瑠衣さんと哀れな傭兵さん
※微グロ注意
人知れずクリスタルレイクに危機が迫っていた。
赤く塗られた斧が描かれた旗を掲げる騎馬が森を疾走していた。
彼らは『紅い斧』。ノーマン共和国軍に雇われた傭兵である。
彼らの使命は戦乱で治安維持が困難なクルーガー帝国国境地帯での破壊工作。
村を襲い略奪を繰り返す。そしてこの地域の経済を崩壊させ反撃する地力を奪う。それが目的である。
前日も面白半分に村を焼き住民をさんざんおもちゃにしてから皆殺しにしたところだ。
彼らはその魔の手をクリスタルレイクへと伸ばしたのである。
彼らはたぎっていた。
ただ欲望のままに奪い、焼き、殺す。
まさに好き放題の無法を繰り返していた。
こんなに楽しいことが他にあるだろうか。
そうまで思っていたほどだ。
血に酔った彼らは途中にある集落も根絶やしにしていく。
「ぐははははは! ノーマン共和国様々だぜ!」
筋肉質の男が豪快に笑った。
男の殺戮を駆け抜けたその鎧は血に染まっている。
「げへへへへへ。いっそ国でも作っちまいますか」
背の低い醜男が尻馬に乗った。
「ぐははははは! そいつはいい」
頭と言われた男が笑うと手下の傭兵たちも一斉に笑った。
男たちは知らなかった。
クリスタルレイクにはアッシュがいることを。
クリスタルレイクになんか攻め込んだらアッシュに皆殺しにされるのがオチであることを。
この時点ですでに彼らは詰んでいたのだ。
だが彼らはそれではすまかった。
クリスタルレイクにはもっと厄介な悪魔がいたのだ。
男たちの馬が街道を駆け抜けクリスタルレイク近くまでやって来る。
作戦はいつも通りだった。
馬で街に入るや否や火炎壺を投げ放火。
慌てて消火をしようと駆け寄る村人を弓矢で片付けあとは村を蹂躙するのだ。
頭は有頂天になって馬を走らせる。
傭兵たちは幸せだった。
だがその幸せは唐突に終わる。
突如として馬が跳ねまわった。
「ぐううううッ!」
馬は狂ったように何度も跳ねる。
頭は手綱にしがみつきなんとか振り落とされずにすむ。
だがそれも無駄な努力だった。
「ひいいいいいいんッ!」
さんざん暴れた馬が崩れ落ちる。
そしてすぐに動かなくなる。
頭は死んだ馬の巨体に潰されていた。
「ぐうッ! 誰か、助けろ……」
頭は助けを呼んだ。
誰か、誰か、この重い馬をどけてくれ。
そのとき薄れそうな頭の意識に声が響く。
「あらあら。お馬さんまで巻き込んでしましましたね。かわいそうに」
それは女性の声だった。
貴族の子女のような上品な印象の声だった。
「だ、誰だ」
精一杯の声を振り絞って頭は怒鳴った。
相手が女だと思って侮っていたのかもしれない。
「これは失礼。私は瑠衣と言います」
何者かが上から頭の顔をのぞき込んだ。
それは男装をしたやたら顔のきれいな女だった。
だがその瞬間、心臓を握りつぶされたかのような不安と恐怖に頭の胸は潰される。
動悸がし呼吸も浅くなる。
「お、お前はなんだ?」
「アークデーモンの瑠衣と申します」
瑠衣はいつもとは違いちゃんと自己紹介をした。
「あ、あ、あ、悪魔か!?」
「はい。悪魔です」
瑠衣はあくまでニコニコとエレガントに答えた。
頭の目が濁る。よからぬ事を思いついたのだ。
男は瑠衣に訴えかける。
「よ、よう、アンタが悪魔だったら魂と引き替えに俺を助けてくれねえか? お前ら悪党の魂を集めているんだろ?」
頭はありったけの勇気を振り絞ってニヤニヤとする。
どうやら自分が助かる光明を瑠衣に見いだしたのだろう。
瑠衣はにこりと笑う。
頭の顔が期待に満ちあふれる。
だが彼は知らなかった。
なにも悪魔は悪党の魂を集めているわけではないのだ。
「お断り申し上げます」
それは死刑宣告だった。
瑠衣は邪気のない笑顔で頭を突き放したのだ。
「な、な、な、なんでだ。俺は地獄にふさわしい悪党だろ」
「いいえ」
「何百人って殺した男だぞ」
男はなんの自慢にもならない非道な行いを瑠衣に披露した。
瑠衣はだからどうしたといった様子だ。
興味がないのだ。
「貴方の魂は必要ございません。いえ我々は誰の命も欲しておりません。我々は人間の苦しむ感情、不幸を食べているのです。確かに殺戮者はデーモンになる資格を有しますが天界との戦争中でもないので人材は間に合っております。我々は小食ですが数が多いのです」
「お、おい、俺は使える男だ。人間を苦しませるのは得意だぜ。な? 助けてくれよ」
「なりません。貴方はデーモンになるには単純に実力不足です。勇気を振り絞って私めに斬りかかるくらいの気概を見せるのが最低条件にございます」
