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 アスファルトとは、歩き易さを獲得するために鏡を敷いているようなものだ。八月の暴力的な直射日光は、来太の生白い肌を焦がしてボロボロにする。日焼け止めを塗り忘れたことに気づいたのは家を出てからだった。赤くなった肌が明日には炎症になって剥けているのを想像すると、今から憂鬱な気持ちになる。来太(らいた)の故郷である京都の蒸し風呂のような暑さとはまた違った、東京の焼けつく暑さは何年経っても慣れない。


「桑原君、楢仁(ならひと)殿下ははじめてだっけ」


 隣で汗を垂らしながら主任は言う。今日は公務課の主任と二人行動だった。以前システム担当だった先輩が結婚で退職してしまったため、先輩が請け負っていた仕事は必然的に来太に回ってくることになる。楢仁皇太子殿下のこともその一つだ。


来太が頷くと、主任は渋い顔をする。


「楢仁殿下はなあ……」


「変わった方なんですか?」


「いや、穏やかで優しい人だよ。ちょっと変わっているが……桑原君なら年も近いし、案外仲良くやれるかもしれないな」


「ただでさえ暑いのに、行きたくなくなること言わんといてくださいよ」


「大丈夫だよ、別に壊れたパソコン直すだけなんだから」


 それでも相手は機械でなく人である。喋る必要はあるだろう。来太は大きくため息をつくと、手元のペットボトルを開け、スポーツドリンクを喉に流す。ふと見上げると、空には大きな入道雲が聳え立っている。来太はなんだか白い柱みたいだなあ、と思った。




 楢仁殿下の書斎は離れにあり、壁一面ぐるりと本が詰め込まれていた。本棚は生物学から法学、古典文学まで、多種多様な研究書で構成されていて、来太は通っていた大学の図書館を思い出した。これだけ見るに、かなり知識欲が強い人間なのだろう。


「すみません、お手間を取らせてしまって」


 本棚の森の奥から若い男の声が聞こえてきた。椅子を引く音とともに現れたのは、眼鏡の青年だった。その柔らかだが自信のなさそうな微笑みに、彼の繊細さが滲み出ている。


「楢仁殿下、今回からシステム担当が変わりまして、こちらの桑原になります」


「桑原来太です。よろしくお願いいたします」


 来太が挨拶をすると、楢仁殿下は垂れた目を見開いた。そのままじっと来太を見つめる。見るというより観察といった方が的確かもしれない。


「あの……何か」


「白い」


 それは返答というよりは呟きだった。


「ああ、髪ですか。元々この色でして、失礼にあたるようでしたら黒染めいたします」


「……アルビノですね。はじめて見ました。メラニンが欠乏する遺伝子疾患と聞きますが、アルビノの方によく発現する、視力低下はあるのでしょうか。皮膚も弱いのでしょう? 炎天下の中ここまで歩いてくるのは大変ではなかったですか? 日本人の……それも大陸系弥生人の貌なのに紫目なんて、不思議を通り越して神々しささえ感じます。来太さんご自身もそうですが、ご両親もアルビノなのでしょうか。ああ、それと……」


「殿下」


 主任が諌めると、楢仁殿下はしまった、とでも言うようにその早口をつぐんだ。


「すみません……興味が湧くと、止まらなくて」


 主任が言っていたのはこういうことだったのか、と来太は完全に理解した。根っからの研究者肌なのだろう。


「それで、壊れたパソコンというのはどちらですか」


「ああ、お二人をお呼びした目的を忘れるところでしたね。こちらなのですが、再起動しても青くなってしまって……」


 書斎の机には、大型のデスクトップパソコンが鎮座している。こちらも殿下の趣味なのだろうか、いわゆるゲーミングと言えばいいか、かなり性能の良いパソコンだった。


「桑原君」


「はい」


「これくらいなら桑原君だけで十分だろう。私は用事があるから先に事務所に戻ってい


るね」


 言外に、楢仁殿下のお世話は来太に任せたぞ、というのが滲み出ていた。主任は手荷物を片付けると、そそくさと書斎を出て行ってしまった。


「主任さんは、いつも忙しそうですね」


「ええ、まあ……」


 楢仁殿下から逃げているだけだろう、と来太は思ったが、口に出すのは憚られた。主任のさっぱりした性格上、楢仁殿下のような好奇心旺盛でかつ突き詰めるタイプの人間はあまり合わない。来太は気を取り直してブルースクリーンの前に座ると、早速作業を始める。殿下はやはり白い髪が気になっているようで、来太は背後からの視線を感じながらキーボードを叩いた。


