⑩ソニアの戦いとアルの戦い ~絶望にはまだ早い~
「風の衣ッ!」
ソニアは魔力を高めて風を纏い防御を固めた。シドは双剣を構えてカイル王子の傍で構え、カームは杖を掲げた。
「幸い、敵はまだE級以下しか集まっていない!一気に殲滅してここを離れれば凌げるはずだ!!」
カームの叫びに頷く間もなく、ソニアにE級の魔物クワトロアームモンキーとゾンビナイトが襲い掛かった。動きの速いクワトロアームモンキーの四腕のひっかきを躱し、一歩遅れたゾンビナイトへ剣を振るう。しかしその攻撃はゾンビナイトの剣で受け止められ、一瞬の膠着状態の隙に背後からクワトロアームモンキーがソニアの背を鋭い爪で切り裂いた。
ソニアは事前に纏っていた風の衣の効果で大怪我こそ負わなかったものの、完全には防げずに苦悶の声を上げた。そしてゾンビナイトとのつばぜり合いを受け流し、反撃のため体勢を整えた。
「風刃ッ!!」
ソニアが呪文を唱えると三本のかまいたちが魔物へと飛んだ。躱し損ねたクワトロアームモンキーは左腕を一本落とされ、ゾンビナイトは右腕を肩から斬り飛ばされた。
ソニアはそのまま追撃を掛けようと踏み込んだが、
「ソニアッ!後ろだっ!!」
シドの声に慌てて前方に身を投げ出した。その頭上を巨大な風圧が通り過ぎた。
急いで立ち上がりつつ確認すると、そこにはD級の魔物オーガソルジャーが巨大な斧を振り切った体勢でソニアを睨んでいた。ソニアは一瞬周囲に目を向けると、あっという間にD級の魔物までもが集まり、カイル、シド、カームも防戦一方という劣勢に立たされているのが目に映った。
ソニアを絶望感が襲う前に、再びクワトロアームモンキーとゾンビナイトが、そして新たにオーガソルジャーがその凶悪な意思をもって迫った。
「みんな伏せろッ!!」
ソニアは誰の声か考える前に這いつくばった。そしていつの間にか離れてしまっていたシドが双剣を斜めに構えるのが見えた。
「灼熱の波動ッ!!」
シドが双剣を交差させながら振り切ると同時に、すさまじい熱波が周囲に放たれた。魔物たちは上半身を焼け爛れ、木々はその熱で発火した。火は瞬く間に広がりソニアの顔を照らした。
「今のうちにここを離れるぞ!カームは王子を!ソニア、立てるよな!!」
そこからは皆素早かった。新たな魔物の波が押し寄せる前にわき目も振らずに灼熱地獄を脱した。逃げながらソニアは仲間たちの状態を確認した。カイル王子は疲労が激しいものの目立った外傷はなく、シドも多少の擦り傷程度で行動に支障は見えなかった。しかし、カームは左腕から出血しており、その表情は辛そうだった。
「何を見ている庶民。俺は回復魔法の使い手だぞ?落ち着いたら直すからほっといてくれ」
カームのイライラした声を聞き、ソニアは安堵した。
一行は10分ほどしたところで木々が少ない空いた空間を見つけると、倒れるように座り込んだ。
わずか1分にも満たない戦闘だったが、過去に経験したことのない窮地と、カイル王子という重要人物を守りながらというハンデが通常よりも遥かに皆を疲労させていた。
ソニアは息を整えると、シドへと顔を向けた。
「シド、助かったよ。すごい魔法だったな」
ソニアの言葉にシドは首を振った。
「この双剣は我がスプライト家に伝わる剣で、魔力を溜めておける能力がある。今ので三か月溜めた魔力を使い切った。もう同じ真似はできない」
シドは疲れた声で説明した。それを聞いたソニアは押し黙った。
王子はまだ息が整わず項垂れており、カームは左腕に治癒の魔法を施している。ソニアはその様子を見つつ、現状を踏まえて行動指針を考える。
