⑲戦争の足音 ~大陸(フロンティア)~
アルはソニアを拉致した後、一日をかけてミレニアムウルフと戦った大樹海に来ていた。相変わらず昼間だというのに薄暗く、不気味な雰囲気を醸し出しており、辺りから奇怪な鳴き声が木霊している。フアナは面白い獲物でもいないかキョロキョロと周囲に気を配っていたが、ソニアはすでにグロッキーだ。道中アルが呼び出した圧倒的な威圧感を放つ馬に揺られ、休む間もなく樹海に入り、獰猛な魔物の影に怯えながらここまで連れてこられたのだから無理もない。が、アルにはそんなことお構いなしだった。
「では、フアナとソニアの強化合宿を始めたいと思う。」
アルは厳粛に宣言した。フアナは周囲への好奇心を押さえ込んで直立不動の姿勢でアルを見つめた。一方ソニアは突然始まったナニカに戸惑うばかりである。『強化合宿』という言葉が不吉な言葉に聞こえたが、気のせいだと思うことにした。というか、もう何も考えないことにした。考えたら生き残れない。そう本能が告げていた。
「で、・・・何をするんだ?」
「とりあえず、ソニアの実力を確認したいから、俺と戦ってもらう。話はそれからだな。フアナはその間に魔物狩りでもしていてくれ。」
「了解。」
フアナは特に質問もなく樹海の奥へと消えていった。残されたソニアは素直に剣を抜いて両手で構えた。
「じゃ、いくぞ?」
「おう、いつでもどうぞ。」
ソニアは風の衣を纏い、ジリジリと間合いを詰めると一気に剣を薙いだ。アルはそれを自らの剣で受け止めると、続けざまに振るわれた逆側からの横薙ぎを受け流して反撃した。アルの上段斬りをバックステップで躱したソニアは左手をアルに向けた。
「風激っ!(フウゲキ)」
見えない衝撃波がアルを襲う。そして魔法を放ったと同時にソニアはアルの側面へと回った。
「風刃っ!(フウジン)」
ソニアが剣を振るうと、カマイタチとも呼ばれる風の刃がアルへと放たれた。アルは風激に対して腰を落とした構えで耐えており、風刃がその体を切り刻むかと思えたが・・・
「よっ」
アルが側面に迫る風刃に対して剣をひと振りすると、風刃はあっさりと露散し、アルの斬撃はそのままソニアを襲った。ソニアはあわてて左に身を投げて躱したが、体勢が崩れてしまった。まずいっ!とすぐさま身を起こしたが、その眼前にアルの剣が突きつけられていた。
「・・・参りました。」
ソニアが降参の声を上げると、アルは肩を竦めてソニアに手を差し伸べた。ソニアは礼を言って立ち上がり、アルの言葉を待った。アルは顎に手を当てて考えていた。
「ふ~む、とりあえずは身体能力がまだまだ低いな。パワーもスピードも一般人と大差ない。それに戦術も稚拙にして真っ直ぐすぎる。はっきり言って次の行動がバレバレだ。」
容赦のない評価。しかし冒険者には現実をしっかり認識させておく必要があるのでしょうがない。なにせ命が掛かっているのだから。
アルの言葉にソニアは落ち込んだが、判っていたことでもあった。逆にこの機会を使って短所を直し長所を伸ばせるよう頑張ろうと、前向きな考えでアルの言葉に頷いた。
「言っていることは至極もっともだ。しかし戦術はともかく身体能力は短期間の鍛錬ではどうにもできないと思うのだが。」
ソニアは疑問に思ったことを聞いてみた。アルは頷いて説明した。
「普通はそうだ。そこで、ソニアには身体能力を補う魔法を教える。それと風系統の使い手なら試したいことがあるからそれにも付き合ってもらいたい。」
「身体能力を補う魔法?なんだそれは?」
ソニアは眉間にシワを寄せた。そんな魔法があるのなら皆使っているだろうと疑った。そんなソニアの心情を読んだアルは苦笑して説明を続けた。
