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雨宿り

作者: 白狐

 薄暗い雲と、ぽつぽつ雨粒。

 傘を無くした少女は、小さな薄汚れた無人の小屋に避難して、ぼんやり雨空眺めていれば、寒さに震えてうずくまった。


「おやおや、寒いのかい?」


 びっくりした少女は、周りを見渡してみて首を傾げる。

 何にも居ないと、少し残念に思いながら諦めた時、ふわりと何かに包まれた。


「怖がらなくて良いよ。私はこの小屋の者なのさ」


 少女は大きな羽織りから、きょとんと顔を覗かせる。ちょっと色褪せた羽織りは、少し埃臭いけど暖かい。

 後ろから優しい声がしたので振り返って見れば、誰かの足元が見えたのでそのまま顔を上げる。

 見上げた先には、少し毛先が荒れた、洗えば凄く綺麗な色であろう金色の髪を無造作に下ろした、男か女か分からない、綺麗な顔をした人が、薄汚れた着物を着て佇んでいた。柔らかい微笑みに、少し寂しそうな色が混じる。


「おにいちゃん? おねえちゃん?」

「そうだねぇ……」


 考え込んでしまったので、少女はまた首を傾げた。


「おねえちゃんで良いよ。忘れてしまったからねぇ」

「なんで?」

「誰も覚えてないからさ。皆忘れてしまったんだよ」


 少女には良く分からなかったけれど、なんとなく可哀想だと思った。


「おなまえは?」

「それも忘れてしまったよ」

「ふーん」


 少女は何も分からない事が不安になってきて、少しだけ身を堅くする。


「怖がらないで。ほら、なんにもしないから」

「うん……」

「ありがとう。ねえ、君独りなの?」

「うん……」

「そっか、お揃いだね。私も独りなんだ。ずーっと、ね」

「おんなじ?」

「おんなじ」


 少女は少し、緊張をほぐして、謎だらけの存在に興味を抱いた。

 良く見れば、薄汚れた着物はぺらぺらの薄っぺらい布で、その下に何も着ていないように見える。帯もぼろぼろで、とりあえず縛ってあるだけだ。


「さむくないの?」

「ん? 大丈夫さ」

「どうして、おようふく、きないの?」

「持ってないからさ。実はこれしか無いんだよ」

「……わたしもね、あんまりもってないんだ」

「お揃いだね」

「うん」


 少女は、同じだと分かって何故だか安心してしまった。親近感を覚えたのだろう。

 おもむろに立ち上がった少女は、羽織りを引きずりながら謎だらけの人物に近付いてみる。見上げた先の優しい瞳は、綺麗な金色だ。ちょっと細長くて、少しつり上がった目尻は、柔らかな光を湛える瞳が目元の堅さを溶かして、今は笑っているように見える。キラキラ金の瞳は嬉しそうな色を浮かべ、真っ直ぐに少女を見ていた。


「ちょっと慣れてくれた?」

「うん」

「嬉しいな。ずーっと独りだったから、寂しかったんだ」

「ずーっと?」

「うん。いろいろ忘れてしまう程、ずーっと」


 少女は思わず抱き締めた。悲しそうで、消えてしまいそうな目の前の存在を、失いたくなかったからだ。


「ありがとう。ほら、雨が止んだよ。お家にお帰り」

「いや。またひとりぼっち」

「じゃあ、雨の日にまた会おう?」

「ぜったい?」

「もちろん」


 謎だらけで近しい人物は、少女に薄汚れた根付けを渡した。


「あげる。約束の御守り」

「ありがとう!」


 少女は嬉しかった。初めてプレゼントを貰ったからだ。可愛らしい小さな巾着の根付けをしっかり握り締めて、満面の笑顔を浮かべる。寝付けには古ぼけた鈴がちょこんとついているが、古いからかあまり音がならない。


