命の水
古代の人々は言った。
この世において水は命そのものであり、混じり気を認めず、穢れを拒む神だと。
干上がったこの広大な砂漠の地で、そんな考え方が生まれたのも、無理もない話しなのかもしれない。
砂を巻き上げ、突風が視界を度々遮る。
布で顔や体を覆いながら、吹き飛ばされそうになる体を前に進めませた。
「アーリー、もう限界だ。風が強すぎる、止むのを待とう」
アーリーはラクダに乗ったまま振り返ると不思議そうな顔をして首を傾げた。
「何故だ、これしきの風や砂埃など僕は浴びても平気だぞ」
「風に当たり過ぎるのはよくない体が乾いちしまうだろーが、まして無闇に動くのは体力の無駄だ。お前はどうか知らないがそのラクダや俺たちは死ぬ」
アーリーは少し考えた後、再び振り返って叫んだ。
「わかった、ダスクに無理はさせられないな。もちろん君達にも」
ダスク…黄昏ね。
若干また胡散臭いと思ったが、それは言うのは止めておこう。
俺はアーリーの乗る白いラクダ、ダスクの手綱を掴み岩場へと移動する。
「お待ちくだされ〜…」
勝手に付いて来る吟遊詩人を少しは気にしながら。
砂嵐が止むのを待ちながら、砂埃を体を振りわして払うダスクの顔を手を当てて見る。
「元気そうだな、本来のんびりした生き物だ。ゆっくり休めよ」
そんな俺を感心しながら見る吟遊詩人とアーリー。
「アルバ、色々と君は詳しいし気がきくな。前に旅をした事があるのか?」
「…いいラクダだな。随分利口だ」
アーリーは表情を変えぬまま少し口を噤む。
妙な間が空くと颯爽とさっきまでへばっていた吟遊詩人が起き上がり竪琴を片手に言う。
「なんと言う青春!すれ違う若者と乙女、これは唄わずにはいられない。ではこの天才詩人ポープが一曲!」
張り切る吟遊詩人を背にボソリと呟く。
「止めとけ、一気に喉をやられて水が飲みたくなるぞ」
本人曰く華麗なポーズをとっていたポープは落ち込んで隅っこにうずくまる。
「そうか、やはりダスクは君の目にも利口に見えるか」
暫く黙っていたアーリーはそう言うと、少し嬉しそうに笑った。
そしてそれだけ言うと、黙ってアーリーは俺たちに背を向け、マントに包まり横になる。
「おっ、おいもう寝るのか!?まだ一応昼間だぞ」
「案ずるな、少し休んだらまた起きる」
なんと言う自由人。
そう思いながらもう寝息を立て始めたアーリーを見下ろす。
「では私めも何だかクラクラしてきたので少し横になりまする」
「アンタは無駄に体力使いすぎなんだよ」
少し冷えて来た。
二人が眠り静かになった岩場の中で、軽く火を起こし念のために簡単なトラップを仕掛け終えると、火にあたりながら息をついた。
幼い頃、まだ両親が生きてい時の事。
初めて村の外に出た。
少ししたら帰る約束だったのだが、ラクダに乗せて貰えて浮かれてしまっていたのだろう。
気がつくと砂嵐に見舞われ前が見えず、歩いてきた足跡も消えてしまっていた。
岩場の陰に逃れるも、一行に止まない砂嵐に体力の限界が近ずいていた。
そんな俺を暫く見下ろした後、乗ってきたラクダは岩場を飛び出し、そのまま行ってしまう。
まて、行くな行くんじゃない。
カラカラと言うトラップの音に我に返り、眠りこける二人を叩き起こす。
「アルバ痛い…」
「…何事ですかな」
まだ寝ぼけ眼の二人を連れて岩場の上に移動する。
「一体なんなのですアルバ殿」
「いいから伏せろ」
頭を低くし身を隠すと、何十人…いや何百人もの人影が岩場に入ってきた。
「これは…どういうことですかな?」
「使節団だよ、頭に質の悪いがつくな」
こう砂嵐が続くと、人間考える事は皆同じ。
誰か来るかもとは思っていたが、まさかこんな団体さんがお出ましとは。
「使節団とは何だ?」
ダスクを宥めながら尋ねるアーリーに順を追って指差しながら答える。
「見えるか?沢山の荷を運んでいるだろ、あいつらは自分の国からあれを運んで各国との外交や商業各面で取引をするんだ」
「なるほど、はるばるこんな所までたいへんですな」
吟遊詩人がうんうんと何度か頷くのを余り気にせず、アーリーに促され続ける。
「言っても実際はただの寄せ集め集団、はっきり言って柄が悪くて褒められたもんじゃねーんだ。俺のいた町にも何度か来て手に負えない奴らだった。気をつけるに越した事はないな…どうしたアーリー?」
服の裾を数回引くアーリーの方に首を向けると、吟遊詩人が忽然といなくなっているのに気づく。
そしてアーリーが無表情のまま指差した方を見て俺は絶句した。
「どーも皆様方、長旅お疲れ様であります!」
使節団の前に立ち、両手を広げてそいつらを歓迎するポープ。
騒ぎ出す使節団とそれを見守る無表情のままのアーリーと青ざめる俺。
そんな中でポープはマントを閃かせ竪琴を掲げると全員に聞こえるよう声を張り上げる。
「ではこの天才詩人が、労いの唄を捧げましょうぞ!」
ヘイヘイ!
