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3 シファの事情―――自力で動く艶やかな合成花

 シファはそのまま、頭を抱えて、固くつぶった目を開こうとはしなかった。唇を強く噛んで、数字を口の中で数えているような音が、藍地の耳に届く。


「…だけど、俺らはそれを聞かないことには、次の行動には移されないよ」


 皿を積み重ねながら、さりげなく、だけど容赦なくハルは言う。


「どっちが大事? 君には」

 それでも閉じた瞳は開こうとはしない。藍地にも、薄々事態は理解できていた。


「認めたくないとは思うけど、目を開かんと、君の大事なマスターの…」

「止めて下さいっ!」


 同じ言葉だった。だがその調子は違っていた。


 同じ彼女だろうか?


 朱明は目を見張る。そして彼女と交互に、自分の相棒に目をやる。ハルの表情は変わらない。だがそういう時こそ本気だ、ということは、長いつき合いの中で、彼がよく知っていることだった。


「ええそうです!わたしの… わたしのマスターは、亡くなったんです! もう、この世の何処にもいないんです!」

「…だよね」


 静かにハルは言う。ガラスのコップが、シンクの中で音を立てた。

 藍地はややまぶしそうな顔になる。なるべくだったら、女性の悲しむ顔は見たくない。それがメカニクルだとしても。

 そして朱明は、煙草をもう一本出しかけ…やめた。とん、と箱をテーブルで叩き、出しかけた一本を押し込め、彼女の方を向く。


「…と言うことは、あれは借金取りか何かか?」

「いいえ。あれは、マスターの親族の方々です」

「親族? 何で親族が君を追うんだよ?」

「判りません」

「判らないって」


 朱明は眉を大きく寄せると、こめかみをかりかりとひっかく。合点がいかない。


「判らないんです。…とにかく、亡くなったことを地球へとお知らせしたら、いきなり… でも今まで一度もこちらへなんか来たことのない方々なんですけど」

「用事があるんだろ」


 ハルはぼそっと言った。


「用事?」

「…ああ、単純に考えりゃ、遺産とか色々考えつくよな。だけど俺はあの花屋さんがそんなに隠し資産していたようには見えねえけどな」


 うーん、と藍地は腕を組んで考え込む。


「遺産と言っても… うちの花屋は、そんなに多くの利益を上げるというものではなかったし… それにマスターは貯め込むより、研究にそれを使ってしまうようなひとでしたから…」

「研究?」


 藍地は眉を大きく上げる。朱明はほー、と感心したような声を上げた。


「あのじーさん、科学者は何かだったのか?」

「科学者… と言えば、そうです。少なくとも、地球に居た頃は、研究室勤めをしていましたから… 生物学で… ご存じですか?」


 そう言ってシファは、世界でも名の知れた大学の名を出す。げ、と朱明は目を丸くした。


「…ちょっと待ってシファ」


 藍地は手を上げる。


「もしかして、君のマスターって、クム・ダールヨン氏?」

「…ええ」


 誰だよ、と朱明は身を乗り出す。


「誰って… って言ってもお前知らないよなー…」


 うるさいよ、と言う友人の悪態は丁重に無視して、それでも藍地は事情を知らない二人のために説明を始めた。


「俺等があの街から外に出た頃だよ」


 ぴくん、とハルの眉が片方だけ微かに上がる。


「ほら、報道機関っていうのは、『事件にできない事件』は載せないかわりに、その時にちょうどあった事件だと、結構大げさに騒ぐじゃない? そんな感じがしたんだけど」

「ん? ちょっと待てよ? それなら俺も何か記憶がある」

「お前でも覚えていたの?」


 カウンターの向こうの相棒は、くくく、と笑いを含みながら容赦ない言葉を投げる。たまにはあるんだよ、と朱明は返した。


「花だの植物がどーの、とか言ってたんじゃなかったっけ」

「そうです」


 シファが藍地の代わりに答えた。


「マスターは植物の研究を、地球に居た頃からずっとしていたんです。だけど、十年くらい前から、何か研究について悩んでいました」


 何で、とハルは短く訊ねる。


「理由は二つありました。一つは研究室の方針に合わなくなってきていたこと」

「もう一つは何なんだ?」

「価格です」


 価格? と朱明は再び眉を寄せた。


「何それ、まさか研究室が花は高いから予算は出さねえってことじゃないよな?」

「違います。わたしの言葉が足りないんですね。…え… と… 何って言ったらいいんでしょう… あの、朱明さん、うちの花ってどう思いました?」

「どうって?」

「生花にしては、安いと思いませんでした?」

「安いって… あー…」


 正直言って、朱明はそこまで考えたことはなかった。

 花なんて買う用事自体が結構面倒なものだったので、一度気に入った店であったそこ以外、他で買うこともなかったのだ。だから彼は相場を知らない。困っている彼のもとに、以外にも相棒が助け船を出した。


