⑯エリザベート・ヴェールディッヒ ~乾杯~
アルはエリザベートを連れて王都から北にある密林に来ていた。道中エリザベートからこの四百年間のことを色々聞かれたので、至極簡単に説明した。話を聞き、アルの身長と同程度の体をガックリ折り曲げ、大きなため息を吐いていた。
「どうしたんだエリザ?」
アルが問いかけると、エリザベートは呆れたように視線を向けた。
「どうしたではない。この四百年、みんな主様を探して回ったんじゃ。別の大陸に居たんでは、そりゃ見つかるはずないのう。無駄な努力じゃったわ。」
その疲労感に満ちた声に、アルは苦笑した。
「一言声をかけていくべきだったな。スマンスマン、ただあの時はみんな別行動だってことになっただろう?俺だってみんなの行き先を聞いてなかったしなぁ。」
「別大陸に行くなら話は変わってくるじゃろうて。しかも、大大陸、魔大陸、小大陸じゃと?そんなものがあるなんて誰も知らんわ。」
エリザベートがジト目で抗議すると、再度アルはスマンスマンと謝った。
この大陸にも海運業はあり、船での交易が行われている。しかしそれは中大陸内での港から港や、周辺の島国や離島との交易のみである。そもそも潮の流れが他の大陸に行くことを許さず、海の彼方は何も無いため真っ逆さまに落ちていくのみと信じられていた。余程の命知らずでもない限り、自殺行為ともいえる船旅などせず、多大なお金と潮の流れに逆らう労力を思えば世界はこの大陸しかないことになっても仕方ない。
アルは当分自分のことは内緒にして欲しい旨もエリザベートに説明した。それを聞いたエリザベートは訝しげに目を細めた。
「それは構わんが・・・主殿、どうせ無駄な努力じゃと思うぞ?主殿が歩けば世界が揺れる。昔からそうじゃったろ?まぁ、主殿が斬るのを我慢してひっそりと暮らせば問題ないが・・・」
「いや、斬りまくるよ。ほかの大陸で斬り尽くしたから戻ってきたんだ。四百年経てば俺の知らないものが増えてるだろうし。」
アルの物言いにエリザベートは乾いた笑い声をこぼした。それでこそ主様じゃ。と、その声は言っていた。
「せいぜい無駄な努力をするんじゃな、妾も協力はする故に。それよりも、楽しくなりそうじゃ。」
エリザベートは楽しくなると言ったが、なぜかその声は暗い。アルは気付かなかったが、その言葉は最大限の皮肉でもあった。エリザベートはこれからの騒動を思い浮かべ、内心で頭を抱えた。
「ところでエリザ、俺がいない間に腕は上げたんだろうな?」
暗い未来を想って考え込んでいたエリザベートは、アルの言葉に顔を上げた。そしてアルの目を見据えると、妖艶に微笑んだ。世の男性が見れば確実に魅了されてしまうであろうその笑みに、アルはただ頷いただけだった。
「なら、良し。それじゃあ軽く狩りでもするか。」
アルは腰に下げた強力匂い袋の封を開けた。黄色い煙が空気に溶けて周囲へと露散する。しばらくすると、密林を縄張りとする魔物が溢れ出した。
アルは腰の暴食魔剣を抜き、エリザベートは何もせず自然体で佇んでいる。D級の魔物ブレイドタイガーが二体エリザベートへと襲いかかった。その二体がエリザベートに喰らいつこうとした瞬間、突如一体が強力な衝撃をくらって吹き飛び、もう一体は重力が増したように地面にめり込み潰された。
エリザベートは不気味に微笑んだ。
「妾そのものが魔法じゃ。迂闊に近づくとケガじゃ済まんぞ?雑魚どもが。」
「相変わらず反則的な力だな。」
アルは呆れたように呟いた。その間も持った剣は目まぐるしく振るわれ、すでに十体の魔物が無惨にも両断されており、その余波で周囲の木々も切り倒されていた。そして「暴食魔剣」と唱えると周囲の残骸は綺麗に収納された。
「主様にだけは言われとうないわ。ただでさえ手が付けられん斬撃じゃというのに、なんじゃその力は?斬撃と合わせたら便利すぎるじゃろ。」
エリザベートもまた、アルの暴食魔剣の力を見て呆れた声を出した。
こうして、二人は一方的な虐殺という名の狩りを日が暮れるまでこなすのであった。
夜、昼間のパレードの熱がそのまま残った王都は活気に満ちていた。至るところに屋台が連なり、酒場も宿の食堂もほとんど満席という状態だった。グランフェルド王国唯一の王子が成人の儀を無事果たしたのだから当然ともいえるが、まさしくお祭り騒ぎである。