(ひとまず王子の身を最優先するならば樹海を脱出したほうが良いが、慌てて走ってきたからここが樹海のどの辺りかすでに検討がつかんな。まぁ、このまま帰ると言っても王子が納得しないだろうし、当初の予定通りワイルドベアを探すか。これからは慎重に進み目的外の魔物とは極力戦闘を避けるようにしよう。身が持たない)
ソニアが考えていると、治癒を終えたカームが立ち上がって皆を見まわした。
「これからは隠れるように進むぞ。ワイルドベア以外の魔物は全てやり過ごし、危険は最大限回避して行く。それで質問だが、シドとソニアは索敵魔法を使えたりしないか?」
ソニアはシドと顔を見合わせた。シドは無言で首を振った。
「私は使えるが、純粋な魔法使いではないからワイルドベアと遭遇するころには魔力が尽きていて戦力にならなくなるぞ?だからここまで使わなかったんだ」
ソニアの言葉にカームは懐から小瓶を取り出してソニアに放り投げた。それは魔力を回復するマナポーションと呼ばれる回復薬だった。ソニアは驚いてカームを見た。
「いいのかこんな高価な物」
「ふん、庶民には手が届かないだろうが、貴族からすれば大した出費ではない。特に魔法使いの俺には命を救う必需品だ」
こんな時でも嫌味な男だと、ソニアはカームを軽く睨んだが何も言わずマナポーションを腰のポーチにしまった。
「そろそろ行こうか。私のせいでまた魔物に囲まれては目も当てられないからな」
項垂れていたカイル王子が顔を上げて皆に笑いかけた。その表情はまだ幾分辛そうだが、歩くのに支障がない程度には回復したようだった。
カームが王子に手を貸し、ソニアとシドは立ち上がりながら装備の点検をした。
「風の調べ」
そして、ソニアが静かに索敵の魔法を唱えると、一行は再び歩みを進めるのだった。
アルの剣閃が空を切る。その隙を母狼が5mもの巨体とは思えない素早さで襲い掛かった。アルは舌打ちすると剣を振った勢いのまま体を回転させて母狼の獰猛な牙を躱した。そして左足をしならせて巨大な咢を蹴りあげる。母狼の巨体が一瞬宙に浮かんだ瞬間を見逃さず再び剣を振りぬこうとしたが、母狼の鋼のような銀毛で覆われた尾がアルの手を打ち払った。アルは一旦体勢を整えるためバックステップで距離を取った。母狼もまた、合わせるように後退した。
アルは母狼を鋭く見据えたまま口角を吊り上げた。
「俺の剣をやたら警戒してるなぁ。さすがにあっさり片付けさせてはくれないか」
アルの態度は焦りも苛立ちもなく、楽しんでいるかのように飄々としていた。母狼は変わらず凪いだ目でアルを見据えている。
「お主の斬撃は必殺の一刀のようだからな。当たり前だろう」
母狼はそう言って大きく息を吸い込んだ。そして、アルに向けて咆哮するかのように口を開けた。
それは見えない巨大な弾丸だった。空気の塊が殺意をもってアルへと放たれた。
アルは左に躱した。アルの背後の岩壁が大きな音と共に穿たれ破壊された。母狼はアルの躱す方向を読んでいたかのごとく素早く回り込み、凶悪ともいえる牙で強襲した。しかし、アルの剣は躱す動きと同時に振り上げられていた。
「俺も読んでたぜ」
アルの必殺の斬撃が振り下ろされた。かに思われたが、母狼の背後から吹き付けられた突風がアルを強制的に後退させ岩壁へと叩きつけた。そのまま母狼の咢がアルの上半身ごと噛みちぎるように閉じられた。
殺った。母狼は勝利を確信したが、自らの口が閉じきらず、困惑した。
「なかなかやるな、お母さん」
アルは左手で持った剣の鞘を、母狼の歯と舌の間に絶妙なバランスでつっかえ棒にしていた。その為口は完全に閉じられず、半ば母狼の口の中に上半身を突っ込みながらも無傷だった。母狼はどのように防いだかを理解していなかったが、そのまま息を吸い込み空気弾を発射しようとした。
その間が勝敗を決した。
