第0話
呼吸を荒げ続ける。
やはり第十階層は無謀だった。あの時、さっさと戻る道を探しておくべきだった。
俺は歯を食いしばりながら、必死で逃げ続けた。
どこに向かっているのかも分からない。
ただ、腹の傷がジンジンと痛み、体力を奪っていく。
チラリと後ろを見やると、キメラの姿があった。
紫色の眼光でこちらを睨みつけながら、俺を追っている。
奇跡的に今走っている道は狭いため、キメラは本来のスピードで走れていなかった。
だから、俺の鈍足でも逃げ続けることが出来ている。
キメラは乾いた鬣を靡かせながら、追ってくる。
やがて広い所に出た。
出てしまった、というのが正しい表現かもしれない。
さらに驚いたことに、この先に道はなかった。
要するに、行き止まりという奴だ。
壁に背をつけ、キメラの方に再び目をやった。
キメラは勝ちを確信したのか、あからさまに歩を遅め、ゆっくりと近づいてくる。
五メートルはありそうなほどの巨体だが、本来のキメラはもっと巨大らしい。
ここはダンジョンの第十階層だから、ここより下に、これよりデカいのがいるということだ。
だが、この際そんなことは関係ない。
今この場にいるのがキメラであろうとなかろうと、俺は絶対に勝てない。
武器を失ったのだ。
キメラから逃げるのに夢中になり、途中でショートソードを落とした。
拾えるわけもなく、すぐに背後で金属が踏みつぶされるような音を聞いたのを覚えている。
キメラは唾液をたらし、俺に顔を近づける。
息は異臭、なんというか、魔物の臭いだ。
獣の臭いとはまた違う、独特な嫌な臭い。
(あぁ、終わったな。短い人生だったなぁ)
17年前に、俺はとある地に生まれた。
俺が生まれた地は、周りが高い山々で囲まれており、その山には魔物が住み着いていた。
しかし、優秀な魔術師によって張られた結界のおかげで、魔物は一切俺の生活を脅かすことは無かった。
だから俺は、11歳になるまで魔物の姿を見たことがなかった。
11歳の時、俺は何を思ったか、結界の外に出た。
普通なら魔術師の許可がなければ結界の外には出られないのだが、その時は何故か出られた。
案の定、俺は森で迷い、見たこともない化け物に遭遇した。
これが魔物か――――――――
俺は11歳ながら感じた、その時のリアルな感覚を今も忘れられない。
そして死を覚悟した俺を、あの時、あの人が助けれくれたことも、忘れない。
切断音と共に、俺の体に数滴、血が滴った。
眼前まで迫っていたキメラの顔面は、ゆっくりと俺の視界から外れ、やがて地面に転がった。
胴体はブルブルと震え、やがて黒い靄のようになって消えた。
残ったのは、魔晶だけだった。
「おいおい…まさかと思ってきてみたら、やっぱりか」
爽やかなこの声、呆れた声色。
間違いない、あの人だった。
「俺の知ってるお前は、三階層の魔物ともろくに戦闘できないヘッポコだったはずだが?」
「ははは、うるせえな」
俺は手を借り、奇妙な安心感に包まれ、立ち上がった。
服に付いた血に若干顔を渋めたのを、その人は見落としてなかった。
「助けてやったのにその顔はなんだ?文句の一つでも言う気か?」
「そんなことないぞライディア。誰にでもミスはある」
「あんま調子乗ってっと二十階層にぶち落とすぞ?」
ライディア・ハルクスブルク。
冒険者最高ランクSの超一流冒険者だ。
灰色の髪に黒縁のメガネが特徴的の男だ。
一見真面目そうだが、喋ってみると意外と毒舌。
真面目ではあるが、いい意味で楽観的なところもある。
ライディアは、薄暗いダンジョン内でも銀色に光輝く剣を、腰の鞘に納めた。
そしてあたりを見回した。
「ここら一帯の魔物は片付けてきた。帰り道は安全なはずだ」
「さすがライディアだな、服に付いた血のことはなかったことにしてやろう」
俺は11歳の時、何を思ったか結界の外に出た。
そこで魔物と遭遇し、11歳ながらに死を覚悟した。
だが、俺は助けられた。
この男、ライディア・ハルクスブルクに守られた。
それが、俺とライディアの出会いだった。
「そうだ、ジオ」
俺はライディアに名前を呼ばれて、我に返った。
「お前にとって良いか悪いか…それは分からないが、一つ話がある」