⑪フアナ・ハトシェプスト ~全身全霊を込めて~
木の枝から飛び降りたフアナ目がけてアルは剣を振るった。同時に、フアナは魔力を解き放った。
「陽炎」
フアナが呪文を唱えた直後、アルの剣がフアナを両断する。しかし、その体は蜃気楼のようにぼやけて消えた。そして、その不可思議な現象に動じることなくアルはすぐさま背後を剣で薙いだ。
そこに今消えたフアナの姿があった。だがまたしてもフアナは不気味にぼやけ、アルの剣が空を切った。
「透刃」
アルの頭上からフアナの声が響いた。不可視の刃がアルに迫り、アルは咄嗟にバックステップで回避。アルが居た地面を切り刻む。
アルは最初の木の枝にいるフアナに目を向けた。フアナは無表情にアルを見下ろしていた。
「どうかした?私はここから一歩も動いていない。その程度?」
フアナはその表情と言動とはかけ離れた楽しそうな声色でアルを挑発した。アルは笑みを深めた。
「光魔法の使い手か。そんなことを言うが、さっきのを幻術か何かだと勘違いして対応すればお陀仏、だろ?」
アルの言葉にフアナはうっすらと笑った。美しく、凶悪な微笑みだった。
「六幻]」
フアナは呪文とともに再び跳んだ。両手に小剣を持ち、重力にまかせるままにアルへと迫る。
ワンパターンな奴だと、アルは暴食魔剣の力を発動しようとした。だが、信じられないことにアルの両側面から二人ずつ、木から飛び降りたのを含めると五人のフアナが小剣を構えて襲い掛かった。
アルは鞘を抜くと逆手に持ったまま左の二人の攻撃を受け止め、さらに右手の剣で残りの三人を斬り捨てた。アルの斬撃で両断された三人のフアナは地面へとくずれ、そのまま地に溶けるように消え去った。アルはそのまま左の二人も両断するべく剣を振るおうとしたが、その前に真下からの殺気を感じ取って大きく後転した。瞬間、アルの顎先を掠めるように小剣が突き上げられた。地面からすり抜けるように突如出現した六人目のフアナが攻撃したのだ。
三人のフアナがアルを見つめた。
「「「よく、躱した。さすがに強い」」」
三人の重なった声が樹海に木霊した。
「やっかいな術だ。嫌いなタイプだな」
アルの言葉に三人のフアナは同時に微笑んだ。
「「「あなたとミレニアムウルフの戦闘は見させてもらった」」」
「「「「あなたは強い。」」」」
「「「「「でもあなたはここで死ぬ」」」」」
「「「「「「相性の差で、あなたは私に勝てない」」」」」」
フアナがしゃべりながら、先ほど斬り捨てた三人のフアナが地面から音もなく出現した。
そして、六人のフアナがアルへと迫った。
そんな、窮地ともいえる状況で、アルは不敵に笑った。
「嫌いだが、苦手ってわけじゃない」
アルは馬鹿の一つ覚えのように剣を振るった。六人のフアナはその攻撃を予想していたとばかりにそれぞれ回避する。だが、
「「「「「「なッ!!?」」」」」」
六人のフアナは頭部を落とされ、首を落とされ、胴を両断され、左肩から斜めに袈裟斬りにされ、右肩から斜めに袈裟斬りにされ、そして頭から真っ二つにされて地面を転がった。
それは一瞬の出来事だった。一閃したようにしか見えなかったアルの剣は、その刹那の間に六回の斬撃を放ち、六人のフアナを瞬きすらさせずに斬り捨てた。
「六人じゃあ足りないなぁ。魔大陸の超大軍の戦争に比べたら眠くて欠伸がでちゃうね」
アルは飄々と言いのけると、再び木の上を見上げた。
そこには顔を蒼白にして木の枝に佇むフアナがいた。そして、一転してその顔を歪ませると、三度飛び降りた。
アルは不動のままフアナが木を降りるにまかせた。
フアナは着地すると、無表情とは到底言えない憤怒にかられた顔でアルを睨みつけた。
「勝負はここから。まだ、私の全ては見せていない」
フアナは更なる闘志を燃やしてアルを見据えた。
しかし、アルは残念そうに呟いた。
「悪いが本当に急いでるんだ。お前の奥の手ってやつに興味はあるが、終わりにするぜ」
アルは言葉と共に剣に魔力を込めた。剣が白く発光し、美しいとさえいえる輝きが薄暗い樹海を照らした。
「な、な、な」
それを見たフアナはその圧倒的な、絶望的ともいえるほどの魔力に思わず尻餅を付きそうになった。
こんな、こんなの、こんなの有り得ないッ!!
