年に数度の雨
真昼の、あまりの高温で目の前が揺れるように映る砂の大地。
これ以上は危険と判断し岩場の影に座り汗を流していると、無駄に元気なアホ二人が少し離れた所にある井戸に落ち、盛大なため息をついた。
ダスクを連れて近づくと、ちょうど砂埃を被ったリカルロが自力で這い上がって来たところで、俺が不機嫌に腕を組み見下ろすとヘラヘラとそいつは苦笑した。
「で、収穫はあったか?」
「…それが下まで全部もぬけの殻でさぁ!ハッハッハ!!」
そう言って笑うそいつを前に、俺は顔に手を当てると再びため息をついた。
悲しそうな鳴き声を上げるダスクを撫で、綱を井戸の近くに引っ掛けると、砂まみれのアホに手を貸して引き上げる。
「もう一人のアホはどうした?」
「あぁ!大丈夫だぜ、下で伸びちまったから鞭を体に巻きつけて来た!これで後は引き上げるだけよぉ!!」
そう言ったリカルロを制止するら間も無く、目の前のアホは大きく振り被るように鞭を振ると、物凄い音を立てながら井戸の中に彼方此方体をぶつけたポープが砂にダイブした。
…死んだか?
「…リカルロ殿〜、もうちょっと優しく引き上げて欲しかったですぞ〜…」
「そうかぁ?済まなかったなカッカッカ!!にしてもお前しぶといなぁ!!」
砂からポープを掘り起こすリカルロ、只でさえ水不足に悩んでいた俺はその二人を見るたびにターバン越しに頭を抱えていた。
夜、皆が寝静まると俺は石を並べ現在地と先にあるはずの町までの距離を焚き火に照らされながら考えていた。
「…なんだぁ?お前まだ起きてたのかスコーピオン」
寝ぼけ眼のままアクビをしながらそう言ったリカルロに容赦なく石を投げるが、簡単に弾かれた。
「その名で俺を呼ぶんじゃねー…!」
「おぃおぃ、堅いこと言うなよ兄弟」
静かな怒りをぶつける俺に対し悪びれもせずヘラヘラと笑い飛ばすリカルロ。
…マジでイラッとする。
「こん詰めんなよ、ぶっ倒れるっぞ」
それだけ言うとリカルロは再び何事もなかったかのように背を向けて横になった。
俺はターバンを取りまた一つため息をつくと、そのまま眠りについた。
また朝が来た。
水はやはり足りない。
代わる代わるダスクに乗って移動してきたが、それも限界かもしれない。
休憩の度に石を並べ、距離を計って考えるが町がまだそこにあるかも分からない事も考慮するとこのまま進んで良いのかがわからなくなる。
そもそも、アーリーがこの方向に進んだ保証は何処にも無いのだ。
「…おぃ、また石なんて並べてんのかよ」
頭を抱えていた俺の肩に手を乗せると、リカルロが軽食を…と言っても極少量を片手に言う。
そして肩に乗せていた方の手を伸ばし、並べた石と砂をバラッバラに掻き分けた。
「…オォい!何するんだよ!」
声を上げて抗議しようとした俺の口の中に食べ物を突っ込むと、リカルロはむせ返る俺を見ながら高笑いして言った。
「考えたって無駄な事考えてんじゃねぇよ!時は運、世は流れ!何でもなるようにしかならねぇもんさ」
カッカッカと声高々に笑いながら元いた位置に戻っていくリカルロ。
…気遣われている。
何とも情けない気分になりながら朝食を眺めると、静かにターバンを巻き直した。
日照りが続く。
ここで次の町までやっと八分目か…。
砂はあまり飛ばないが、吹かない風にジリジリと照らす太陽が体力を蝕む。
これには流石のポープも、数日前から竪琴を弾かなくなった。
しかし常に指は添えたままなのは、最早執念を感じる。
「にしても、良く道がわかるなぁ…俺には砂山ばっかでどっちがどっちかわかんねーや!」
自分も汗だくの癖に妙に高笑いばかりして場を和ませる男に、視界の片隅に映る岩場と地平線を指差しながら答えた。
「夜、ポラリスがあの岩場の先に見えた。俺たちが目指すのは北東の町だからあの岩場を目星に斜め先を目指せばいい」
「ポラリス?…何だか知らねーが、まっ、こっちで良いんならそれでいいことよぉ!」
再び高笑いしようとしたリカルロを制止し、立ち止まって話す。
「もういい、気遣いは無用だ。お前こそぶっ倒れても知らねーぞ」
しかし、リカルロは少し下を向いて歯をむき出して笑うと俺たちの前に出て大きく手を伸ばしながら言う。
「そいつぁー無理ってもんだぜぇスコーピオン!笑ってねぇ俺なんて俺じゃねぇからな!」
呆気に取られる俺たちに手をまた薄皮のマントの中に戻すと、悪戯っぽく子供のように笑いながら続ける。
「昔生きてた頃、バーチャンが言ったのよぉ、オメーはバカだけど笑うと皆んな元気になるなーってさ。この乾いた大地で心が潤うんだとよ、嬉しいじゃねーか」
カッカッカと高々に笑い、空を見上げてリカルロは息を吐き捨てる。
「言ったはずたぜ。時は運、世は流れ!なるようにしかならねーんならせめて自分らしく行こうぜ!」
自分らしく…。
その言葉に俺はアーリーの言っていた言葉を思い出す。
〝君は大袈裟に笑っているより、そうしている方が自然だな〟
「その通りですぞ〜!!」
目を丸くしていた俺の後ろでポープがメチャクチャに弦を弾きまくる。
