第8話 犯人の名は……
まずは冷静に状況を観察し、考え得る可能性をすべて想定し、そして一つ一つ確実な証拠をもって消し去って行く。すると、一つだけ消え去る事なく取り残される架空がある。それが、真実。
状況はこうだ。
全体的に可愛らしい秘書のナナさんの名刺の金銭的価値を直接交渉する事になった僕とコーターさんは、ついでだからと、職場でも歳が近いせいかよく三人でつるんでいるシンシオさんも呼んで僕の部屋でささやかな宴を開く事にした。
金曜の夜、男三人お酒を持ち寄って、先輩後輩の立場なんて遠慮なく飲み食いすれば当然話題は限定されてくるけど、割愛。
気が付くと、三人とも眠っていた。そして、事件は起こっていた。
冷蔵庫の扉が開いていて、コーターさんにもシンシオさんにも決して指一本触れさせなかった僕の大切なライチのお酒が消えていた。最後の一本だった。もう一度お酒を漬け込むには、まず新鮮なライチを手に入れるところから始めないとならない。チェリコ先輩に3本中2本も奪われてしまったのだ。だから、この一本だけはコーターさんにもシンシオさんにも飲ませなかった。
なのに、冷蔵庫から忽然と姿を消してしまった。
この部屋で夕べ何が起きたのか。冷静に状況を観察すれば、犯人は限られてくる。
容疑者その1
コーター・ブライカ
女の子にちょっとだらしなく、飲み屋でかわいい女の子グループがいたりするとそんなに飲んでないのに平気で声をかけたりする。そもそも今回の事件の発端は、ナナさんの名刺の取引きであり、僕の部屋に侵入する口実を作るにはいいチャンスだったに違いない。僕の2年先輩だが、ほとんどため口きいてる。会社では四輪車のドライバーで、主に貨物を扱っている。
容疑者その2
シンシオ・アレンシオ
僕の1年先輩で会社ではチェリコ先輩と経理の担当をしている。コーターさん、シンシオさん、僕とで、よくチェリコ先輩に「3バカ」と呼ばれている。服やら小物やらのセンスがよく、車もいいクルマに乗っている。もの静かで聞き上手な台詞回しからなかなか女性の心をくすぐるみたいだけど、僕が知っている限り特定の彼女はいないみたいだ。何よりもお酒に詳しく、そしてもちろん飲むのも好き。動機としては一番疑わしい。
容疑者その3
プラウタ・ラッツェル
不本意ながら、僕自身も容疑者に含まれる。飲み始めた最初の時間帯の事は覚えているのだが、ふと目覚めるまで、何も覚えていない。僕がせっかく隠していたライチ酒を、僕自身が酔った勢いで開封し振舞ってしまった可能性も捨てきれない。
犯行時刻は金曜の深夜から土曜の明け方にかけて。夜に飲み始め、朝にライチ酒がなくなっているのに気付いたからだ。
容疑者その1、2はすでに帰宅し、現場には僕だけが残り、捜査を続けている。
間もなく、僕はある一つの事実に気付き、犯人が自ら名乗り出るよう仕向けた。たった一枚の紙切れに、短い文章を書き綴る。これでいい。これをとある場所にはり出すだけで、きっと犯人は自らの罪を告白するはずだ。
そう、この冷蔵庫にライチ酒がある事を知る人物がもう一人いた。
そして、ついさっき、事件は解決した。
僕の部屋の前に、3本の空き瓶が並んでいる。青空のようによく透き通った空瓶だ。きちんと洗って乾かしてあり、「ごちそうさま」と、犯行声明文とも読める文章が添えられてあった。
犯人の名前はチェリコ・クララ。30歳。独身。僕がチェリコ・クララ容疑者
の隣の部屋に住んでもう5年になるが、誰か友人が訪ねてきた記憶はない。趣味は僕にたかる事。
僕の作戦はこうだ。一言書き記したメモを彼女の部屋の扉に貼付ける事。
「ライチのお酒の空き瓶を返してくれればまた作りますよ」
僕が彼女にあげた(奪われた?)ライチ酒は本来ならば2本。
そして、3本の空瓶が僕の部屋の前に並んでいたのだ。
おぼろげだけど、思い出しつつある。いつのまにか、そう、本当にいつのまにか、部屋にチェリコ先輩がいて一緒に飲んでいたような。