お芋さんパニック 後編
そこはまさしく戦場だった。
小麦粉と砂糖が飛び交い、炎でパイがしっかり焼かれ、甘いにおいが厨房に充満する。
押し寄せる淑女たち。
噂を聞きつけて甘党の男たちまで参戦する。
いつの間にか列に並ぶ黒服の集団。
一応は人間の姿をしている。
クリスタルレイクの住民だけはその集団が悪魔だと見抜いていた。
黒服の集団の噂を聞いたアイリーンは彼らに突撃する。
明らかに戦場に出るときよりも必死だった。
「みんなあああああああ! 助かったー!」
戦場で味方の増援が来たかのように満面の笑みで手を振る。
そのアイリーンの様子に嫌な予感がした蜘蛛やカラスたちは逃げようとする。
だがアイリーンは素早かった。
蜘蛛たちの先に回り込む。
「手伝ってくれ!」
その目は必死だった。
「い、いやアイリーン様……」
アイリーンは契約相手。
悪魔たちは丁寧に断ろうとした。
だが……
「報酬はケーキでどうだ」
「がんばります!」
こうしてケーキを食べに来た、いたいけな悪魔たちはお手伝い軍団に組み込まれてしまったのだ。
ケーキ作りはやったことのない黒服の集団はお客の整理に繰り出した。
アイリーンよりは多少調理スキルのあるオデットまでもが調理に加わり、修羅場は加速する。
そんな状況でドラゴンたちはぼそりと言った。
「ケーキ屋さんって忙しいんですね……」
「……うん」
アイリーンもそう言うしかなかった。
「でも楽しいね♪」
レベッカがニコッと笑う。
それを見てアイリーンはレベッカを抱きしめる。
かわいくて、かわいくて、仕方がない。
そんな中、あることが問題になっていた。
「お芋……足りませんね……」
オデットがぼそりと言った。
やはり芋が足りなかったのだ。
今回、一番悪いのはどう考えてもオデットである。
「私……もうアッシュさんのお菓子を仲間に教えたりしない。こんな破壊力があるなんて思わなかった……」
オデットは死んだ目でそう言った。
だがもう遅い。
アッシュのお菓子は食糧不足の中、娯楽が極端に制限された旅立ちの街の隅々まで評判が行き届いてしまったのだ。
明らかに材料が足りないので今日の営業はもうすぐ終わるだろう。
だが今、悪魔たちが配っている整理札の分を計算すると、数日は修羅場が待っているのだ。
すでに度を超えた人気店である。
「く、芋を……弾丸はまだか! あはは! お客様が待っておられる!」
アイリーンが壊れる。
そんなアイリーンにベルが冷静に言った。
「アイリーン様。芋がなければラズベリーとかブラックベリーのパイにすればよろしいのでは?」
この副官、クリスタルレイクに着いてからは奇行が目立つが、普段は冷静なのだ。
どことなくおおざっぱで抜けているアイリーンの姉ポジションなのだ。
「そ、そうか! 代替品で……」
オデットがアイリーンの顔を見ていた。
その顔は絶望そのものだった。
線の細い美少女がそんな顔をするのは明らかに反則である。
だがそれほどまでにスイートポテトはオデットの心をつかんで離さなかったのだ。
「お芋……」
「うっ……」
アイリーンがたじろぐ。
「お芋……甘くてふかふかのお芋……さん」
「うっ……ううー……」
「ミルクとバターと……お芋」
「うううううっ」
アイリーンが手をバタバタと振る。
「だめー! ないものはないんだー!」
アイリーンが断るとレベッカのお腹が「くーっ」と鳴った。
「あれー?」
レベッカが首をかしげる。
「ああ、ごめんレベッカ。それにみんなも。はねた分のまかないがたくさんあるから食べてくれ」
アッシュはそう言うと、色が悪かったり割れてしまった分のケーキを出す。
さらにパイ生地の切った端の部分にジャムを塗ったものもついでに出す。
「はーいみんなー。おやつだよー♪」
この場合の『みんな』とはレベッカたちドラゴンのことである。
アッシュたちは常にドラゴン優先なのだ。
「「あーい♪」」
ドラゴンたちはおやつを食べる。
微妙に力不足なアイリーンも一緒におやつを食べる。
現在の引率の先生はアイリーンである。
レベッカもアイリーンもドラゴンたちも大人しくおやつを食べていた。
そんな状況に乱入するものがいた。
「聞いたぜ! 野郎ども!」
全身黒づくめ。
だが悪魔たちとは違い、成金趣味丸出しのオラオラ系。
ブラックコングである。