それを見てリカルロは更にまた声高々に笑う。
「おぉ!いいねぇ、その調子その調子!」
前と後ろ両方をアホに挟まれ、俺はまた顔に手を当てる。
そして口元からため息が漏れるはずだった。
…が、どういうわけか呆れながら笑っている自分がいる。
無駄な体力を使って、最後は大いに爆笑していた。
砂漠のど真ん中で笑っている男三人。
誰かに見られたら絶対に気が狂ったんだと思われるだろう。
暫くして俺のターバンに首を寄せてきたダスクがくすぐったくなりそれを除けようと手を伸ばす。
「…やめろダスク…やめろって!」
何度も首を寄せてくるダスクを疑問に思い、地平線を見上げると、強い強風が俺たちの横をすり抜けた。
「ヤバイ…」
視線を逸らさずに空を見上げる俺に、他の二人も空を見上げる。
空から落ちてきそうな程に巨大な雨雲だ。
それを見て、リカルロやポープでさえもその場に立ち尽くす。
この砂漠には、年に数回雨が降る。
一見喜ばしい事に思えるが、旅人には不足の事態だ。
俺達は普段、歩きやすいという理由で常に流水のないワジと呼ばれる涸れ川を通っている。
そこで一つ知って置くべき事がある。
この砂の大地は実は水捌けが良さそうでいて、軽い砂の部分は表面だけであり、そのすぐ下は全てほぼ岩版だ。
そんな場所に、年に数度の凄まじい豪雨が降るとする。
普段乾き切ったワジはたちまち水で溢れ土石流となり押し寄せて…。
「急いで岩を登るぞ!!」
俺が叫ぶと二人も慌てて駆け出し、岩場に向かう。
しかし無情にも雨が降り始めた。
服が重くなっていく…。
「ダスク!?」
ダスクが後ろから俺たち三人を首を器用に動かし背中に乗せて駆け出した。
少しづつ、足元に水が流れ出す。
「ダメだ間に合わない!」
「任せとけ!!」
そう言うとリカルロはダスクの上に立ち長い鞭で俺とポープを縛り上げると、そのまま昨日井戸から投げ飛ばした様に岩場の上に放り投げる。
岩場に打ち付けられたポープと滑りながら降り立った俺は慌てて下を見る。
続いてダスクが、スライドしながら岩場の上を弧を描いて回った。
土石流が流れてくる。
「おい、リカルロはどうした!?」
無駄とわかりつつもダスクに尋ねるが、ダスクは疲れた表情でただ首を地につくのみだった。
下を見下ろすが、そこには凄まじい勢いで流れる土石流のみでリカルロの姿がない。
「リカルロー!」
「リカルロ殿〜!」
ポープと共に叫んでみたが返答がない。
…岩に拳を打ち付けて背中から座り込む。
「…ふざけんじゃねー!勝手に死ぬんじゃねーよアホがぁ!!」
しかしそこへ影を落としながら、大岩が落ち、それを追うようにその上にリカルロが降り立った。
それと同時に、留め具が外れリカルロのバンダナが落ちる。
「リカルロ…お前生きて…」
唐突過ぎて俄かには信じられないでいる俺にリカルロはふて腐れた顔で向き直ると、つかつかと近寄りボカリと結構本気で頭を殴った。
「誰がアホだ、勝手に殺すんじゃねぇ!このスコーピオンが!」
一瞬たじろぎ頭を摩ったが、すぐに応戦して殴り返す。
「ふざけんじゃねー!この蛇野郎が!生きてんならそう言え!!」
「バッカ野郎!そこはスネイクと呼べスネイクと!!」
突付き合いを始めた俺たちを横目で見ていたポープは、徐に竪琴を逆さに掴むと素振りをする様に俺たちを殴り飛ばした。
「喧嘩はよろしくありませんなぁ…」
そして緩く編み込んだ髪についた雨を振り払うと、唖然とする俺とリカルロを捨て置き勝手に唄い出す。
我らは旅人
水辺を求め 雨降らす
光の蝶よ 水をおくれ
乾いた者に 慈愛をおくれ
相変わらず、歌詞は意味不明だった。
だが、今日はいつもと少し違う気がし、何となくそれに聞き入っていた。
唄い終えて弦を数回弾くと、ポープは得意げな顔をして言う。
「最初に言いましたでしょう?天才ですと」
…最後は少し鼻に掛かったが、今のは悪くはなかった。
その後、暫くして雨は止んだ。
岩場に溜まった水を補給し、濡れた服を絞る。
「さぁ、無駄に血の気の良い皆さん!行きますぞ〜!」
「うるせぇ、お前が指揮んなよ」
いつものように高いテンションで弦を弾くポープを見て、少し安堵しながら歩き出す。
そして俺の後ろをついてくる奴らを改めて見て思う。
コイツらはアホだけど、タダのアホじゃない。
そんな俺と目が合ったリカルロが、またふて腐れた顔をして俺に駆け寄ってきた。
「おぃ!今また俺を見てアホだと思っただろう!!」
ヤベェ…!
ダスクに乗って逃げる俺を本気で追ってくるリカルロと、ヘラヘラと幸せそうに竪琴を持ってそれに続くポープ。
「待ちやがれ!このスコーピオン野郎が!」
「中々にそれは卑怯ですぞ〜!」
干上がりに暫し潤いを得た地に三人と一匹。
今日も無駄に体力を削って、バカをやっている。
この先何があるかわからないが、全てわからないのならば、本当になるようにしかならないのかも知れない。
そんな事を思いながら、地平線を目指して手綱を引いた。