乙なもんだぜ!
片手のその水
ミーに譲ってくだされ
ご苦労さんです
カラカラなミーにお恵みを
蜂蜜と乾パンを取り出し見物するアーリーと、すべてが終わったと悟る俺。
唯一ポープだけが満足そうに笑みを浮かべてまた妙なポーズを取っていた。
「何の騒ぎですか?」
一人だけ妙に豪華な馬車に乗った奴が顔を出してポープを見る。
おちょぼ口の妙なターバンを被ったそいつはポープを一瞥すると「あー」と呟き、付き人達に言う。
「邪魔ですね、引き殺しちゃって下さい」
「はっ…?ななな、なんですとぉ!?」
やっとここで慌てるポープを見て思う。
忘れてたわ、アイツ筋金入りのアホだった。
「彼らは何をしているんだ?」
真顔で尋ねるアーリーに俺はヤケになりながら答える。
「見ての通りあのアホを引き殺そうとしてますがっ!?てか見て何でわかんないんだよお前!?」
本気で言っているのかと疑いながらアーリーを見る。
アーリーは再びポープと使節団に視線を向けると短剣を取り出して言う。
「それは随分だな」
アーリーがその弧を描く短剣で空を切ると、宙に蝶の機械模様が浮かび上がる。
思わず身を引く俺を気にする事なく、アーリーは言う。
「起きたばかりで加減が難しいが、致し方ない。心を入れ替えて、出直して貰うとしよう」
ザーザーと音を立て、水流が出現した。
「なっ何だあれは!?」
気がつくと同時になす術もなく呑み込まれる使節団とポープ。
「………。」
死んだんじゃねーのこれ!?
昇天していくポープと使節団を思い浮かべながら冷や汗を流す。
アーリーの左頬と剣の光が消えると、水がサッと引いていった。
「ポープ!?」
目立つマントを見つけ岩場の上から引きずり降りると、そいつを仰向けにして頬を思いっきり叩く。
「しっかりしろオォー!死ぬな!」
「ぬほオオゥ!何をなさるかー!?」
…死んでない?
赤く腫れあがった頬を摩るポープを見ながら、少し落ち着きを取り戻す。
見れば他の奴らも、一応息が有るようだ。
「大丈夫だ。時期に皆、目を覚ますだろう。それより嵐が止んだ、出発しようじゃないか」
そう言いながらアーリーは晴れていく空を見上げる。
そんなアーリーに俺は息をついて座り込む。
「どうしたアルバ?」
尋ねると共に目で訴えてくるアーリーを見て、俺は軽く俯いて話す。
「すまないアーリー、俺たちお前の荷物になっちまってる。足手まといにならないと言ったのに」
アーリーは少し驚いた顔をすると、笑顔を浮かべて言った。
「サソリさんらしくもない。気にするな、目的地は逃げる事はない、気ままに行くさ」
言い切ってダスクに乗るアーリーを見上げ、俺は目を見張る。
目的地…?
「アーリー、お前一体どこを目指しているんだ?」
問いかける俺から視線を外すと、アーリーは地平線の彼方を見つめて言った。
「この砂漠の果て、全ての命が生まると言う果てなく続く湖へ行く」
その言葉に、ポープも顔色を変えアーリーを見た。
命が生まれる…?
俺は歩きながら考えていた。
アーリーは一体何者なのだろうかと。