「またね」

「またね」


 少女は羽織りを返して、何度も振り返りながら走り去る。

 それからは、雨が振る度少女はこの小さな小屋に一目散に向かうようになった。

 いつも待っている、親しい人物は、いつも同じ姿で微笑んでいる。

 なんでもない事を話して、雨が上がったら帰る日が続いた。










 いつからか、少女は周りから「変わった子」「不気味な子」「何か怪しい」と言われ始め、少しずつ風当たりが強くなってきた。


「辛かろう。苦しかろう。悲しかろう」


 いつの間にかお姉ちゃんと呼んでいた謎だらけの人物は、少女をそっと優しく抱き締めた。その優しさに、少女は自然と涙が出た事に驚きながら、わんわん泣いた。


「お姉ちゃん、もう帰りたくない」

「何故?」

「誰も私を見てくれないもん」

「美鈴……」


 少女……美鈴はお姉ちゃんにしがみついたまま離れない。最近ようやく教えてくれた名前を、こんなに悲しい声音で呼ぶ事になろうとはと、悲しみが胸を締め付けた。美鈴はようやく小学校卒業間近の、まだまだ小さな身体で、沢山の悲しみを抱えているのだと、抱き締めた身体の小ささに、自分が出来る事が限られる今を恨む。


「美鈴、聞いて欲しい」

「なあに?」

「私は親を知らぬ。子は死んだ。古き友は姿を消した」


 美鈴はお姉ちゃんを見上げた。悲しそうな顔で美鈴を真っ直ぐ見つめている。黙って聞こうと背を伸ばした。


「だが、美鈴は居てくれた。嬉しかった。だけどね、美鈴が生け贄になる必要は無いんだよ。もう、来ちゃあいけないよ」

「なんで?」

「私は、人間には良くないものらしい。このままでは美鈴の居場所が無くなってしまう。親の事なら私がなんとかしよう」

「居場所ならここに……」

「美鈴は人間だ。人間として生きる方が良いだろうし、いろいろ見ていれば何か得られるだろう。立ち止まったままではいけないよ」


 美鈴は泣いた。お姉ちゃんの服を握り締めて、ひたすら泣いた。


「いつか、美鈴が全て理解出来るようになったら、また会おう。待っている」


 美鈴は頭が熱くなった気がした。

 そして、目の前が霞んでいくなか、お姉ちゃんの悲しそうな瞳が見えた気がした。

 気を失った美鈴を抱え、お姉ちゃんと呼ばれていた人物は空を見上げる。どんよりした雲から光が差し込んで美しい。


「すまない。私には過ぎた願いだった。そなたに負担ばかり掛けてしまったね」


 美鈴を撫で、小屋の入り口にもたれるように座らせると、お姉ちゃんは静かにその場から遠ざかる。


「人間として、幸せになってくれ」


 そうして姿を消す。最初から存在しなかったかのように。










 美鈴が目を覚ました時、ぼんやりした頭には雨宿りで小屋に来た事だけ残っていたので、そのまま寝てしまったのかと恥ずかしく思いながら立ち上がった。

 いつも此処で時間を潰している。ひとりぼっちで。そう思いながら歩き出す。何かを忘れて来た気がしたが、思い出せない。

 家では、遊びまわっている父親と、怒鳴り散らす母親が待っている。

 美鈴が大事にしていた、古ぼけた根付けがポケットから転がり落ちた。巾着の紐についた鈴がリンと鳴る。美鈴が慌てて広いあげると、前方から誰かが叫びながら近付いて来るのに気が付いた。


「大丈夫か美鈴ちゃん」

「先生?」

「すまない。気付くのが遅れた」


 何がなんだか分からない。

 美鈴は先生に連れられ、そのまま見知らぬ家にしばらく住む事になった。

 親からの育児放棄が知られ、一時的に保護されたのだ。

 美鈴が小さな頃に一度会っただけの親戚が、新しい両親となった時、美鈴は助かったのだとようやく悟る。

 新しい両親は優しくて、いつの間にか苦しかった過去を忘れる日が増えていくと、自然と笑顔が増えた。毎日が新鮮で明るくて、ご飯が美味しくて、家に帰るのが楽しみで仕方なくて、とっても幸せだと、心の底から笑顔を見せるまで、あまり時間は掛からなかった。










 美鈴が15歳になると、不思議な夢を見るようになった。

 小さな小屋にぽつんと座って笑っている夢だった。

 意味が分からないまま、誰にも言わずにいた美鈴は、ついに高校を卒業する頃になって夢の意味を知った。両親が、昔美鈴が家に帰らずに小屋で雨宿りしながら、ひとりぼっちで苦しみに耐えていた事に気付かなかったと、謝られたからだった。