「安いよ」

「安いのか?」

「お前前に、うちで知り合いのバンドが打ち上げした時に、花注文したじゃない。結構量あったろ。で、直接請求書が俺のとこにきたから見たんだけど、何じゃこれは、と思ったよ俺は。てっきり合成花かと思った」

「そういえばそういうこともあったなー」 

「合成花と同じくらい?」


 藍地は信じられない、という顔になった。


「…いえ、違います、ハルさん」


 シファは首を小さく振った。


「あれは合成花なんです」


 何だって、とハルはその時やっと手を止めた。


「嘘」

「嘘じゃないです。あれは、合成花なんです。マスターが作った花です。この地で、わたしたちが作った、合成花なんです」

「そんな馬鹿な。俺、どう見ても本物の花にしか見えなかった」

「俺も一応見たけど、本物に見えたぞ…」


 ええ、とシファはうなづいた。


「そう見えるはずです。それこそ、専門の方がそれなりの見方をしない限りは判らないはずです」


 藍地は三人のやりとりを聞きながら、こめかみにシワを寄せて、合成花と生花の違いについての記憶をひっくり返していた。

 合成花は、元々は地球上の、寒冷地で植物の少ない地域、は乾燥地で花や観葉植物の育ちにくい地域、また海上都市といった所等に、生花の代わりとして開発されたものとされている。

 正確に言うと、それは「つくりもの」ではない。一応生物には違いないのだ。ただ、その元々の花とは、祖が違うのだ。合成花は、植物ではなかった。合成花は、動物の一種なのだ。

 「フォロウ」と呼ばれる生物がある。藍地があるルートから聞いたところによると、それは元々生物兵器の一種だった「デザイア」という生物が、実験中に突然変異を起こしたものらしい。

 偶然生まれたそれは、繁殖率がそもそもの植物よりも恐ろしく速く、そして「花開いてからは」、その見かけの形を生花より長く保つことから、地球外に持ち出され、あっという間に、生花よりもずっと価格も下がって、一般市民の間にも広まって行った。

 ただ、それには難点もあった。本物の生花に比べ、どうしても見た目には劣るのだ。その色の鮮やかさや大きさ、花びらの形や巻き方といったものが、やはりやや違う。

 そしてもう一つ。動いている人にはまず判りはしない程微かにだが… それは、自分で動くのだ。

 それが気持ち悪い、と思う程敏感な、そして裕福な人々なら、まず手は出さない。

 だから、確かに合成花は広がりはしたし、地球外惑星に流れた裕福ではない人々に愛された。

 その反面、生花の価値がどんどん上がって行って、庶民の手にはなかなか届きにくいものとなってしまった。


「マスターは、地球で、合成花の当初の開発メンバーでもありました。中心でした」


 つまり藍地の記憶の中では、彼女のマスター… クム・ダールヨン博士は、合成花の開発よりは、それ以前の生物兵器の開発者としての方が大きかったのである。新聞記事にしても、氏については、合成花よりはそちらの面をクローズアップさせていた。

 だがシファにとってはそうではなかったらしい。


「マスターの夢だったんです。地球の、何もかも枯れ果てた大地を花や草木で埋めることが」

「だけどシファ、合成花は植物じゃないんだろ?確かに形はそうだし… そりゃ確かに、自発的に動くことは少ないし、地中に根みたいなものを張って生きられるけど… でも、動物だ」

「植物だって動きます。ただ人間はそれをじっと待っていられないだけで」

「いやそうではなくて」


 視点が違う、と藍地は言葉に詰まった。


「それに、似ているけど違う、というのなら、わたしたちだってそうです… 確かに人間のような形は持ってるし、同じようなことはできますけど… でも人間ではありません。他の動物より、ずっと人間からは遠いものです」

「…そう思うの?」


 不意にハルは訊ねた。いつものあの、重力の無い声で。

 ええ、とシファはきっぱりと答えた。



 また夢の中だ、と彼は思った。

 