ようやく街に到着したところ、行列ができていたので商人としての興味本位で乱入したのだ。
「だ、誰だ!」
アイリーンがそう言うとアッシュが立ちはだかる。
ハゲでヒゲのマフィア顔と殺人鬼顔が相対する。
お互いの視線が交わされた瞬間、二人はほぼ同時に手を差し出しだ。
そしてがっちりと握手をする。
二人に言葉は必要なかった。
見た目はアレだが二人とも善人だったのだ。
「よう兄弟」
ブラックコングが言った。
すでにブラザーである。
「ああ、俺はアッシュ」
「その全身から漂う甘いにおい。歴戦の菓子職人とお見受けする」
「ふふふ……」
※キャリア半年未満である。
そんな意味もなく暑苦しい男たちが握手を交わしていると高い声がする。
「とうちゃーん」
「ぱぱー」
「こんぐー」
お子さまたちが乱入してきた。
みんなハゲ入道を好きに呼んでいる。
「おうよ。親分は今商売の話を……」
「こんぐーおちっこー」
「……ルーシー頼む」
「はい。行こうね」
「あーい!」
このやりとりでアッシュ以外の全員がこのハゲ入道が善人だと理解した。
「いいかてめえら! この俺も手伝ってやるぜー!」
コングが上着を脱いでバッグからエプロンを出す。
どうやら料理を作る男らしい。
「ぱぱは料理じょうずなんだよ!」
子どもがえっへんと胸を張る。
どうやら子どもたちに手料理を食べさせているらしい。
「それに……そこの姉ちゃん」
「おい貴様。アイリーン様に無礼だぞ」
心がこもっていない声でアイザックが一応注意した。
このブラックコングと名乗る男はどうにも脱力してしまうのだ。
「姉ちゃんはクリスタルレイクの代官だな」
「ああ。貴公は……商人か?」
「おう、俺は帝都のブラックコング。聞いたことねえか?」
アイリーンは一瞬考える。
その間に子どもたちはドラゴンたちとおしゃべりをはじめた。
「あー! 『聖人』ブラックコング!」
アイリーンが指をさす。
「あ? なんだそれ? 俺は帝都一のワル……」
「みんなー、彼はなあ、すごーい偉い人だぞー。身寄りのない子どもや奴隷市場に売りに出された子を引き取って育ててるんだ。顔が怖くて態度も悪いけど、あの強突く張りな教会が『なるべく仕事を回してやれ』って言ってるんだぞ」
「うわ。マジですか?」
アイザックが驚く。
アッシュも驚いている。
「もう何人も社会に送り出してるんだよ。こないだ判事補になった子もいるんだぞ!」
「いや姉ちゃん。俺はワル……」
「いやー……こういう人がもっといれば世の中良くなるんじゃないかって噂の人物だぞ」
ブラックコングは義理人情の世界の人に人気の人物である。
「あのな……俺のイメージが……」
「それでそのたいへん徳の高い商人が我々を手伝ってくれるのか?」
「ああ。これでも俺は……甘味のプロフェッショナルだぜ!」
その豊富な子育て経験から繰り出されるレシピはけっこうな数である。
「手伝ってくれるか……兄弟」
アッシュが笑う。
「もちろんだ兄弟」
凶悪な顔の二人が厨房で腕を振るう。
もう終盤だったがそれでも戦力だった。
あっと言う間にスイートポテトの在庫は尽き、最後のケーキを渡すと全員へたり込んだ。
ちなみに子どもたちとドラゴンは淑女亭の2階でお昼寝している。
「それで……この足りないのはこの芋だな……」
「ああ、俺たちじゃ今から買い付けに行っても間に合わない」
「俺に任せろ。なあに俺は商人だ。どうにかしてやる」
ハゲ入道がガハハと笑う。
こうして材料調達の道は開けた。
それが、新大陸征服の第一歩だとは誰も気づかずに。
淑女亭の2階。
ドラゴンたちと子どもたちは目をぱっちりと開けた。
「ケーキ好きですか?」
レベッカが小さい女の子に聞いた。
「うん!」
「ではケーキさんを増やしましょう……」
「それはダメ」
レベッカは首をかしげた。
「ダメなの?」
「うん。ぱぱが『自分でできることはなるべく自分でやれ。みんなもギリギリまで手を貸さないで見守ってやれ』って。ぱぱならお芋さんを集められると思うの」
結構しっかりとした教育である。
実際、幼い子どもたちはちゃんと服を畳んでから寝ていた。
「あい! じゃあ今回はギリギリまで魔法は使いません!」
「「さんせー♪」」
ドラゴンたちは同意した。
こうして使わなかった魔力がどこに行くのか?
それが問題なのである。