フアナが所属するギルド。最大最強の王国のトップ達ですら赤子に思えるほど非現実的な魔力は、絶望するフアナをあざ笑うかのようにさらに上昇していく。
フアナは王国のロイヤルクラウンの戦闘を見た時、いつか自分はこれを超えると奮起した。初めてロイヤルクラウン筆頭の『黄金』と副ギルド長が試合った時、いつか戦ってみたいと歓喜した。初めて王国ギルド長、伝説の冒険者である『女王』と会った時、強烈にあこがれた。
それらフアナを冒険者として成らしめた全ての想いが足元から崩れていくようだった。
フアナは笑い出しそうになった。自分の冒険者としての研鑚は、死力を尽くした冒険の日々は一体なんだったのかと自虐に満ちた笑いだった。
「じゃあな。お前、けっこう面白かったよ」
「ッッ!・・・そう」
アルの言葉が絶望と諦観に呑まれかけていたフアナの意識を呼び戻した。
面白かった。そんな馬鹿にしたような言葉でも、この伝説の冒険者すら超越した男に言われたことで、今までの努力が無駄ではなかったかもしれないと思えたのだ。
フアナは力を取り戻した目でアルを見据えた。
「私は弱い。でもいつか―――」
フアナの言葉が最後まで紡がれることはなかった。
「魔法剣」
アルは、眩く輝く剣を足元から振り上げた。
フアナと共に、地面ごと森を蹂躙する魔力の斬撃が放たれた。大地は真っ二つに割れ、木々を消滅させ、遥か彼方まで斬撃が突き進む。永遠に続くかと思われた破壊の轟音が消えるまで、二十数秒の時間がかかり、やがて森は何事も無かったかのように静けさを取り戻した。
アルはゆっくりと剣を肩に乗せ、「暴食魔剣と呟いた。
心なしか暴食魔剣がげんなりとしたように鈍く発光すると、斬撃の犠牲になったあらゆるものを収納した。
今やアルの前には非常に小さいながらどこまでも続く渓谷のような断面が地を走っていた。遠くない将来、左の樹海、右の樹海と呼ばれてしまうかもしれない。万が一この断面に落ちてしまった人がいたら、もしかして自分のせいだろうか。そんなどう考えてもお前のせいだろうと言えることをアルは考えた。
その環境破壊と殺人トラップの職人は、眼前の光景に微笑みながら剣を鞘に納めた。微笑んではいるが、その頬を冷や汗が伝う。
「・・・もしソニアたちが軌道上にいたら・・・」
はい、王族殺害も追加ですね。
アルは言葉にできなかったが、言いようのない不安に襲われ慌てて走り出そうとした。と、そこで持っていた通信プレートが発光しているのに気が付き足をとめた。
忘れていたが、ソニアと通信するために持っていたのだったと、アルは幾分か不安を消しながら通信プレートに魔力を通した。
「ソニアか?」
「・・・・・・・・・アルか?」
アルはホッとするより、首を傾げた。なぜかソニアの声が突然の魔法剣によって死にかけ、奇跡的に無事だったがこの殺人未遂剣がもしかして知人ではないかと思い当り、血管が切れるほど憤怒にかられた結果、激情を氷の刃にかえて通信プレートで連絡してきたような声だったからだ。
「ど、どうかしたのかな?一言言っておくが、俺は樹海に渓谷とか作ったりしてませんよ?」
アルは馬鹿である。と、まとめてしまおう。アルの自白により、通信プレートの向こうの温度が下がったかもしれない。
「アル・・・次会ったらお前を殺す・・・私が殺されようがお前だけは殺す・・・」
一瞬の間が空き、通信プレートより地獄の底の底から轟くような、冷たく濃厚な殺意に溢れた声が響いた。
そして、通信プレートの発光が消えた。
