㉓ラズロ・ネクロフォビア ~『暗黒』と書いてピエロと読むこともある~
ソニアが気絶した後、アルとフアナは山の頂上目指して進んでいた。特に目的があるわけではなく、単純にアルが「そこに山があるのだから」と、残念な理由にすぎない。もちろんソニアを置き去りにはせずにアルが肩に担いでいる。フアナは自らの身長程もある草木を魔法で切り開き、アルはソニアを担ぎつつも片手に持った剣で草木を薙ぎ払って登っていた。
「なぁフアナ・・・」
「なに?」
「万が一ソニアを落としたら、ここから麓まで転がり落ちていってしまうかなぁ?」
「・・・途中の木にぶつかって止まると思う。」
ソニアにとって不穏な会話をする二人。ソニアの身体がピクリと動く。
「その前に、この傾斜具合じゃ転がりもしないかもな。」
「もう少し西の方で落とせばいい。あっちは確か歩いて登れるような緩い斜面じゃなかったはず。」
「うーん・・・それって死ぬかな?」
「私は死なないと思う。・・・多分。」
「俺は死ぬと思うけどな。」
ソニアの全身を冷や汗がダラダラと流れ出した。実は大分前から意識が戻っていたのだが、アルに背負われていた方が楽なので黙っていたのだ。しかし、なにやら雲行きが怪しい。そんな狸寝入りを続けていると、なぜか登山ルートを西方面へ徐々に変えていくアルとフアナ。ソニアの冷や汗が増大する。
「まぁ、うっかり落とすなんてことはないけどな。」
「わからないわ。アルも一応人間だし、失敗はする。」
「一応って・・・立派な人間なんだけど・・・。ま、さすがにこの状況で落っことすような失敗はしないさ。」
アルの言葉にソニアが内心でホッと安堵のため息をついていると、
「あ、オッコトシチャッター」
「ちょっっ!!?待っ―――――」
突如ソニアの身体が宙に投げ出された。目を瞑っていて判らなかったが、現在の登山ルートは何故か崖際を進んでおり、ソニアは正にその崖目掛けて落ちようとしていた。咄嗟に腰の剣を抜き放ち、岩壁に突き刺した。剣は落下の重力とソニアの体重に大きく撓むが、何とか折れずにソニアを固定した。ヒューヒューというソニアの呼吸音がやたら大きく聞こえる。そしてソニアは自身の心臓がバックンバックンと脈動しているのを血の気の引いた体で感じていた。下へ目を向けると、数100m下方に延々と続く森林が広がっている。落ちたらまず死ぬだろう。ソニアは涙目で頭上にいるアルを睨みつけた。
「殺す気か君はっっ!!!こんなの、普通に殺人未遂だぞっ!!」
ソニアは憤怒の心で絶叫した。が、そんなソニアにアルとフアナの冷たい視線が返される。
「・・・いつから起きてた?」
アルの質問に、ソニアは剣にぶら下がりながら身をこわばらせた。
「な、何のことかな?」
この状況でシラを切ることが正しいのか間違っているのか、ソニアには判断できなかったが、アルの極寒の視線を前にしてはとても正直に言うことはできなかった。
そんなソニアの内心の動揺を見透かすように、アルは目を細めると、
「ギルティ」
そう言ってゆっくりと傍らに転がっている岩を持ち上げた。その行動にソニアの顔が青を通り越して白くなる。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!!担がれた時には意識が戻ってました反省してますもうしませんから許してくださいっ!!」
アルが岩を落とす前に慌てて正直に謝るソニア。フアナはその様子をアルの隣で無表情に観察していた。表情には出さないが、内心で面白がっているのである。
「・・・今度俺に余計な苦労を掛けたら、うっかり手を滑らしてこの岩もオッコトシチャウカモシレマセン」
剣にぶら下がっている状態で器用に頷くソニア。アルは岩を元に戻し、ソニアに木の棒を差し出して引っ張り上げた。
その後3時間程歩き続けると、森が開けて遥か彼方に山の頂上が見えた。
まだまだ先は長そうだと、ソニアがため息をついたところで前を歩くアルの背中にぶつかった。
どうかしたのか、アルは立ち止まって遠くを眺めていた。先頭を歩くフアナも気がついて歩みを止めた。
「アル、どうしたの?」
フアナの質問にアルは真剣な表情のまま下界の彼方を睨んでいる。フアナはソニアに顔を向けて首を傾げたが、ソニアも首を振るしかない。
「・・・プララの『流星群』が放たれた」
やっと反応したアルの言葉に、フアナもソニアもよく意味がわからなかった。
「会長の・・・流星群?どういうこと?」