そんな中、ソニアは喧騒で騒がしい黄金の夜明け亭の食堂でご飯を食べていた。カイル王子の護衛と、シドやカームといった癖のある冒険者との旅で疲れた体だったが、無事任務を達成できた充実感から料理とお酒がとびきり美味く感じる。
食べながら食堂の中を見回した。遅い。早く帰ってこい。言いたいことが山ほどあるんだ。そうその目は物語っていた。もちろん探し人はアルだ。最後はアルのおかげでワイルドベアを討伐できたが、アレはないだろうという思い。その際にカイル王子を納得させる為に費やした労力。また、樹海での殺されかけたこと。思い出すと自然にコップを持つ手に力が篭った。
料理も食べ終わり、お酒を飲みながら待つこと一刻。食堂へと通じる階段をアルが降りてきた。テメーちょっとこっち来いやぁっ!!と、怒鳴ろうとしたが、その声はアルの後ろから降りてくる人物を見て止まった。思考がフリーズする。
そんなソニアを喧騒の中で見つけたアルは「よう」と片手を挙げて同じテーブルに座った。当然同行している人間達も同様に席に着く。
ソニアがフリーズしていることに気がついているのかいないのか、アルは同行者を紹介した。
「俺の隣にいる片腕冒険者はフアナだ。色々あって俺に付いてくることになった。そんで俺の正面にいる黒髪の女はエリザ。王国のギルド長で俺の古い友人だ。それとその隣が・・・パン・ベアリクトスだっけ?」
「アン・ベアトリクスよ!!失礼ねっ!!」
「ああ、そうだったな。で、王国のロイヤルクラウンらしい。ま、変な流れでいっしょに飯を食べることになったからよろしく。」
アルの言葉にソニアは貯めていた憤怒の感情が消え去り、顔色が一気に青ざめた。いつのまにか周囲の喧騒がピタリとやみ、食堂に静寂が訪れていた。
「あ、自称看板娘さん。このテーブルに適当にご飯とお酒を持ってきてくれ。」
そんな空気を無視して、アルは注文した。「じ、自称って言わないでくださいよぉ・・・」と、宿の一人娘が反論するが、いつもの勢いは無く、そそくさと食堂の奥に引っ込んでしまった。そこでようやくソニアが再起動した。
「ちょ、ちょ、え?幻影の・・・?しかも『黄金』まで。それに・・・それに・・・あの伝説の―――」
ソニアは混乱する頭をぶんぶんと振り、持っていたお酒を一気に煽った。そして空になったコップをテーブルに叩きつけるように置くと、アルを睨みつける。
「どういう流れが起こればこのような方々を連れて来れるというのだ君は!!というか、何もここじゃなくてもっと高級店とか行けばいいだろう!!」
「お、調子が戻ったな。樹海の冒険で何かあったのかと心配したぞ!」
アルはソニアの剣幕にも動じず、ハハハと軽く質問を受け流した。ソニアからしてみれば、樹海で何かあったのかとお前が言うな!なんて反論したいところだが、ここにいる面々のことを思うと躊躇してしまう。
「なかなか元気なお嬢ちゃんじゃのぅ。アル、妾達に紹介してくれんか?」
二人のやり取りを見ていたエリザベートが微笑みながら話しかけた。アルは「おっと失礼」とソニアの肩に手を置いた。
「こいつはソニア。E級冒険者だ。得意技は・・・ツッコミ、だったか?」
「違うっ!!」
アルの適当な紹介に苛立った声で噛み付くソニア。そしてみんなに向き直ると姿勢を正して改めて自己紹介をした。
「私はE級冒険者のソニアです。お三方に比べればまだまだ駆け出しですが、早く皆さんの記憶に名前が刻まれるよう奮迅する次第です。よろしくお願いします。」
ソニアの丁寧な紹介に、フアナは無反応だったが、アンは多少機嫌を良くし、エリザベートは微笑んだ。
「そんなに堅苦しくなくて構わんぞ?アルの知人ということは聞いておるからのぅ。」
「い、いえ、そんな、畏れ多いです。」
エリザベートは気をきかせて言ったが、ソニアは逆に縮こまってしまった。
「あなた、中々見所がありそうね?どうかしら、王国に入る気はない?私自ら指導してあげるわよ?」
「やめたほうがいい。その人、女好きだから。」
アンがソニアを見つめながら勧誘すると、アンの正面に座ったフアナが口を挟んだ。ソニアは「えっ!?」とアンから身を離し、アンはフアナを睨みつけた。