「この大陸では知っている奴はいないだろうな。でもここから北の大海の先にある小大陸では基本の魔法だ。『アクセル』と呼ばれている。今の身体能力の倍の力を発揮できる。」
「・・・小大陸?この大陸以外に大陸なんてないだろう。」
「あるんだよ。実際俺が行っているんだからな。まぁ信じなくても別に構わない。今大切なのはアクセルについてだ。」
ソニアは一瞬思考の渦に呑まれそうになったが、とりあえず今は考えないことにして未知の魔法アクセルについて考えた。その間にもアルの説明は続いている。
「アクセルを覚えるには人体の構造について詳しく知る必要があるんだが、その講義と同時に単純な身体強化の運動もしてもらう。アクセルは身体能力を倍にする代わりに、とてつもない負荷がかかる。だからその負荷に耐えられるようにならないとすぐに体を壊してしまうからな。」
「・・・危険な匂いがするが、強くなるために試練は付き物だからな。アルの言う通りにするよ。そういえば風系統の魔法で試したいことって言っていたが、それはどうするんだ?」
「ああ、そっちはアクセルの練習が済んでからで構わないよ。アクセルだけでも覚えられれば今までとは比べ物にならないくらい強くなれるんだから。」
アルはその後、早速身体構造についてソニアに講義をした。ソニアは当初想像していた強化合宿とは余りにもかけ離れた訓練に戸惑ったが、今までにない魔法を覚えるということに素直に喜ぶことにした。
アル達が王都を離れて二週間、協会本部の執務室に頭を抱えているプララの姿があった。王都は至って平和であり、他国の情勢も悪くない。しいて言えばゼブルモスカ帝国にいる宮廷魔導師のグラディウスが、魔法使いの部隊訓練で街道を数キロメートルに渡ってぶっ壊したくらいである。その行為にグランフェルド王国含む各国から公式の抗議文書が送られたが、そんなことで慌てているくらいには平和と言えた。にも関わらず、プララを悩ませているのは―――
「ラズロ・ネクロフォビア・・・一体どこに隠れているのですか。」
そう、問題の人物であるラズロの行方が全く判らないのである。各協会支部と国に捜索させているというのに、目撃情報一つ無い。入国せずに街道から離れた場所でずっと野宿でもしていれば当然見つからないと思うかもしれないが、協会は当然そういったことも含めて捜索している。それに、あれだけの大事件を起こしながらずっと次の行動に出ないのも腑に落ちなかった。永遠に隠れて過ごすわけないということと、時間が過ぎればそれだけこちらの体勢が整い有利になる。ラズロの行方も見つける可能性が高くなりこちらから打って出ることも可能になるだろう。考えられる理由としては、
「実はすでに死んでいるか・・・何かのタイミングを計っている?何かを・・・待っている・・・」
(ラズロ・ネクロフォビア。初めて顔を見た時から何を考えているのか判らない男でした。召喚術の使い手・・・グロリアとの私怨・・・S級冒険者・・・時計塔・・・・・・ダメですね、わかりません。・・・胸騒ぎがします。」
プララが考えに耽っていると、突然執務室の扉が乱暴に叩かれた。プララが顔を上げると同時に、受付のコリスが扉を破らんばかりに駆け込んできた。プララは、顔が蒼白になっているコリスに訝しげな視線を送ると、居住まいを正した。
「た、た、大変です会長っ!!魔物の、魔物の大軍がこちらに迫っているとの情報がっ!!!」
プララが尋ねる前に、コリスは泣きそうな声で叫んだ。プララは努めて冷静に受け止めた。
「なるほど。くわしく聞かせてください。」
「冒険者の一人からの情報ですっ!西の大草原に突如として魔物が出現っ、その数は草原を埋め尽くさんばかりだったと言っていますっ!!通信プレートからの連絡だったのですが、すぐに通信が途絶えてしまいましたっ!それに、その事実確認をする間もなく、協会に慌てて駆け込んできた別の冒険者達は同じような光景を東の樹海方向に確認していますっ!!」
