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いつかのお伽話

「あ、気がついた?」


未だ頭の回転が冴えない私は、その声の主が誰であるのかを理解するのに結構な時間を要した。


「ビックリしたヨ?前庭を掃除しようと思って外出たらアキが倒れてるんだもん。」


「わ‥たし…、」


「待った、まだ起き上がらない方がいいヨ。たぶん貧血だろうし。暫く横になってな。」



ベッドから起き上がろうとする私を、シュウは優しくもう一度寝かしつけた。


その拍子に気づいた。


ここはいつもと同じあのラブホテルの一室だが、そうではない。

見慣れた内装に置かれているのは、本棚やデスクなどでしかも明らかにそれは事務用のものであった。


辺りを見渡している私に気づいたのか、シュウは口角をキュッと結び、目尻に皺を寄せると小さく笑い声をあげた。


「この部屋ね、事務所も兼ねてるんダヨ。ま、ほとんど俺の仮眠室…的な?」


「…こんな部屋があったの知らなかった…。」


「何でもあるヨ?前いったとおりプールつきの部屋もあるし、和室もある。他には…もちろん回転ベッドも…、」


「もういいって。」


私が話を遮ると、シュウは軽くむくれて拗ねた素振りをみせる。


本当はシュウが気を遣って気が紛れるような話をしてくれているのは気づいてて。


考えないようにすればするほど冬樹のことを考えてしまう私にとっては、これ以上の救いはなかった。


報われもしないのに、忘れられないのは余りにも憂鬱すぎるから。



───優しくしないでほしい。


「ねぇ、アキ……、」


シュウの手がそっと私の髪に触れた。

触れた手から伝わる熱に、その温もりに…。


───甘えてしまいたくなるから。


「何か…あった?」



シュウの仕草は冬樹のそれと似ている。

今までは意識していなかったが、シュウに無意識のうちに惹かれていた理由が今ハッキリとわかった。


顔も違えば体形も異なる。

きっと歳だって違うし、声質も違う。


でもシュウの中に、どこか冬樹の面影を感じる。


それはきっと一つ一つの行動であったり、言葉のチョイスであったり。


それより何よりも…、眼差しが一緒なんだ。




「ねぇシュウ、今度は一日わたしに付き合ってくれない…?」



───… … ‥


気を失っていた時間は思っていたよりも短かったようで、海に着いた頃は日が傾く直前であった。


空はオレンジ色が支配していて、雲間から射し込む光は輝きを増し。


それが水面に反映すると、そこには幻想的な光景が広がっていて。


きっとこの世界は、私たちが思っている以上に脆く、そのくせ美しいのだろう。


「どうして、ここに来たかったの?」


「…昔の恋人の、面影を探しに来たかったの。」



2年前、わたしと冬樹は確かにここにいた。


この海で、確かにあなたの愛に触れたんだ。



冬樹がいなくなってから、ただひたすらに冬樹の温もりを求めた。


冬樹の面影を追いかけて、追いかけて。


一人は余りにも寂しすぎて。


やがて一人で迎える暗闇に耐えきれず、好きでもない男と寝るようになった。


漆黒の世界は怖かった。


何時の間にか、自分の価値を図る物差しはお金だけでしかなくなったがそれでもよかった。


冬樹のことだけを考え狂いそうになる、不毛な毎日から抜け出せるのであれば。


さざ波は優しい音を奏で、押しては返すそのうねりは過去を浄化してくれるかのようだ。


今でも瞼を閉じればあの日の二人の残像が焼きついているけれど、そこに冬樹はいない。



冬樹は…いない。


「昔の恋人…急にいなくなっちゃって。それから何度も何度も探したの。いつか会えるかと思って。彷徨うように探した。」


日は完全に沈み、光は行き場を失った。

海の色は完全に藍色へと呑み込まれ、世界は闇に包まれた。


これでもう、お終いだ。



「でもね、それも今日でおしまい。もう、あの人のことばかり考えてしまう毎日は、やめてしまおうと思うの。愛されることなんてないのに…辛すぎるから。」


「アキ…、」


「ありがとう。一人じゃきっと立ち直れなかった。」


あの日以来、訪れることのなかったこの海は確かにあの日のままで。


でも決して同じではなく、少しづつ変化している。


そしてそれは、きっと私も。


「アキのことが…大切だヨ?」


シュウが落としたキスは、何故だかとても切なく感じた。

煙草の薫りがほんのりと残るこのキスは、きっと私の心の中の深い場所に染み込まれて。


そしてそれが、苦い過去を洗い連れ去ってくれればいい。


そう、それだけでいい。



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