「プララ自らが戦闘しているということだ。しかも『流星群』を使うとなると、対象は少なくても一軍相当になる。」
「「えっ!?」」
フアナとソニアの声が重なった。アルは暴食魔剣を抜くと、「暴食魔剣リバース」と口にした。
剣が赤く発光し、次の瞬間には全身を黒い瘴気に包まれた濃紺のドラゴンが姿を顕した。紫黒竜ヴァロッサメイブ。魔大陸のアンデッドドラゴンの中でも最強種に連なる10mの竜である。大きさこそ小さいが、魔大陸の悪魔たちですらその姿を見れば絶望する程の凶悪なドラゴンである。
アルは呼び出したヴァロッサメイブの背に飛び乗り、フアナとソニアも乗るように促した。フアナ達は突然の展開に半ば呆然としつつ、王都で何か起きていることだけは理解して素直に従った。アルはヴァロッサメイブに全速力で王都まで飛ぶように指示し、三人の修行は唐突に中断する形になった。
プララは城壁の上から下を見下ろしていた。飛竜を殲滅したあとに出現した魔法陣から、いま一番会いたい人間が現れたのだ。プララの口元が歪につり上がった。その微笑はとても温かみがあるものではなかったが。
現れた人物はただ一人。フード付きの黒いロングコートを着た、肩までかかる銀髪の美男子。そのうっすらと嘲笑するような笑顔に、プララは生理的嫌悪感を抱いた。
「やっと現れましたねラズロ・ネクロフォビア」
現れたのは今回の騒動の主犯と思われる人物。S級冒険者にして冒険者ギルド『時計塔』のギルド長、『暗黒』ラズロ・ネクロフォビアである。ラズロはプララを見上げるとその笑みを深めて被っていたフードを脱いだ。
「プララ会長、久しぶりですねぇ。相変わらずお美しく、また可愛らしい。初めて実戦を拝見させて頂きましたが、なるほど、伝説通りの素晴らしいお力です。どうでしょう?冒険者協会をやめて私に付きませんか?今なら高い地位をお約束致しますよ?」
絡みつくような、気味の悪い声色で話すラズロに、プララは顔が引き攣りそうになったが、話の内容に眉間に皺を寄せた。
「何を寝ぼけたことを言っているのですか?あなたはここで死にます。グロリアが殺りたがっていましたが、私が殺すことになりそうです。」
プララの言葉を受けて、ラズロは肩を震わせて笑った。
「くっくっく、私を殺すとは・・・残念ですがあなたにそれができますかね?」
プララはラズロの言葉が言い終わるや否や瞬時に矢を射った。その閃光のごとき一矢は瞬きすら許さぬ速度でラズロに迫ったが、ラズロに当たる直前で見えない障壁によって弾かれてしまった。
「と、いうことです。私が何の準備もせずにのこのこと姿を現すはずがないでしょう。今の私は少々時間をかけて飛び道具に対する完全防御の魔法が施されています。あなたの弓がどれほど強力でも、今の私には通じませんよ」
「・・・それだけで私の力が通じないと本気で考えているのですか?」
プララは至って冷静に尋ねた。そんなプララの態度を強がりとみたのか、ラズロは苦笑しつつ首を振った。
「近接戦ができないとは思っていませんよ。ですがさすがの私もS級の魔法使いです。中・近距離戦で弓使いのあなたに遅れをとるつもりはありません。そうそう、下手な時間稼ぎをしても無駄ですよ?わざわざスカルキングの軍勢や飛龍の召喚をしてから姿を現したのは準備を整えたからです。現在グロリアは私が召喚した災害級の『魔神竜』ドルヴォロスで手一杯ですし、他の人間はご存知のとおり遠出しているでしょう。そちらもすぐに駆けつけることができる距離ではないのはもちろん、私の仲間が仕掛けていますのでもしかしたらすでに全滅しているかもしれませんねぇ」
ラズロは、本当に可笑しそうに説明した。その顔が余りにも嫌悪感という琴線に触れ、プララは頭の中でどうすれば目の前のクソ野郎をより苦痛をもって殺せるか考えてしまうほどだった。
「まったく・・・よくしゃべる男ですね」
ラズロの話を聞き、プララは状況を整理した。まずグロリアが対峙しているというドルヴォロスだが、過去の王国冒険者時代にプララも討伐に参加していたのでその強さは身に染みて判っている。おそらくグロリアのことだからこちらの加勢などは忘れて純粋に強敵との戦闘を楽しんでいることだろうと容易く推測できた。グロリアは普段は冷静に行動できるくせに、いざ戦闘が始まると周りが見えなくなるほど喜び勇んで特攻する戦闘狂になってしまう。そんな戦友の行動で何度プララ達ロイヤルクラウンが迷惑したか数え切れない。おそらくしばらく東門からは動けないだろう。