「・・・判りました。急いで冒険者達を集めて、王宮にも連絡して、住民の避難も―――」
「スカルキングなんですっっ!!!A級のっっ!!!スカルキングの軍勢ですっっ!!!」
泣き喚くかのようなコリスの絶叫に、プララは一瞬思考が停止した。だが、自分の立場と過去の経験から慌てることなく思考を切り替えてコリスを見据えた。
「落ち着いてくださいコリス。協会職員たる者、どのような状況でも常に冷静に行動しなければいけません。・・・相手がS級の軍勢だとしたら、やることはシンプルです。全ての冒険者は王都の守備に回してください。騎士団と上手く連携しなければなりませんから、ランクが高い者数名をリーダーとさせて騎士団と簡単に守備の打ち合わせを。急いでください。」
「わ、判りましたっ!」
コリスは頷いて執務室から出て行った。その顔は絶望感に染まり、泣いていないのが不思議な程であったが、職務に忠実に行動を移した。
プララはすぐに通信プレートを使いグロリアに繋いだ。
「プララか?どうしたんだ?」
王宮までまだ伝わっていないのか、グロリアは不思議そうに聞いてきた。
「グロリア、スカルキングの大軍が西と東から迫ってきています。出撃の準備を。私は西門から、あなたは東門からお願いします。」
プララの言葉に通信プレートの向こうで息を呑むのが気配でわかった。あのグロリアの焦る姿など何百年振りかと、こんな時だがプララは笑いたくなった。
「わかった。円卓の騎士団も連れていく。一人一体が精々だが、良い修練になるだろう。」
「グロリア、遊びではありませんよ?」
「ああ、しかし最近天狗になっていたから丁度良い機会だ。私の撃ち漏らしでも相手をさせるよ。」
「全く、変わりませんねあなたは。」
「それを言うならプララもだな。スカルキングの軍勢に二人で突っ込むなんて、まず考えないぞ」?
「本当ならもっと仲間が欲しいところです。しかし、400年前とは違い、今の子達はあまり大規模な戦闘には慣れていませんから。」
「今回が良い機会じゃないか。有望な冒険者を参加させるべきだと思うが。」
「邪魔なので、今回は私だけでやります。面倒は見きれませんから。」
プララの言葉に、その本心を見抜いたグロリアは苦笑した。
「相変わらず過保護なことだな。じゃあおしゃべりはこれくらいにして行動に移るとしよう。武運を祈る。」
「あなたも、ご武運を。」
プララは通信プレートを切ると、椅子を回転させて窓の外に目を向けた。
(おそらく、ラズロの召喚した魔物でしょう。三大ギルドと協会の主力が離れて二週間、すぐには引き返せないこのタイミングを待っていた・・・ということでしょうか。いえ、もしかしたら他の場所にも同時に同じことが起こっていてもおかしくありませんね。戦力の分散を待ち、そこを同時に攻める・・・この程度の策ならばラズロを買いかぶっていたことになりますが・・・・・・なぜか胸騒ぎが収まりませんね。・・・何か、私が想像できないことが起こっているような気がします。)
プララは、この窮地に対してラズロの策を検めて考察した。もしかしたら更なる策がありえるかもしれないと、プララは考えた。その胸騒ぎに、プララは内心喜んでいる自分に驚いた。
「いけませんね」と呟き立ち上がると、執務室の壁に大切に飾られている弓を手にとった。そして、そのまま部屋を静かに出て戦場へと向かった。
「さて、新時代の冒険者ギルド、『大陸』の出陣だ。抗ってみろ『協会』。失望させるなよ?『王国』。全てはここからだ。」
王都の外、どこからともなく呟かれたその声は、ラズロのものではなかった。