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静寂が宿る夜には

「……冬樹から連絡が来たって?」


しばしの間、思考は昔の記憶を浮遊していた。どうしようもないような苦い感情に襲われ、全身から血の気が引くのをはっきりと感じた。


友哉の言葉への反応はおそらくワンテンポ遅れただろう。


「…うん。」


戸惑いからだろうか、友哉の返事にいつものような歯切れはなく。

いつの間にか友哉と私の間では、冬樹の話を口にすることはなくなっていた。お互いがまるで示し合わせたかのように、冬樹の話題は避けるようになった。


随分久しぶりに口にした冬樹の名前に、気まずさを感じるのは友哉も一緒なのかもしれない。

そんな胸の内にある想いを払拭するかのように、やがて友哉はゆっくりと話しはじめた。


「昨日、携帯を忘れてバイトに出掛けて…。家に着いたのはもう深夜だったんだけど、冬樹からの………着信があったんだ。俺、慌ててかけ直してみたんだけど…、」


友哉の声が擦り切れそうなほど細くなった。目には薄っすらと涙が浮かんでいるのに私は気づいたが、それを気遣えるほど今の私に余裕なんてない。


「…ダメだ、何度かけ直しても繋がんねえ。」


「……そっ…か…。」


「留守電に一言だけ吹き込まれてた。」


「なん…て?」


「落ち着いてきけよ?『ごめん、秋奈を頼むな』って。」



冬樹から残されたメッセージは、それは紛れもない本当の別れの言葉で。

二年間心の中では、それでもいつかと淡い期待を捨てきれずにいた私の胸を打ち砕くものとしては充分すぎるものだった。



……急に周囲のあらゆる音が聞こえなくなった。

いつもならうるさいくらいに耳に入る学生の笑い声も、車のクラクションも、鳥の囀りも。

目の前にいる友哉が慌てて話しかけている言葉だって耳に入らない。


同時に視界に映るもの、全ての色がモノクロへと変わった。

いつもなら極彩色豊かな銀杏だって、白黒になってしまえば何の意味もなさないんだ。



私は駆け出した。


何処に向かっているのか、どこに向かおうとしているのか自分にだってわからないが、この忌わしい何の色も持たない世界から逃げ出してしまいたかった。


「っあきなーーーーー!!!」


遥か後方から、友哉の叫び声が聴こえた…様な気がした。


後ろを振り返ることは一度もなかった。




───…… …



何度も何度も夢中でキスをした後、私達は海を後にした。

薄暗い景色にそっと奏でる波の音、潮の薫り。

今、この瞬間このひと時を一ミリたりとも忘れまいとその余韻を必死に私は抱きしめた。


その夜、初めて冬樹の一人暮らしの家を訪れた。

意外なことに家具や家電はほとんどなく、あまり生活感を感じることのできない部屋で。

必要不可欠であろうベッドやダイニングテーブルなど最低限の家具は、全て白を貴重としたものだった。


色味のないこの無機質な部屋に、普段の冬樹を感じさせるような物は何ひとつもなく。


何となく、自分が今まで見てきたのは、冬樹という人間の上っ面だけのような気がした。いつまの自分勝手で我儘で、子供のような冬樹という人間は実はもっと深い部分に別の人格が潜んでいて、それを知れば私はもっと冬樹との距離を埋められるのだろうか。


「…もっと知りたい、冬樹のこと。」


その言葉を聞くと冬樹は嬉しそうに目を細め、私をそっとベッドの上に押し倒した。


もはや自分でも抑えられそうにない冬樹への想いを、身体を重ねることで少しは伝えることができるのだろうか。


あのとき確かに、二人の間に小さな愛が生まれた気がした。


真っ白の世界の中で一つだけ異彩を放つ、ベッドサイドに置かれたガラス細工のイルカがやけに印象的で。



───事件が起きたのは、それから10日後のことだった。



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