惑う心
モノトーンのインテリアで統一された無駄に豪華な部屋の中で、一つだけ異色を放つ真紅のソファがやけにリアルだった。
そのソファに座らされている私は、今だこの状況をよく理解できずにいる。
ふーっと、彼が吐いた煙草の煙が私を侵略するようで、少し恐かった。
「アキ、」
呼ばれた私の名前に反応し顔をあげると、そこにはいつもラブホテルの廊下ですれ違う彼の顔。
一体どうしてこんなことになってるのだろうか?
目の前の男は楽しそうに煙草をふかしている。
わたしへの好奇をたっぷりと含んだその鋭い瞳は、もはや恐怖でしかない。
「廊下では静かにしヨウネ。」
長い睫毛の下に隠れる怪しい瞳。
私の心が警鐘を鳴らす、これ以上関わってはいけないと───。
でも、私は彼のことを知りたい。
……知りたい。
「…ねぇ、あなたは何者なの?どうして知っているの?私の名前も、その…していることも……、」
ブラウンの柔らかい髪、中背中肉のほどよい体型、そして端正に整えられた容姿。
鋭い瞳の奥のまた奥には、優しさと脆さが見え隠れする。
───ねぇ、あなたは何者?
クックッと彼は喉を鳴らすと、これ、といいスーツのポケットから一枚の紙切れを取り出し、私に手渡した。
何だろうか?、疑問に思いつつも恐る恐るそれを受け取る。
その紙切れに書かれていたのは、嫌というほど見覚えのある…それ。
文字を見るだけで、あの脂汗の男との情事を思い出しそうで、背中がゾクッと震えあがった。
『よかったよ、アキ』
数日前、お金と一緒に置かれていたメモ書きに嫌気がさし、この部屋に置きっぱなしにしておいたことを酷く後悔した。
今更思ってももう後の祭りなんだけど。
「どうしてあなたが持ってるの、それ?」
私が軽く睨みつけると、彼は何が面白いのか、腹を抱えて笑いだした。
「だって、このラブホの経営者だもん、俺。」
「………。」
「あ、信じてないデショ?」
信じるも何も、リアリティーの全くないその単語に返す言葉を私は持ち合わせていない。
……経営者?
どう考えても、目の前の彼の容姿や言動、醸し出す雰囲気から経営者という言葉は似つかわしくない気がした。
でも経営者といえどもラブホテルのだしそんなものなのかもしれないな、と乏しい知識しか持ち合わせていない私はそのような曖昧な結論に達した。
「俺みたいなやつでも経営者なんダヨ、一応ネ。」
ドキリ、内心を見透かされているのかと思い身震いがした。
「い……いくら経営者だからって、こんな客のプライバシーを侵害するようなこと…、」
上目遣いで彼を見上げれば、彼の顔は一瞬曇りを覗かせるも直ぐにまたポーカーフェースを装い、煙草の灰を灰皿にトントンと落とす。
彼の吐いた溜息が、煙と一緒に部屋に充満した。
「あのね、アキが毎回違う男……というかオジさんと一緒にはいるところ何回も目撃してるから、良くないことしてるのだいたい想像つくよ、」
しかも、といい彼は付け足した。
相変わらず、たんたんと。
「このホテルは人件費削減のため従業員少ないから、俺も清掃したりするの。部屋もだし、廊下やフロント、中庭にプールも。時間があれば手入れしてる。」
「…プール?」
「あれ、知らない?このホテル最上階の部屋はプール付きダヨ、まぁ小さいケドネ。」
「知らなかった……。」
私がいつも夜になると逃げ出すように身を寄せるのはこの部屋で。
他の部屋に入ったことすらない私は、思わず関心し頷くと、
「そういう性癖の人もいるかと思って、付けといたんダヨネ。あー、建築費高かった。」
と、彼がニヤリと微笑みながら話した。
話の方向性がおかしくなっているような気がした私は、一度深呼吸をし彼と対峙する決心を固めた後、彼の吸い込まれそうな謎めいた瞳を見つめた。
「何が目的なんですか?……今まで廊下ですれ違ったって私のことなんて見てなかったじゃないですか。」
わたしの強気な姿勢には怯む気など更々ないらしく、彼は顔を私の耳元に近付けた。
ふうっと吹きかけられた吐息が、私の羞恥心を仰いだ。
「別に、何も。」
「───っ、……」
馬鹿にしないでよ、そう言いかけた時、再び彼の声がへやに響いた。
「ただ今日一日だけそばにイテ?」