柔らかな気持ちで
白くて、大きい。
今まで水族館を訪れたことのなかった私にとって、初めて見た水族館の外観は白くて大きい巨大な箱のように感じた。
「…何、これ?」
「何って水族館。アキ、来たことナイの?」
「ない。」
私がそう返事をすると、シュウはふぅっと溜息を吐いた。
「水族館来たことないとかさー、アキ今までどういう人生おくってきたの?」
「‥‥‥、」
「普通さー、デートとかで一回くらいは来たりしないかなー…、」
シュウが何となく放ったその言葉は、私の心の深く深く、蓋を閉じたはずの場所を抉った。
───ねえ、もう忘れてもいいよね?もう時効だよね?
無言を突き通す私の横顔を眺めているシュウは、そんな私の様子にも興味があるのかないのか未だわからなくって、
「とりあえず、行こアキ。」
そう言うと、車を降りて助手席の扉を開けると私の手をまた強引にひっぱり足を進める。
初めての水族館だった。
ずっとずっと、来たくてしかたなかった場所だった。
でも絶対に、来たくはなかった場所だった。
無邪気に水槽を眺めているシュウを見つめる。
ねえシュウ、よりによってどうして水族館なのよ……。
「アーキ、あっち。イルカのショー…、」
「…うん、」
飛び跳ねる、イルカの水しぶきを身体に浴びる。
顔にもかかった水しぶきは、まるで汗が流れ落ちるかのように私の頬を伝った。
その水滴に紛らわせ、私はそっと涙を流した。
『水族館?』
『うん、イルカのショーとかさ本当嫌なことなんか全部忘れられるくらい無心になれるよ。』
『私、水族館って行ったことないんだ。』
『じゃあ、夏になったら一緒に行こうか、秋奈。』
『…約束ね。』
一滴落とした涙の滴は、ずっと固く蓋をしたはずの記憶を呼び起こし、私を一気に過去へとさらった。
思い出したくなかった。
けれど涙は止まらなかった。
…二年前、空の彼方へ忽然と姿を消したあなた。
ねえ、今どこにいるの?
何をして誰と生きてるの?
どうして、約束守ってくれなかったの?
聞きたいことは山ほどあった。
果たされることがなかった約束を、それでもいつかと夢みてた自分を嘲笑う。
ああ、そうかきっと心のどこかでは忘れたはずのあなたのことを許せてなかったのかもしれない。
もう、私をあの深い藍色の夜の日から開放して…。
優しい温もりを感じて顔を上げれば、シュウの男にしては少し華奢な手が私の頭を撫でていた。
そっと、壊れ物を扱うかのように…。
私が涙を流しているのをシュウはきっと気づいてる。
けれども、イルカのショーの間、何も聞かれることはなかった。
かわりにシュウはずっと、イルカを眺めながら私の頭を撫でていた。
…その手はわずかに震えていた。
私たちはきっと、同じ悲しみを胸に抱いているのだろう。