「ちょっとフアナ!誤解を招くような言い方はやめてよね!!私は軽視されがちな女冒険者の立場向上の為にちょっと目をかけてるだけよ!!」
「それが建前。本音は別にあると睨んでる。」
「・・・あなたね!?王国で妙な噂流したのは!?」
フアナとアンが何やらくだらない事で言い争うのを尻目に、エリザベートはアルに顔を近づけた。
「主殿、そういえば妾が王都に招集をかけられた事件が面白そうなんじゃが、乗るかのぅ」
エリザベートは小声で囁いた。アルの目が輝く。
「危険なのか?」
「さて、詳しく話を聞かないと確実なことは言えないのじゃが、・・・噂では他のS級冒険者とプララやグロリアも戦闘に参加する可能性があると聞く。間違いなく近年で最大の事件じゃろう。」
エリザベートの話を聞いて、アルの目が輝きを増した。まるで子供が新しい玩具を買ってもらう約束でもしたかのように爛々と輝く眼光は、四百年経った今も健在だとエリザベートは思った。
「乗るぜ。後で詳細を教えてくれ。」
「了解じゃ。近日中に協会本部で緊急会議が開かれるから、そこでもっと詳しいことが判るじゃろう。しかし、変わらんのう主様は。ちょっとは落ち着こうと思わないのかのぅ」
エリザベートが苦笑して言うと、アルは椅子に大きく寄りかかった。
「落ち着いてどうするんだ?俺たちは神酒のせいで不老になってしまった。永遠に退屈な生活をするくらいなら、今すぐ神と戦って殺されたほうがマシだ。神酒を創った神とな。」
アルは無表情に告げると、お酒を催促する為に席を立った。エリザベートは「また極端じゃのう。人生はその二択だけではないというのに。」と、呆れ気味に呟いた。
「どうかされたのですかエリザベート様?」
エリザのそんな様子に気がついたソニアが声を掛けると、エリザベートは何でもないというように首を振った。ソニアは首を傾げたが、今だに止まらないフアナとアンの言い争いがヒートアップしてきたのを見て、仲裁に入るべくエリザベートに追求はしなかった。
「なんだ?まだやってるのか?」
頭上から呆れた声が聞こえたのでソニアが顔を上げると、両手に五つのお酒が注がれたコップを持ったアルが困ったように立っていた。それぞれにコップを手渡す際、フアナを軽く諌めると、そのまま席に座った。アンもまた、エリザベートに諫められてバツが悪そうに項垂れた。アルが「まるで保護者みたいだな」と言うと、エリザベートも溜息を吐いて「違いない」と同意した。それを見たソニアが微妙な空気を振り払うべくコップを持って立ち上がった。
「では!奇妙な縁ですがせっかく出会ったのです!元気に乾杯といきましょう!!」
ソニアはそこでイタズラを思いついたようにエリザベートを見た。エリザベートがキョトンと視線を返すと、ソニアは満面の笑みで食堂にいる皆が聞こえるように大きな声をあげた。
「今日はカイル王子の成人の儀というめでたい日!太っ腹な『女王』エリザベート様がここの勘定を全て持ってくれるみたいです!!みんな、存分に飲みましょう!!」
「うえっ!?ちょっ、ソニア!!?」
寝耳に水のエリザベートが素っ頓狂な声を上げると、ソニアは立ったまま苦笑した。
「すみませんエリザベート様。でも、先ほど堅苦しくなくて良いとおっしゃったので、私が仲間内と飲む時同様に稼ぎ頭に頑張っていただこうと思いまして。」
ソニアが言うと、エリザベートはゆっくりと微笑み、自らも立ち上がった。
「これは一本取られたのぅ!!・・・良し、妾も腹を括ろうぞ!!全員立ってたもれ!!!」
エリザベートが豪快に言い放つと、それまで成り行きを見守っていた皆がコップを持って立ち上がった。皆、「さすが『女王』!」「それでこそ最強の冒険者!!」「嬢ちゃんもよくぞ言った!」など機嫌よく囃したて、視線とコップをアル達のテーブルに向けた。
アル達も全員立ち上がり、なぜか厨房から女将さんと料理長を兼任する旦那さんが現れ、一人娘の自称看板娘までがコップを片手に笑っている。
全員の準備が整ったのを確認すると、エリザベートは杯を高々と掲げた。
「カイル王子に!そしてここに居る全ての者の未来に!!乾杯じゃっ!!!」
黄金の夜明け亭の食堂に、杯がぶつかる音が鳴り響いた。