アルの顔を冷や汗が流れる。しかし、アルはすぐに思考を切り替えてとりあえず生きてたから万事OKと軽い足取りで歩きだした。そのままソニアという名の復讐鬼のもとへ急ごうとすると、背後に気配を感じて振り返った。
「・・・へぇ 」
振り返った先には左腕を失くし、フラフラになりながらもアルを見つめるフアナの姿があった。アルは踵を返すとフアナに近づいた。
「あれを避けるなんて、なかなかやるな」
瀕死の人間に懸けるにしてはふさわしくない軽い口調で言うと、フアナは血だらけの姿ながら不敵に微笑んだ。
「光魔法の奥の手、瞬間再生の魔法。死んだ振りして攻撃する為に覚えたのだけど、まさか再生不可能なほど細胞を消滅させられるとは思わなかった。完敗。」
完敗といいながら、その表情は明るかった。アルはフアナの表情を見て、高らかに笑った。
「お前本当に面白いな!!ハハッ、うん、お前は強くなるぞ」
アルの言いぐさにフアナは呆れとも諦めともいえない微妙な顔で応えた。アルはさらに笑った。
「強く、なりたい。でも、私はここであなたに殺されて終わる。悔しい。」
「いや、お前は生きるさ」
アルは腰に提げたポーチから小さな小瓶を取り出した。そしてその小瓶をフアナの残った右手に握らせた。
フアナにはそれが最上級の回復薬だということが判った。そのことに目の前のアルを睨む。
「どういう・・・つもり?殺意を持った敵を生かすのはプロじゃない。あなたはまさかそんな甘い素人ではないはず」
「死にたいのなら飲まなくてくたばればいいさ。それに、素人とかプロとかは関係ないね。ただ俺がお前の先を見てみたいと思っただけだからな」
アルの言葉にフアナは睨み続ける。アルは視線を逸らさず好奇心に満ちた視線を返した。
そのまましばらく見つめ合い、やがてフアナは悔しがりながらも一気に回復薬を飲み干した。フアナの全身を激痛が襲い、左腕から煙が吹き上がる。そのまま意識を手放してゆっくりと傾いたが、
「おっと」
そのフアナをアルが支えた。そして労わるかのように静かに地面へ寝かせると、自らも座ってフアナの頭を太ももに置いてやさしく頭を撫でた。
「ほんと、面白いやつだ。これだから冒険者はやめられないよな?フアナ・ハトシェプスト。」
静かな樹海の中で、ゆるやかで温かい時間が流れた。
一時間程経ち、フアナの目が薄く開かれた。その目をアルが覗き込む。
「お目覚めですか?お嬢様。」
「・・・ここは・・・」
アルの軽口には無反応なフアナだったが、やがて弾かれたように起き上がると、アルを見、己のもはや失った左腕を見た。そして、まだ少々ふらつきながらもゆっくりと立ち上げると、胡坐をかいて座るアルを見下ろした。
「本当に・・・完敗。・・・この借りは必ず返す」
フアナは何かを決意した目でアルのことを力強く見据えた。アルは苦笑した。
「別に気にしなくていい。俺が好きでやったことだからな。俺って気紛れだから。」
アルは照れ隠しからか、頬を掻きながら笑った。そんなアルの言葉が聞こえていないのか、フアナはさらに言葉を続けた。
「借りは返す。・・・そのためにあなたについていく。そして約束してほしい。借りを返せたその時は、もう一度私と戦って。」
「あーはいはいわかったよ~・・・ってハイィィ!!?」
静かな森の静寂を破るアルの大声が響き渡った。そして、フアナはなぜかその好戦的な言葉に相応しくない乙女のような真っ赤な顔をしていた。
後にフアナが言うには、この時の言葉は全身全霊の勇気を振り絞って告げた精一杯のものだったそうだ。