瑠衣に斬りかかるというのは英雄の素質があるということだ。
それほどでないといらないほど悪魔は人材が余っているのだ。
その点、動じなかったアッシュとツッコミで頭がいっぱいだったアイリーンは瑠衣の基準では合格である。
充分に英雄の素質を持っていると言えるだろう。
「そうかよ! くそ、こんなところで死んでたまるか! 誰か俺を助け起こせ!」
頭は身をよじりながら怒鳴った。
そんな頭へ瑠衣はニコニコしながら言った。
「ご安心ください。貴方様は死にません。私ども悪魔族は初代皇帝との約定により帝国内において貴方様のような外道を食料として狩る権利を頂いております。貴方様の身柄は地獄にて預からせて頂きます」
「しょ、食料だって! 俺を食うのか? やめろ! 俺はそんなの嫌だ」
頭は必死になって暴れる。
「まさか。我々は人間の肉を食べたりなんてしません。我々デーモンが糧とするのは人間の苦しみや憎しみ、絶望、つまり不幸にございます。殺してしまっては収穫量が少なくなってしまいます」
「こ、こ、こ、殺さないのか?」
「ええ、もちろん」
瑠衣の目が開く。
頭の脳裏に都合のいい希望が湧いた。
だがその途端、馬に潰されたままの頭の膝が震える。
それは瑠衣の目だった。
瑠衣の目は慈愛に満ちていた。
だが頭は気がついた。
瑠衣のその眼差しは人間が家畜に向けるような視線だったのだ。
頭は思った。
やばい。こいつはやばい。人間の常識が一切通用しねえ。
ダメだ。こんなのに関わったら死ぬだけじゃすまねえ。
「クソッ! その目はやはり殺すんだな」
「いいえ。貴方様には暗くて小さな箱に入って頂きます。ご安心ください。死にはいたしません。生きてる限り永遠に閉じ込めるだけでございます。舌をかみ切ろうとも自分で首を絞めようとも魔法で復元して差し上げます。どんなに泣き叫んでもあなたは死ぬまでこれから一人でいて頂きます」
冗談じゃない。
頭は焦った。
箱に閉じ込められるってそんなのは嫌だ。
しかもそんな状態でも殺してくれないなんて。
「ひいいぃッ! やめて……やめてくれ。そんな酷いじゃないか!」
瑠衣の眼差し。
それは家畜を見る人間の目だと思っていた。
だがそれも違ったのだ。
瑠衣のそれはもっと達観したものだったのだ。
悪魔は人間の苦しみを頂く。
だからこそ悪魔は人間が好きだし真の意味で人間の幸せを願っている。
彼らの命は人間の犠牲の上に成り立っているのだから。
「嗚呼、貴方様を尊敬いたします。私どもの糧としてその身を捧げて頂くのですから」
そう言うと瑠衣はぱんっと手を打った。
すると大きな節くれ立った足を持った生き物。
あえて言えば蜘蛛のようなものが何もない空間からわらわらとわき出てくる。
そのうちの一匹がノイズ混じりのしわがれた声で瑠衣に話しかける。
「は、は、は、は、は、伯爵様。そ、そ、そ、そ、それが餌か?」
「はい。運んで頂けますか? 傷つけてはなりませんよ。食料は皆で分けねばなりません」
「ぎ、ぎ、ぎ、ぎ、ぎ、御意」
頭は泣き叫んだ。
こんな理不尽に遭うなんて思っていなかった。
死刑なんてものじゃない。
もっと酷い最後なのだ。
蜘蛛が馬の死骸をどかし、糸を吐いて頭をグルグル巻きにする。
そして器用に頭を抱えて歩き出す。
「やめて、お願いだ! 反省するから! ねえ、助けてくれよ。おねがいだからああああああああああッ!」
泣き叫ぶ頭を抱えた蜘蛛がすうっと姿を消す。
瑠衣は今度は別の蜘蛛たちへ指示を出す。
「皆さんはそこに倒れている皆さんをよろしくお願いします」
ガチャガチャという不愉快な音を奏でながら蜘蛛の大群は消えるようにどこかに行ってしまう。
それを瑠衣は頭を下げて見守った。
後に残ったのは瑠衣のオーラを浴びて心臓の止まった馬の死骸だけだった。
「犠牲になったお馬さんのことはアッシュ様に相談しないとなりませんね。無駄な殺生をしてしまいました。反省しませんと」
そう言うと瑠衣はふうっとため息をついた。
瑠衣は人や動物が死んだり傷ついたりするのが嫌いなのだ。
瑠衣は頭を切り換えるようにつぶやいた。
「今日のお菓子はなんでしょうか。甘いものだといいのですが」
悪魔にとってはお菓子は栄養にならない嗜好品だがそれでも瑠衣はアッシュの作るお菓子は心が満たされることに気づいていた。
瑠衣はくすりと笑うとすうっと姿を消した。
こうして『朱い斧』は突如として世界から消え去ったのだ。
悪魔には悪意はない。
そこにはただ自然の摂理があるだけだった。