次に各地に散った冒険者と協会職員。元々遠方にいる為援軍として考えてはいないが、ラズロが何か仕掛けたというのが気になった。彼らはS級冒険者率いる三大冒険者ギルド。協会職員もS級に匹敵する副会長のドニーと本部長のレヴォーナだ。並みの相手では話にならないだろう。そんなことは当然ラズロにも判っているはずだ。となると、ドルヴォロスを召喚したように過去に討伐された災害級の魔物を召喚したか、プララの知らない強者が存在するか、あるいは――――
「ど、どうされますか会長っ!」
背後からの声にプララの思考が中断された。城壁にいる冒険者達と騎士達である。そういえば居たのでしたねと、プララは思ったが無視することにした。はっきり言って今回残っていて参戦できた冒険者達では荷が重い、それに騎士達にしても見るからに腰が引けてしまっている。こんなんで大丈夫かグランフェルド王国。プララは内心でため息をついた。
「まずラズロ、あなたは勘違いをしています」
「私が勘違い?ほう、何がでしょう?」
プララは静かに弓を引き絞った。それを見たラズロはやれやれと溜息混じりに首を振った。
「飛び道具の完全体勢など、400年前は当たり前に備えた冒険者や魔物が数多くいました。その時代を生き抜いた私が何もできないと本当に考えたのですか?」
プララの言葉に、ラズロの顔から笑みが消えた。プララはラズロに色々と聞きたいことがある理由で、非常に不本意だが殺さないようにしようと考えて引き絞った弓から指を離した。
「光射投身」
次の瞬間には遠く離れたラズロの顎先に肘を叩き込んだプララの姿があった。ラズロは数m吹き飛び、そのまま白目を向いて地面に横たわって動かなくなった。プララは綺麗に着地すると残念そうにラズロを見下ろした。
「はぁ~。今の時代、能力は及第点としてもそれを戦闘に活かす能力が致命的に欠けている感がありますね。それだけ魔物も弱くなり平和になったということですが・・・」
プララが行なったのは『光射投身』という魔法と体術の合成技のようなものだ。その本質として矢の代わりに自身そのものを弓で発射するというシンプルな技なのだが、光魔法との組み合わせで超高速の突進技となる。当然、魔法や投擲・矢などの飛び道具ではなく生身での体当たりになるので、いかに飛び道具の完全防御をしても無意味なのだ。
「本当に可哀想なピエロさんですね」
そして、プララがラズロを縛り上げていると、城門からグロリアが姿を見せた。その姿はボロボロで、白く輝くような美しい鎧が見る影もなくなっていた。グロリアはプララのそばまで駆け寄り、途中で合流した円卓の騎士団幹部と共にラズロを見下ろした。
「グロリア、無事で何よりです。ドルヴォロスは倒せたのですか?」
プララの質問にグロリアは首を振った。
「いや、突然消えてしまった。おそらくラズロの意識が途絶えたから召喚効果が切れたのだろう。これから面白くなるところだったのだが・・・」
残念そうに首を振るグロリアの背後では、円卓の騎士団副団長のマースと4隊長が大きく溜息をついていた。その様子にプララは苦笑を禁じ得ない。
「さて、どうする?」
グロリアは気絶して縛り上げられているラズロを見ながら問いかけた。プララはラズロを縛っているロープを掴んで引きずり上げた。
「協会の本部で尋問します。今回の騒動は完全に冒険者協会の領分ですし、その主犯を尋問するのも当然協会でおこないます。用が済めばラズロは始末することになるでしょう」
「・・・わかった。私も1枚噛みたいところだが、それが妥当なところだろうな」
「ふふふ、安心してください。あなたが出陣してくれたということはグランフェルド王国が力を貸してくれたと捉えます。王に一つ貸しができたとお伝えください」
「ああ、なるほど。個人的には友の為に力を貸したに過ぎないが、騎士団を動かした以上はそういうことに――――」
グロリアの言葉の途中、それは起こった。プララの手の中で捕らえられていたラズロが消えたのだ。正確に言えば、グロリアとプララの前方数十m先に、ラズロを抱えてこちらを見つめる影がひとつあった。つまり、ラズロを奪われたのだ。最強クラスのグロリアとプララの眼前で。
グロリアはラズロを奪った人物を見て瞬時に盾と槍を構えた。プララも弓を構えている。その人物に、二人は最大限の緊張と困惑をもって問いかけた。
「どういうつもりですか?・・・・・・ネクス」
元王国のロイヤルクラウン、現在最高額の賞金首となった『死神』ネクスは静かに微笑んだ。