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潜む場所

私は今日も痛みを抱えて逃げるようにこの場所へ───。


藍色が世界を支配する、まだ日差しすら差し込まないけれども、時刻はすっかり明け方を意味する時間帯を指していた。


チクリ、チクリ、胸に突き刺さる様なそれは痛みなのかそれとも…悲しみか。


重くるしい瞼をそっと開けると、広がるのは昨日の夜の痕跡。



そっと見つめると、思わず証拠を隠滅したい気分になった。


だって、あまりにも生々しいから。


愛もないのに抱き合った後のそれは、正直みていて気分がいいものではない。


全く、頂点に達した後の処理くらいきちんと自分でやってほしいものだ。


ツンと嫌な匂いが充満した、ラブホテルというわりにはシンプルでモノトーンを基調としたその部屋を、くるり、一瞬首を回して見渡した。


途端に憂鬱になり、その諸悪の根元であるシーツを荒々しく剥ぎ取ると、ベッドサイドにあったゴミ箱へと丸めて投げ捨てた。



「……………、」



暫しの間、私は無言で自分と名も知らぬ脂汗の男の脱け殻を見つめた。


自分がいかにして気持ちよくなるかしか考えない、ひどく『面倒な客』だった。


何度も何度も執拗に求められ、半ば嫌気がさした。


しかし、『嫌な客』ではない。



その証拠に───。



あった。



ベッドの横に置いてある、少し古謝れた無色のローテーブルの上。


私は無造作に置かれたお札をくしゃりと手にとる。


金額にして…


「いち、にぃ、さん…十万か。」


本当にあいかわらず羽振りがいい。


行為を終えたあとのわたし自身の金額の清算。

痛みに耐えた勲章ともとれる、それを数える瞬間がいやらしくも私はたまらなく好きだった。


っと、


カサリ、手にはお札のそれとは明らかに違う異質な何かの触感が私の肌を刺激した。


何だろうか?


眉をひそめ、注意深く視線を落とすと、そこにはメモ帳のはし切れに殴り書きされた文字。


『よかったよ、アキ』



──────つっ…、



その文字が、昨夜の自己中心的だけれども、ネチネチとしたあの脂汗の男の行為を私の脳裏に彷彿とさせた。


「…くっそ。」



私は吐き捨てるように呟くと、ズシリ、ズシリ、シーツが剥ぎ取られ丸裸になったベッドへと再び身体をあずけた。



仰向けに寝転んだ私は、両腕で顔を覆う。


涙なら、もう流れないんだ。少しだけ、胸が痛むだけ。



ただ静かに瞼を閉じると、再度睡魔が襲ってきたので、其れに身を任せた。




───────−−−………



再び目を覚ますと、時刻はすでに七時をまわっていた。


慌てて起き上がり、存在感を全く主張しない小窓のカーテンをそっとめくり上げる。


外はすっかり藍色から水色の世界に変化し、街は静寂から喧騒を取り戻していた。



シャワーを軽く浴び、身支度を整える。



肩くらいまで伸びた髪をかきあげ一つに巻き上げ、ピアスを付ける。



一度家に帰る時間は…ないか。



お気に入りのアンティーク調の腕時計を最後につけると、部屋の出口へと向かった。



お財布から一万円を取り出すと、乱暴に自動精算機へと突っ込んだ。



感情なんて何一つ持ち合わせていない、ただ与えられた仕事だけをこなすその機械は、ご丁寧にも『また起こし下さいませ。』なんて表示して。



皮肉にも少し笑みをこぼしそうになった私は、バタリと扉を閉じその部屋を後にした。



部屋を出ると、自動扉まで続く長い廊下。


モノトーン調でまとめられた室内とはうってかわり、レトロ調の花瓶や照明がなかなかセンスよく配置されてある。



しかし、行為を終えた後、心に負の感情が渦巻いている私にとって、そんな廊下の華やかさはただ無意味なだけ。



と、


───また、だ。



廊下の先にある無人のフロント。

清算は室内で行うのだから、必要なんてないはずなのに、何故かこのラブホテルには小さいフロントが設けられている。



そこに人がいるのを見た試しはない。



なら尚更必要がないように感じるそのフロントの横には非常階段があって。


私が帰る時にはほぼ毎回、彼はその階段から姿を現し、私とすれ違うようにして廊下を通る。



中背中肉、何かを潜んだ鋭い眼光に、ブラウンの柔らかい髪、整った容姿。



私達はもう何度もここですれ違っているけど、一度も目があったことはない。



寧ろ、彼は私の遥か先、ずっとずっと遠くをおもむろに見つめている。


いや、もしかした彼が見つめている先はこの世界ではないのかもしれない。


そんなことを感じさせてしまうほど、その鋭い瞳には悲しみを宿っているようにも見えた。


今日も同じように彼とすれ違う。



ニヤリ、私とすれ違う瞬間にほんの一瞬だけ彼の口角が怪しくキュッとあがる。


それがいつもの光景だ。


暫く足を進めてちらり振り返ると、もう彼の姿はない。



彼が何者なのか知らないし、知る気もない。


ただ一つわかるのは…彼もわたしと同じように悲しみを持ち合わせているということ。



カシャー、自動扉を抜け脚を外の世界へと踏み込むと、そこは眩しいくらいの水色の世界



思わず溜息をつきそうになりつつも、私は駅へと直行した。



そう、悲しみは…夜の中だけで十分なのだ。


















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