平行世界 番外編 バルカンの悲劇
みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れさまです。
「空は、こんなにきれいなのにな・・・」
バルカン半島某所。
40代前後と思われる男は、伸びた無精ひげをさすりながら嘆息した。
地上は地獄だ。
同じ地球の上だというのに、平和の中にいる反対側とは大違いだ。
「同じ人間同士・・・何が違うんだ?」
もちろん、この国の歴史は知っている。
民族の違い、宗教の違い・・・血で血を洗う争いが、人々の心に憎悪を産み、憎悪がさらに憎悪を育てる。
それが、何世紀にもわたって続いている。
もはや、人の力ではどうにもならないのかもしれない。
超越した力の持ち主でも現れなければ、この現状を変えるのは無理かもしれない。
「今さら、帰りたいなんて言ったら・・・怒られるな・・・確実に・・・」
1年前に結婚した妻の顔を思い出し、苦笑いした。
国連から派遣される医師団のメンバーに志願した時、妻は猛反対した。
ここが、どれ程危険か妻は知っていたからだ。
国連なんて看板が、役に立たない事を知っていた。
怒って、怒って、最後には泣いて反対した。
それをひたすら説得してようやく納得してもらった。もっとも、納得はしていないだろう。
自分の強い気持ちを理解はしてくれたが・・・
仮設の救護所は、大勢の怪我人が運びこまれていた。
どうやら、近くの市街で空爆があったらしい。
運び込まれてきたのは、女性や子供等の民間人ばかりだった。
同僚の医師たちと治療に当たるが、ほとんどが手の施しようがなかった。
人員も足りない、医薬品も足りない。何より、ここもいつ攻撃を受けるかわからない。
国連も政府も人道支援を謳い文句にしているが、所詮は表面を取り繕っているだけとしか思えなかった。
こういった事で、被害を受けるのはいつも弱い人たちだ。地球の反対側にいる人たちは知っている。そして、それに背を向けている。
妻は、少なくとも自分よりは戦場の現実を知っていた。ただ、彼女も知っているだけだろう。
何しろ、彼女の所属している組織は1度も戦争をしたことがない軍隊なのだから・・・
数ヶ月後、国連から派遣された日本人医師を含む医療チームの救護所が、武装勢力の襲撃を受け、そこにいた医師、看護師全員が惨殺された。
理由は、「自分たちの敵を治療するから」・・・それだけだった。
1人の日本人医師は、幼い子供を庇うように覆い被さった状態で、射殺されていた。
このニュースがある新聞の片隅に掲載された頃、日本国国会において、憲法の改正と自衛隊法の改正が、賛成多数で可決された。
広島県呉市近郊。
1人の黒の幹部用制服の男が、1軒の喫茶店で新聞を読んでいた。
稲垣海夫1等海佐は、自分の腕時計と店の壁にかかった時計を見比べて、すでに約束の時間から30分が過ぎようとしているのを確認した。
カランという、店のドアの開く音と共に客が入ってきた。
「いらっしゃいませ~」
明るい口調で挨拶する店員の声。
足音が近づいてくる。
「すまない、待たせた」
ぶっきらぼうな口調で謝罪すると、女性自衛官は差し向かいに座った。
「急に呼び出して、申し訳ない。紅茶で良かったかな?」
「・・・ホットでいい。素面で聞ける話じゃないだろう」
注文を取りに来た店員に声をかけようとした稲垣を遮るように、彼女はぶっきらぼうに言った。
「で、話とは?」
「汎用護衛艦[おおなみ]砲雷長来島周1等海尉を、3等海佐に昇進の上、明日付けで、イージス護衛艦[あさひ]砲雷長に転属させる」
ごく自然な口調で稲垣は告げ、相手の反応を伺うように顔を見る。
「妹から聞いている。人事部の決定事項だろう、そんな事をいちいち言いに来たのか?」
感情のこもらない事務的な口調で彼女は言って、嫌いなはずのコーヒーを一気に飲み干し、伝票を奪いとって席を立つ。
「上の決定にとやかく言う気も権利もない」
さっさと2人分のコーヒー代を支払いながら、彼女は言い捨てた。
「君も、暇じゃないだろう。わざわざ、私に直接言いに来てくれたことには感謝するが、時間の無駄だ」
「・・・・・・」
店のドアを開けながら振り返った彼女は、一瞬だけ鋭い視線を稲垣に向けた。
その唇が微かに動いたが、声は聞こえなかった。
しかし、稲垣には何を言っているかが、わかった。
「妹を死なせたら許さない」
彼女は、そう言っていた。
ため息をついて、稲垣は2杯目のコーヒーを注文する。
新聞の1面には、[自衛隊、バルカン半島への平和維持軍への参加決定]の文字が大きく載っていた。
番外編をお読みいただきありがとうございます。
誤字脱字があったと思いますが、ご了承ください。
次回もよろしくお願いします。