アルは口の外に出していた右手の剣を、力任せに振り切った。その斬撃は母狼の口を頭部にかけて両断し、顎から上を吹き飛ばした。当然アルの全身は真っ赤な血が降り注いだが、代わりに母狼は絶命した。
アルは岩壁から地面に降り立ち、母狼の死体を数秒目に収めると、暴食魔剣に収納した。そして、脇の茂みへと目を向けた。
「そのまま帰るなら無視してやる。だけど、隠れてのぞき見するだけでなくこの死合をぶち壊す真似をするのなら・・・殺すぞ」
アルの冷たい静かな言葉に茂みが揺れた。そのまま数秒の静寂の後、茂みから見えない何かが立ち上がった。
それは一言呟いて呪文を解くと、姿を現した。ショートの黒髪の女冒険者。アルの胸くらいしかない身長は黒いローブで覆われており、その無表情な顔の中で青い眼が鋭くアルを見据えていた。
黒ローブの女冒険者は静かに口を開いた。
「私の名前はフアナ・ハトシェプスト。王国のB級冒険者。のぞき見していたことが気に障ったのなら謝る。悪かった」
フアナの言葉に、アルは興味深そうに見つめ返した。
「そうか、フアナ。俺はE級冒険者のアルだ。それで?なぜここにいる?」
「指名依頼を遂行するために樹海に入った。ここには偶然たどり着いた。伝説のミレニアムウルフとあなたの戦いから目が離せなくなっただけ。他意はない」
嘘は付いていない。フアナは思った。そんなフアナにアルは苦笑した。
「なるほど、王都で部下と揉めた男がミレニアムウルフと戦っているのを見つけて目が離せなくなったと。しかもあれ以来部下は行方不明。この男が関わっているはずだと考えた。当たらずとも遠からずってところかな、軍団隊長様」
アルの的を得た言葉にフアナの仮面のような表情が一瞬揺れた。そして、すぐにそれがカマを掛けられただけだと気付き、己のミスに舌打ちした。アルはただ興味深そうに見つめていた。
「なら話は早い。私の部下達をどうしたの?」
「殺す気でかかってきたから殺した。死体は絶対見つからないからあきらめたほうがいいよ」
「そう、完全に予想通り。ひとつ問題が解決した」
「・・・怒らないのか?」
「あいつらが死んだのは冒険者のルールで言えば自業自得。自分たちも弱肉強食の弱者になりうるということを忘れた己惚れた冒険者の末路としてはマシなほう」
ソニアの言葉には冷たいというより、むしろ憐れみがあった。そして、その青い眼はアルに対して隠しきれない興味で輝いていた。アルは頬を掻いてその青い眼を見つめ返した。
「ふーん、そっか。それで、このままサヨナラってことで良いよな?」
確認というよりもお願いととれそうなその声色を聞いて、無表情だったフアナの顔に抑えきれない喜びが込められた笑顔が浮かぶ。
「ダメ。私はあなたに興味がある。ここで出会ったのはきっと運命。ヤルならここしかない」
聞きようによっては誤解されかねない言葉に、アルは溜息をついた。
「俺、今ここに至っては割と忙しいんだけど。というかかなり急いで向かわないと行けない所があるんだけど?」
「私には関係ない。強いほうの我儘が通るのも冒険者の良いルール。というわけで、行きたい所があるなら押し通ればいい。あなたにできるかな?E級冒険者アル」
フアナはフワリと浮き上がり、木の枝へと昇った。青い瞳は無表情な顔とは対照的に爛々と輝き、纏う魔力が一瞬で高まった。
アルは今一つ気が乗らなかったが、剣を鞘から抜いた。
「それじゃ、一瞬で終わらせて仕事先へと移るとするかな。・・・B級冒険者がただの名称でしかないってこと、死んで学習するんだな」
アルが言い終えた瞬間、フアナの全身に鳥肌が立った。アルの殺気が針のように突き刺さり、フアナをかつてない戦慄が襲った。同時に、自分が冒険者をやっているのは、正にこの瞬間の為だと、フアナは抑えきれない歓喜と共に跳んだ。