 闇の中、桜の花だけが、浮かび上がっている。花びらを散らしている。ゆっくりと。

 やはり音も無い。風もない。

 だが。

 彼はゆっくりとその場から足を踏み出す。素足の底には、冷たい花びらの感触がある。

 この間とは、違う。

 降り積もる、花びら。大きな桜の木。見上げると、空一面をその腕で抱き留めるような、その木の根本で、誰かが静かに泣いている。

 降る花びらの、うずたかく積もったその上で、それを抱きしめるようにして、声も立てずに、誰かが泣いている。

 誰だろう、と彼は思った。誰が、泣いているのだろう。

 彼はゆっくりと近づいていく。冷たい感触の花びらが、ざわりと足下で動いた。

 見覚えがある。

 見覚えのある背中、肩の線、髪の揺れ。


「…おい」


 それは、振り向いたような、気もした。



「…おい!」


 同じ言葉で、彼は起こされた。だが自分の声ではない。重力の無い、相棒の、あの声だ。


「…何」

「何じゃないよ朱明。何だよこの汗… うなされて」

「うなされて、いたのか? 俺は」


 次第に闇に慣れていく目。相棒は確かにうなづいていた。つと手を伸ばし、肩に触れる。


「…だから何なんだよ」


 ハルは容赦なく声を投げる。だが別段その手を払おうという気配はない。すべらせる指。その輪郭が、夢の中のものと重なる。まさか。


「話くらいなら今つきあってもいいけど」


 そしてようやく、手をゆっくりと肩から除ける。ああ、と朱明はうなづいた。彼もまた、そういう気分ではないのだ。


「お前何か目算ある?」


 ハルはよいしょ、とブランケットの一枚を自分の方へまるごと引き寄せ、その場に胡座をかく。朱明もまた、起きあがり、片胡座になる。


「シファの『お願い』か? …まあ正直言って、無い」


 そんなことだろうと思った、とハルは肩をすくめる。ブラインドごしの街の灯り程度の、ぼんやりとした暗さの中で、それでもその輪郭は、次第にはっきりしてくる。いつもの姿、いつもの動き。彼は安心する。


「だけど『お願い』されたからにはな」

「全く」


 奇妙な程に共通して、彼等は女性の頼みには弱かった。それが生身の女性であるにせよ、そうでないにせよ。

 それは地球に居た頃からそうだった。朱明にせよ、ハルにせよ、たまたま知り合った女性のトラブルに、何度か巻き込まれている。

 出会うのはばらばらだが、何故か結局二人して事件の渦中に入ってしまい、「仕方ないから」何とかしてしまうのである。

 すると結局、「目立たないで生きていく」のは難しくなり… あちこちを転々とする羽目になる。

 自分の身体がレプリカントであるハルにとって、目立つのは極力避けたいところだった。

 この火星で、なるべくなら昼間動かないでいる、というのはそのためもあった。夜の世界には、同じ意味で目立つ者は、何処であってもうようよと居るのだ。時には、別の意味で「狂った」レプリカントも。

 あの後、シファは三人に向かってこう言った。


「マスターの遺体が欲しいんです」


 さすがに三人とも驚いた。何をしようというのか、と藍地はまず彼女に問いかけた。それは他の二人にとっても疑問だった。遺体を、メカニクルの彼女が。


「マスターの遺言なんです。自分が死んだら、ある場所へ埋めてほしいと」

「だったらそう親族の奴等に言えばいいじゃないか?」


 朱明はそう訊ねた。藍地もうなづいた。それは至極まともな意見だった。


「言いました。遺言があるということは」

「そしたらがらりと態度を変えた?」

「ええ」


 藍地はそう当たり前の様に言うハルの方を向く。


「わざわざ君に遺言をするくらいだから、何か君が、親族も秘密の財産を受け取った、と思った」

「ええ。でもわたし、そんなもの何一つ受け取っていません。だけどこのままでは、わたし、忘れてしまうから、その前に、マスターの遺言をかなえたいだけなんです」

「忘れてしまう」


 朱明は繰り返す。だがそれは誰の耳にも届かなかったらしい。シファは続けた。


「わたしは、マスターのお花畑に、眠らせてあげたいだけなんです」


 マスターのお花畑、はこのシティとは離れた所にあると言う。そこで彼女達は、あの安価で美しい合成花を作っていたのだという。


「その場所については親族は知らないんだろ?」

「ええハルさん。あのひと達は、マスターのことなんて、何一つ知りません。ただ、そういう習慣だから、親族としては、地球に遺体を持ち帰って、慣習通りの葬儀を出さなくてはならないということです」

「確かにそれは言えるな。彼はそういう文化圏の出身だからな。それをおそろかにすることは考えられない」


 面倒だな、と朱明は長い髪を引っかき回す。


「面倒かもしれないさ。だけど長い間の慣習とか道徳というものはそう変わるもんじゃないよ。向こうにしてみたら、失踪していた親族のはずれ者が急に亡くなったから迷惑している、とも考えられるじゃない」

「藍ちゃんは大人だねー」


 ハルはぼそっと言う。

「あんたね、この歳になって大人もへったくれもないでしょ。だから向こうの言うことはも一理あるんだよ。だけど遺言、か」

「そういう場合は、どっちが優先されるのでしょうか?」


 シファはやや不安気な顔になる。


「数では、圧倒的に君が不利だね」

「おいハル…」

「だけど、遺言だもんね」


 朱明は浮かしかけた腰を下ろす。


「なるべくかなえてやりたいって言う君の気持ちも判るよ。ただ、追ってくる連中は厄介だね。…放っておけばいいのに。だったら」

「そうできない習慣ってのが」

「だけどあの時の追い方は奇妙だったよ」


 確かにそうだ、と朱明は思う。

 あの追い方は。あんなに精巧に作られ、ブレートを髪で隠す程のデリカシイを持つ彼女が、自分がメカニクルであることを傍目にも判るような行動を取らざるを得ないような…


「でも」


 そう言って、シファは黙った。

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