 美鈴は小屋の事を聞いた。

 あれは古い祠だったらしい。

 子ぎつねを失い悲しみに暴れた御狐様を鎮める為に、大昔にひっそりと建てられたまま時が経つにつれ、誰も行かなくなったと言っていた。

 美鈴は、何故だか涙が止まらなかった。そして、気付けば走り出していた。










 たどり着いた場所には、すっかり荒れ果てた無残な祠が、雑草に埋もれるように建っていた。

 カサリと雑草を踏み分け、小屋に近づくにつれ、記憶が蘇ってくる。


「お姉ちゃん……」


 何も返ってこない。

 おもむろに、古ぼけた根付けを取り出して両手で包む。


「来てくれたのかい? 久しぶりだねぇ。大きくなったねぇ」


 振り返った先には、ぼろぼろになった布切れのような、毛もすっかり細くなり艶の失せたよれよれの、人の身の丈は有るだろう細長いやつれた尻尾を持つ、元は大きな立派な筋肉質の身体であった筈のやせ細った狐が、よろよろと近寄って来ていた。首には千切れかけた鈴飾りが有る。


「ああ、この姿は初めてだね?」

「うん。でも分かるよお姉ちゃん」


 狐は嬉しそうに笑った。


「お姉ちゃん、どうしてこんな姿に……」

「忘れられたからさ。祀られたものは、忘れられたら終わるのさ。此処も、もうすぐ朽ち果て、無くなるだろう。私も消えて無くなるだろう」

「お姉ちゃん……」

「狐はね、人間には良くない印象が有るらしい。だから誰も来てくれない。私達は何もしないのにねぇ」


 美鈴は昔話を思い出した。確かに良い生き物として書かれたものは少ない。


「イタズラなんてね、どんな生き物でもするのにねぇ」

「人間もするね」

「美女に化けたのは、私達が生きる為の知恵なのにねぇ」

「勝手に期待して、思い通りにならないからって悪者にして討伐して武勇伝。だらしないだけじゃない」

「食べ物が無いから、ちょっとおこぼれが欲しかったんだ」

「人間だって、辛いとつい魔が差したりするのにね。人が森を壊したから食べ物も無いんだよね」

「流石に、悪かったと思っているよ。うーん、沢山やらかしているかもしれないね。申し訳ない」

「まあ、人も同じだけど」


 御狐様と美鈴が苦笑する。

 人間は自分勝手だと美鈴は思う。都合の悪い事は、狐のせい。動物のせい。他人のせい。

 寄ってたかって、誰かを非難して満足して、目を逸らしているだけだ。


「私の子は、毛皮の為に殺された。怒った私も殺されたけれど、成仏出来なかったんだ。未練がましいねぇ」

「お姉ちゃんは悪くない!」


 狐は笑う。疲れたように。


「ありがとう。優しいね。私の悲しみもようやく薄れたよ」


 もう、寂しくないと、狐は笑う。

 誰かひとりが、ありのままの自分を覚えていてくれるから。


「美鈴、可愛い私の子」


 狐が美鈴の頭を尻尾で撫でる。


「駄目。お姉ちゃんの本当を知ってもらうまで、待って」


 美鈴は別れを拒んだ。


「私が祠を立て直す。私が巫女さんをやるから」

「犠牲にならないで」

「違う。お姉ちゃんには、もっと沢山の幸せを知って欲しい。私に幸せになる事を押し付けておいて、お姉ちゃんだけ逃げちゃ嫌よ」


 美鈴は根付けを取り出した。自分の人生が変わる時、転がり落ちた御守りだ。狐の仕業だと、もう分かっていた。


「……ありがとう。でも、新しい両親は納得すまい」


 狐の見る方向に振り返ると、眼を見開いたまま固まっている両親が居た。

 事実と事情を説明しようと美鈴があたふたすると、優しい母が美鈴に微笑んで頷いた。


「美鈴、此処に居た理由は分かったわ。御狐様、娘に合わせて下さって、本当にありがとうございます。子が授かれぬ我が家には、これ以上ない宝です。そして、誤解していました。申し訳ありません」


