんです」
「それなら……大丈夫か?」
「いいから。いいから」
アイザックは悪い顔をしたままだ。
するとカルロスが言った。
「まずは体操です」
「「体操?」」
これにはみんが疑問を持った。
「これから数日、狭い場所にいることになります。なので病気にならないためにも体操は重要です。わからない人は私の真似をしてください」
そう言うとカルロスは屈伸運動を始めた。
「お、おう」
「あーい♪」
アッシュは慌てて運動を開始し、レベッカも「面白そうだ」と思って床に降りて運動に参加する。
「はい。体を横に倒す運動ですよ」
「「へい!」」
なにかがおかしい。
不審に思ったアッシュは海賊たちを見た。
なぜかその顔は必死だ。
アッシュは次にカルロスを見る。
笑顔……だが目が笑ってない。
「なんですかアッシュさん」
「いやなんでも……ない」
「そうですか。はい軽く飛んで」
アッシュは「とん、とん」とジャンプする。
その後も運動は続き、あっという間に整理体操になる。
「はい最後です。息を整えて終わりです」
(なにも恐ろしいことはなかったな……気のせい気のせい)
アッシュが安心した瞬間だった。
「はい、そことそこ。間違っていたから腕立て伏せ二十回ね」
「「はい、船長!」」
その場で海賊たちが腕立て伏せを始めた。
「ね、アッシュさん。荒くれ者と相性いいでしょ」
「う、うん」
思ったより体育会系である。
アッシュが見ていると腕立て伏せが終わった。
海賊の表情が妙に良くなっている。
「では、持ち場についてください。アイリーン様ご一行は客室へ。アッシュさんは武器庫に来てください」
そう言うととカルロスはスタスタと甲板の階段を降りていく。
アッシュはレベッカと一緒に後を追う。
船の横はいくつもの大砲が並んでいた。
「アッシュさん。ノーマンも探索を開始したそうです」
カルロスが突然言った。
海賊には独自の情報網があるようだ。
「会わないといいな」
そうとしか言えない。
するとカルロスは真面目な顔をして言った。
「それが行方不明らしいです。なので万一のためにアッシュさんには武器の場所を覚えてもらいます」
「ああ、わかった」
アッシュは胸を叩いた。
そして彼らは航海に出たのだった。




