クリスさんはある意味さいつよだよ
アッシュとアイリーン、それにいつものメンバーがサーフィンに海の幸にとバカンスを楽しんでいるころ……
「だ、騙されたああああああああッ!」
セシルが吠えた。
第三皇子という村で一番の権力者であるセシル、それに騎士団副団長夫人というクリス、さらに村長であるガウェインに業務が集中した。
なにせ、本山壊滅に宗主が行方不明になるという災難続きの教会から補助金を受け取ったというやり手の商人、ブラックコングが動いたのだ。
新大陸にはよほどのビジネスチャンスがあるに違いないと噂になったのだ。
確かに海運業は要求される元手が大きい業種である。
大店でも失敗したら傾く可能性があるのだ。
だがその手前の街ならどうだろう?
手前ですらビジネスチャンスがゴロゴロしているのではないか?
商人たちはそう考えたのだ。
そして新大陸と未調査地帯への玄関口であるクリスタルレイクに血走った目の商人が殺到したのだ。
彼らはしきりにセシルとの面会と探索や商いの許可を求めたきた。
しかもほとんどの商人は広場にテントを作り勝手に店を開く暴挙に出る。
残されたセシルたちにその全ての業務が集中していた。
もちろん、賢い蜘蛛たちは行政や法律に詳しく人にも化けられる仲間を残していた。
彼らは文官としてとても力強くセシルたちをサポートしていた。
それでもクリスタルレイクは元々、慢性的に人手が足りてなかったのだ。
焼け石に水である。
「失礼いたします。セシル様、帝都花き組合の副代表が面会のご予約を申し出ております」
美しい口ヒゲの初老の男が部屋に入ると言った。
中身はケーキ大好き蜘蛛さんである。
「またか……」
セシルは机に突っ伏した。
現在セシルはアイリーンの部屋を使っている。
ここには代官の代理印やら全ての道具があるので業務が楽なのである。
セシルは思った。
遊びたい遊びたい遊びたい遊びたい遊びたい遊びたい遊びたい。
「クリス様。薬種問屋組合のお嬢様がたとの食事会の時間でございます」
「またぁ?」
クリスも肩を落とす。
当初、商人の妻たちがしきりに食事会を開いたが、クリスが想定よりも若すぎたため娘たちとの食事会になった。
料理の腕を振るうのは商人が帝都から連れて来た料理人たちである。
本当なら美味しい食事のはずなのにクリスはうれしくなかった。
なぜなら夫アイザックの作った料理の方が美味しいのだ。
アイザックの料理は決して高級ではない。
定食屋のレベルである。
だがクリスの舌にはそれが合っていたのである。
旦那の料理が食べたい旦那の料理が食べたい旦那の料理が食べたい旦那の料理が食べたい旦那の料理が食べたい。
さらに言えばお嬢様と話が合わない。
それは先日のことだった。
「クリス様。詩の朗読はなさりますの?」
「文字の勉強中だからまだ」
「あらそうですの♪」
相手は勝ち誇った顔を一瞬だけにじませる。
「この無教養な成り上がりめ!」と顔に書いてある。
マウンティングを相手に悟られるようでは修行が足りないがそれは仕方がない。
このお嬢様は将来後を継ぐ婿を取るための娘ではなく、どこかの商人や貴族に嫁に行かせる用の娘だったのだ。
結婚相手が管理しやすいように、どこまでも狭い価値観をわざと植え付けられている。
おそらく後を継ぐ息子がいたのだろう。
そういう教育を受けていて、彼女の頭にはクリスを理解するだけの価値観や文化的思考が皆無なのである。
非道なようだがこれが帝都の文化である。
首脳陣が身分に無頓着なクリスタルレイクの方が異常なのである。
そして、このお嬢様をクリスと友人にさせようというのは明らかな人選ミスである。
だがこれは仕方がない。
誰もが、まさか第三皇子が直属の軍として編成したと評判の騎士団団長、その嫁が文字の勉強中の庶民だとは親も思わなかった。
それにクリス自身はこの悪意を全く理解してない。
そしてクリスは悪意なく次の言葉を言う。
「だから早くクローディアに文字を教わって詩の意味がわかるようにしないとね」