 母が受け入れた事に驚く美鈴。


「どうして?」

「美鈴がこんなに心を開いている方が、怖い存在な訳ないもの。美鈴が避難していたのが祠だったのも、そんな理由だったのなら納得出来るわ」


 父も黙って頷いた。

 美鈴は涙を流しながら頭を下げる。


「良かった。良い両親だ」


 狐も嬉しそうに笑った。

 しかし、ゆるゆると首を振る。


「暖かい家族に癒やされたよ。でもね、私の意思では何も出来ない。力を使い果たしてしまったからね」


 チリンと鈴が鳴る。

 美鈴は悟った。あの時、既に目の前の御狐様の力は底が見えていたのだと。そして残り少ない力を鈴に込めたのだと。


「嬉しかった……もう誰も来ないと思っていた。怖がらないでくれた事に涙が出そうだった。とても愛おしい……まるで我が子のように」


 雨宿りで少しの時間しか会えなかったのは、御狐様の力が足りなくて人の姿になっている時間が限られていたからだ。

 そして、なるべく長く共に居たかったのだ。限られた力を温存するには、雨宿りがちょうど良かったのだった。

 今回、ギリギリ残った力を駆使して姿を表した御狐様は、遂に力を使い果たした。徐々に薄くぼやけていく。

 伸ばした手が、すり抜けた。


「美鈴、可愛い我が子。鈴の音のように優しい子」


 そう言い残して御狐様は消えた。

 美鈴はその場で泣き崩れた。小さな雨が降っていた。










◇◇◇◇◇


 美鈴と両親は、この祠の管理者と話し合い、少しずつ手入れをしていった。

 古びた祠の奥には、かつては白かったのであろう毛玉が固く丸まって木箱に入っていた。皆が探しても出て来なかったのに、美鈴だけが見つけられたのだから、消えても尚頑固な御狐様だ。

 祠を建て替え、しかるべき儀式を行って数年、やはり御狐様は現れない。

 しかし、小綺麗な祠と、澄ました顔の狐の石の石像は、近くを通る者の目を引き付け、物好きを呼び寄せた。

 見に来た人に、美鈴や両親が御神体の毛玉と御狐様のお話をする内に、近所では有名な祠になった。近所の人も詳しい事は知らなかったので、話を聞くと涙を浮かべて拝んでいった。中には否定する人も居たけれど、きっと御狐様なら苦笑いで流してしまうだろうと、美鈴や両親は気にしなかった。

 今日もいつものように祠を掃除していた美鈴に、暴れん坊の我が子が駆け寄って来る。夫も慌てて走り寄って来るので、美鈴は目をまん丸にして固まった。


「お母さん、こんこんが、どんからまもってくれた!」

「違う違う。どさっと、ぐしゃからまもってくれたんだ」


 息子と夫の話は分からない。

 落ち着けとお茶は渡せば、急いで飲み干して盛大にむせた。


「落ち着きなさい。祠で騒いじゃ駄目じゃない」

「だから! こんこんが!」

「……こんこん!?」


 子供の言うこんこんは、狐のこんこんに違いないと思った美鈴は夫の腕を掴む。


「御狐様!? もしかして御狐様!?」

「痛い! 爪食い込んでる!」

「何でも良いから! とにかく御狐様だったの!?」

「何でも良いから? 解せぬ……多分御狐様だよ。コンって鳴ったから」


 夫が言うには、工場現場近くを歩いていたら、どこかからコンと音がして、もちろんそんなきれいにコンと鳴る物なんて周りに無いので不思議に思って隣の息子を見れば、息子も不思議そうに周りを見ていた。

 気のせいかと思った時、大きな音が響いて驚いて音の方を見れば、まさに今向かう方向に重機が倒れ、荷が散らばっていて大惨事となっていた。

 あのまま歩いていれば巻き込まれていただろうと思ってゾッとしたが、良く考えればあの心地よい澄んだコンと鳴る音が聞こえたから立ち止まったのだと思い出し、急遽祠に立ち寄ったのだと言う。


「御狐様は居なかった?」

「居なかったよ」

「さがしたけど、みつからなかった」


 興奮が収まって美鈴が夫の手を離すと、深呼吸して息子を抱き締める。


「無事で良かった!」


 そう言った時、何処からかコンと心地よい音がした。

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― 新着の感想 ―
[一言] やさしくも切ない、あたたかなお話でした。 途中まで心配で、きゅんきゅんしましたが、ラストはホッと幸せな気持ちになれました。 よかった……。
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