死刑執行ボタン
マイナンバーに紐づいたアプリに「死刑執行」ボタンが実装されてから、すでに十年以上が経っていた。
国が死刑執行を妥当と判断した場合、全国民のアプリにボタンが通知される。死刑囚は二ヶ月間、執行施設で待機する。その間にランダムに選ばれた国民の誰かがボタンを押すと、執行される。二ヶ月を超えると仮釈放され、半年の執行猶予を経て本釈放となる。
このシステムは導入以来、過去に三十回ほど実際に作動した前例があった。
誰が『本物』のボタンを割り当てられているのかは、今も誰にもわからない。
押した人間の特定はされず、責任も問われない。
ただ、ボタンを押す者がいなければ、執行は回避される。
それだけの仕組みだった。
僕が初めてそのボタンを気にしたのは、ある死刑囚の名前がアプリに載ったときだった。
連続殺人。児童への残虐行為。被害者の遺族を法廷で嘲笑した男。
国民のほとんどが「間違いなく極悪人だ」と思っていた。
過去三十回の前例を見ても、これほど世論が一致したケースは少なかった。
だから、僕はボタンを押さなかった。
どうせ誰かが押すだろう。
自分が押さなくても、執行は行われるはずだ。
過去の例を思い浮かべながら、そう信じた。
ボタンを押す期間は二ヶ月もある。
その間、僕はアプリを開かなかった。
開く必要もないと思っていた。
死刑は執行される。当然のこととして。
二ヶ月が過ぎた日、ニュースが淡々と報じた。
「法的手続により、死刑は執行されませんでした。死刑囚は本日仮釈放されます。法律で定められた執行猶予は六ヶ月です」
画面の向こうで、アナウンサーが感情を殺した声で読み上げていた。
SNSは騒然とした。
「三十回も作動したのに、今回は誰も押さなかったのか」
「こんなシステム、意味ないだろ」
「あいつを生かしておくのか」
僕は、ただ黙ってテレビを消した。
あの赤いボタンのことを、少しだけ思い出した。
しかし、すぐに忘れることにした。
終わったことだ、と。冷蔵庫からパックに少しだけ残った牛乳を飲み干した。
一人暮らしの叔母が殺されたのは、仮釈放からわずか三日後だった。
叔母は、両親が共働きだった頃、よく面倒を見てくれた人だった。
優しい人だった。いつも笑っていて、僕の小さな成功を誰より喜んでくれた。
大学に合格したとき、就職が決まったとき、彼女は泣いて喜んだ。
犯人が死刑囚だとわかったとき、僕は何も感じなかった。
正直に言えば、感じることを拒否した。
怒りも、悲しみも、すべてを遠いところに押し込むしかなかった。
警察の説明は簡潔だった。
「被害者は抵抗した痕跡があります。犯人は現行犯逮捕されました」
現行犯逮捕。
また、裁判が始まる。
また、死刑になるかもしれない。
僕は、その夜、初めて真剣にあのアプリを開いた。
赤いボタンは、そこにあった。
画面の片隅に、静かに存在していた。
過去三十回の前例を経て、国民の多くはこのボタンの存在に慣れきっていた。
「もし、あのとき自分が押していれば……」
その言葉が、頭の中で何度も繰り返された。
叔母は死ななかった。
あの男は、この世にいなかった。
そう思うと、胸の奥が熱くなった。
僕は、ボタンを押した。
指が画面に触れた瞬間、何も起きなかった。
ただ、ボタンの色が少しだけ濃くなっただけだった。
翌朝、ニュースが報じた。
「死刑囚、留置施設内で急死。死因は現在調査中」
午後になると、続報が入った。
「死刑執行システムが作動した可能性が高い。過去三十一回目の執行となる」
誰が押したのかは、公表されない。
システム上、公表できない。公表してしまえば、誰も押さなくなる。
「複数の国民が同時に押した可能性もある」と、専門家は言った。
過去の三十回と同じだった。
僕は、自分が押したことを誰にも言わなかった。
言う必要もないし、他の人が押していたのかもしれない。
法律上、罪はない。
このシステムは、国民に「執行の権限」を分散させただけだ。
誰が押しても、押さなくても、個人の責任は問われない。
国がそう決めた。過去三十回も、そうだった。
なのに、夜になると、頭の中で同じ声がする。
「自分が押していれば、叔母は死ななかった」
同時に、もう一つの声も聞こえる。
「結局、自分が押したから死んだわけじゃない。同じタイミングで、同じ状況にいた人間が、他にもいたかもしれない」
その思いは、救いにはならなかった。
むしろ、罪の意識をより深く、静かに僕の心を削り取っていく。
誰も僕を責めない。
誰も、僕が押したことを知らない。
僕は毎日、自分を裁いている。
「仕方ない。押すしかなかった。押さなければもっと被害は増えていたかもしれない。俺が押すしかなかった。俺がみんなを守ったんだ」
最初は、そう自分に言い聞かせていた。
その言葉は、しばらくの間、僕を支えてくれた。
自分が正しいことをしたのだ、と。
必要悪を引き受けたのだと。
でも、日が経つにつれて、その言葉は少しずつ色褪せていった。
「俺がみんなを守った」
…本当にそうか?
守ったのは、結果的にそうなっただけじゃないのか。
最初に押さなかった自分を、後から正当化しているだけじゃないのか。
叔母の笑顔が、夜な夜な夢に出てくる。
「どうして押してくれなかったの?」
実際にそんな言葉を言われたわけではない。
わかっている。
わかっていても、声は止まらない。
「僕が押さなかったから、叔母は死んだ」
「僕が押したから、あの男は死んだ」
「どちらにしても、僕は何かを殺した」
論理では否定できる。
法律では無罪だ。
誰も責めていない。
過去に三十回も同じことが繰り返されてきた。
それでも、胸の奥に沈んだ重りは、日ごとに重くなっていく。
自分を守るための言葉が、逆に自分を追い詰めていく。
「仕方なかった」と言えば言うほど、最初に押さなかった事実が鋭く突き立ってくる。
「俺が守った」と繰り返すほど、その「守り」が後付けのものだったことを認めざるを得なくなる。
ある日僕は唐突に気づいてしまった。
自分にしか押せないボタン。
誰かが代わりに押してくれることも、責任を分散することもできない。
ただ、自分で選ぶことができるボタン。
押すということは、自分で自分を終わらせる選択をするということだ。
国が何かをするわけでもない。
ただ、僕が、僕自身を終わらせる。
逃げ道は、もうどこにもなかった。
「誰かが押すだろう」も、「仕方なかった」も、「俺が守った」も、全部が空虚に響く。
僕は、自分だけが持つ死刑執行ボタンを押した。
ただ、地面が赤くなっただけだった。
その後のことは、よくわからない。
何も罪のない罪に、押しつぶされたまま。




