そっと、そっと
「……っ…、一日だけって……どうして?」
言葉を詰まらせ静かに私が彼に問うと、ふっと彼は不敵に笑う。
「一人でいたくないカラ?」
質問に対し質問で返す彼は、また新しい煙草に火をつける。
何が目的なのかわからない。
今日一日一緒に過ごすことに何か意味があるとも思えない。
一日だけ一緒にいたところで、私と彼の関係が変わることはないだろう。
平行線はいつまで経っても、どこまで辿っても平行線のままで交わることなど決してないのだから。
明日からはまたいつものように、廊下ですれ違うだけの関係。
そう、それだけ。
「別に、…いいですよ。」
私の答えを受けとると、彼はフッと目を細め、口角が弧を描いた。
そして、顔をぐぃっと私に近づけると、
「それじゃあ今日一日ヨロシクね?アキ。」
あまりにも、耳元で甘く囁かれるものだから、思わず頬が紅色に染まっていくのが自分でもわかった。
身体が、熱をもつ。
心が、うずく。
そんな自分を悟られたくなくて、必死に顔を逸らそうとすれば彼はクックッと喉をならすようにして笑う。
…ズルい、あっという間に彼のペースに巻き飲まれてる。
名前さえ知らないのに。
あ、そうだ名前…
「あの、名前何ですか?」
私が尋ねると、彼は腕を組み立て首を軽く傾けて、うーんと何か思考しているようだった。
「とりあえず、シュウでいいや。」
「…シュウ、」
私がその名前を囁くと、彼は満足そうに頷いた。
それはきっと偽名で、不自然な間合いからもそんなことは容易に想像できた。
けれども、呼んだその名の響きはあまりにも自然と私の中に浸透して。
忘れられなくなりそうで少し、怖い。
……それも結局今日一日だけだけど。
「アーキ、アキ?」
思考はしばらく宙を彷徨っていたらしく、シュウの力強い声により意識が現実へと戻された。
シュウはふっと目尻を細めて優しく微笑み、表情とは打って変わってギュッと強引に私の手を握りしめた。
「なっ…なに?、」
私が慌てて問いただすと、
「じゃ、いこっか?」
どこに?なんて問いかける間すら与えずに、シュウは私の手を引っ張り足を進めた。
部屋を出るとそこはいつもシュウとすれ違う廊下で。
いつもは一人で通るその道を、今日は二人で通り抜ける。
自動ドアを出て、顔をあげるとそこには今にも泣き出しそうな灰色の空が私とシュウの世界を支配した。
そんな今日の天気とは裏腹に、繋がれた手の温もりが愛おしくって。
…何だか私まで泣き出しそうになった。
「乗って?」
ラブホテルを抜け正面の道路を渡ると、目の前には月極契約の駐車場があった。
シュウはそこに停めてある、車高の低いインテグラに乗るよう私に促す。
黙って助手席に乗り込むと続いてシュウも運転席に乗り込んだ。
カチャカチャとシートベルトを締める音だけが狭い車内に響き渡る。
先に沈黙を破ったのはやっぱりシュウだった。
「それじゃ、行こうカ?」
シュウは一瞬私の顔を見ると目尻を下げて優しく笑った。
「…うん。」
私のその一言を合図とするかのように、車は動きだした。
───一体どこに連れていかれるのだろうか?
全くもってシュウの考えに検討がつかないけれど、窓から見える雲を掻き分けるかのように射し込んだ太陽の光に安心感を覚えた。
車は止まることなく進んでいく。
私の心もどこかに連れてって…。