相手の顔がひくつく。
「く、クローディア?」
「うん。クローディア・リーガンに教わってるんだ。早く台本くらい読めるようになれってさ」
この言葉を貴族のお嬢様は反射的に裏方の手伝いと理解し、マウンティングを開始する。
「あらあら、素晴らしい舞台だったと新聞に書いてありましたわ。次は一番良い席をお父様にねだっていますの」
商人のお嬢様は自慢したい年頃らしい。
それに対してクリスはもともと戦災難民である。
帝都の劇場の席がいくらかなんて知らないのだ。
嫌味にすらならない。
「そっかーふーん」という程度である。
「クローディア様の新作はご覧になりました? うふふふふ」
「結婚記念で出演したよ」
クリスがなんでもないように言うと相手の顔が引きつった。
「しゅ、しゅ、しゅ、出演?」
「うん三人娘の一人が私」
お嬢様はクリスを上から下まで値踏みする。
その表情は必死そのもの。その顔色は蒼白だった。
確かにクリスは美少女である。
最近は女性らしい格好をしているので、クリスタルレイクの住民も美男子ではなく美少女と自信を持って言えるようになった。
お嬢様は自分より少しだけスペックが下かなと哀れな納得をする。
「は、話を変えましょうか……」
「うん」
小さな勝利を手にしたお嬢様は話を変える。
主に自分の得意分野に。
クリスの方は悪意に鈍感だった。
もともとド庶民であるクリスは悪口は本人の目の前で堂々と言う文化で育った。
よってお嬢様のマウンティングを全く理解してなかったのだ。
「し、刺繍なんてどうでしょうか? 私、刺繍が得意でして」
ここまでボコボコにされながらまだ負けていないと思えるその根性。
さすが商人の娘である。
「刺繍かあ。ちゃんとした職人に習わないとなあ。うちの職人は腕はいいんだけど発想力がまったくないから覚えることが多くってさ」
クリスはニコニコしている。
一方、お嬢様は固まった。
「うちの職人?」
「うん。私、バッグメーカー経営してるんだ」
そこでクリスはサンプルとして渡して欲しいと言われたバッグを持ってきてもらう。
「うちの新作。持って行ってよ。なるべく多くの人の感想が聞きたかったんだ」
クリスは「どうよ、うちの商品♪」と目を輝かせている。
お嬢様はそれが何なのかを理解した。
帝都で流行のバッグである。
このバッグを作っている工房のトップが山猿クリスなのだ。
クリティカルヒット。
お嬢様の精神はマイナス値に突入だ。
もう立ち直れない。
「え、ええ……ありがとうございます……」
死んだ目でバッグを受け取る。
お嬢様はその日知った。
逆立ちしてもかなわない天才がいるのだと。
そして自分に都合良く全てを理解した。
これは自分に課せられた試験なのだと。
目の前のよくわからない少女から商いを学べという試練なのだ。
こうしてお嬢様はその狭い世界から飛び出したのである。
「……クリス様」
「ほいほい」
「何か困っていることはございますか?」
クリスは腕を組みながら考える。
「あー! そうそうセシルが言ってた。文官が足りないって」
きゅぴーんっとお嬢様の目が光る。
「ご用意させて頂きますわ。もちろん私たちに中立で優秀な方を」
目が血走っている。
クリスもこれには少し引いた。
「う、うん、ありがとう?」
「はい!」
こうしてクリスはよくわからないうちに事務職を手に入れることに成功していたが、まだそれを知らなかった。
セシルと愚痴を言い合いながら業務をこなしていた。
そして、その後もクリスの人脈はどこまでも広がっていくのである。
なにせクリスは全ての悪魔と友人関係にあるし、ドラゴンたちとも友人である。
アッシュには妹のように可愛がられているし、代官のアイリーンとも友達である。
第三皇子のセシルに至ってはマブダチと言える間柄である。
それなのにクリス自身は何も考えていない。
わりとシンプルに生きている。
実はクリスタルレイク最強に近い存在はクリスなのかもしれない。