「殿下は何か研究をされているんですか?」


 気が散ってしょうがないので、来太は話題を振った。殿下は興味を持たれたのが嬉しいのか、少し上気している。


「生物学、特に遺伝学を研究しています。このように特殊な家柄ですから、世代を超えて引き継がれていくものに、興味が湧くんです」


 結婚や子供にかなり制限のある環境で育ち、思うところも大きいのだろう。来太も家柄や継承に関しては一過言あるので、少しだけ親近感を覚えた。ちょっとだけなら、話してもいいか、と思った。


「先ほどの質問にお答えしましょうか。桑原家は、代々白い髪に紫の目なんです。私は専門ではないので詳しいことはわかりませんが、遺伝的にメラニンが少ないんでしょうね」


「なるほど、突然変異というよりかは白変種なんですね。参考になります」


 楢仁殿下はどこからか手帳を取り出してなにやらメモを取っている。その姿は皇族というよりは熱心な学生のようだ。


 そうこうしているうちに、パソコンの調整が終わった。主任が言う通りたいしたことのないエラーだったため、部品を取り替えるまでもなく簡単な作業だけで終わった。


「では殿下、また何かありましたら私をお呼びください」


 広げた荷物を畳んで、書斎を去ろうとしたその時だった。


「来太さん、あの……」


 後ろから呼び止められる。来太が振り向くと、殿下はもじもじと指を絡ませている。


「私の友達になってくれませんか」


 殿下は不安そうに、来太の顔を見た。


 彼の家柄、身分、性格。どれを考慮しても友達と呼べる人間関係が少ないだろうというのはすぐ予想がつく。断る理由はなかった。


「ええ、喜んで」


 来太は手を差し出した。殿下は、恐る恐るその手を取った。




 玄関の引き戸を開けると、由那が立っていた。


「来太さん、遅いのではなくて」


 ハーフアップにした白い髪に、浅葱色の浴衣がよく似合っている。少しでも笑えばモテるだろうに、彼女の表情はいつも固い。彼女は京都を本拠地とする桑原家の東京分家の女であり、来太の従兄弟にあたる。大学進学の際、分家に下宿を許してもらったのだ。


「すみません」


 遅いと一口に言っても、まだ夜の十時を回ったところである。もう三十手前だというのに、学生時代と門限が変わらないのはどうかと来太は常々思っているが、ここで駄々をこねたところでくどくど言い返されるのが落ちだ。


「どこに行っていたのです」


「付き合いで、赤坂の料亭に」


「どうせ、女でしょう」


 吐き捨てるような声に、来太はため息をついた。仕事上の付き合いとはいえ、調子に乗って芸者と遊んでいたのは間違いない。


「来太さん、あなただって腐っても桑原の人間なのですから、自覚を持っていただかないと」


「はいはい、わかっています」


 無表情で嗜める従兄弟に辟易しながら、ネクタイを緩めて自室に向かおうとしたその時だった。


「来太さん」


 背後から呼び止められる。


「客間で当主様がお待ちです。直ちに向かうように」


 由那の声は冷え切っている。


 京都からはるばる父が来ているなんて聞いていなかった。来太は内心嫌だなあと思いながら、ネクタイを締め直して客間へと向かった。


 牛皮のソファに座りながら、父はタバコをふかしていた。


「久方ぶりやなあ、少しふくよかになったんとちゃう?」


 狐のような細い目を、もっと細くしながら父は言う。透けるような白い長髪を後ろで一つに束ね、この熱いのに高価なスーツをかっちり着込んでいる。その貫禄は、堅気ではない人のそれにすら見えてしまうが、実際のところは日本屈指の老舗旅館の大旦那であり、平安時代から続く桑原家の当主でもあった。


「お陰様で。東京の食べ物は美味しいです」


「そかそか、それはよかったなあ」


 父は硝子の灰皿にタバコを押し付けた。笑顔が張り付いているが、紫色の目は少しも笑っていない。


「それで、何の用ですか。わざわざ俺を呼ぶなんて、理由があるんでしょう」


 来太はこの父親を幼い頃からずっと恐れている。怒ると怖い、以上の得体の知れなさを持った人間だった。父親を前にすると、自然と背筋が伸びる。


「親子なんやし、そんな怖い顔せんでもええやんな。別に来太を京に連れ戻そうなんて思ってないわ」


 それは同時に、来太はそこまで期待されてないということの表れでもあった。家督を継ぐのは弟の光太である。能力の面でも、人柄の面でも。来太自身も絶対に後継にならないことに甘んじて、遊び呆けているところはある。


「ま、ちょっと事態が変わったという報告や」


 父はポケットから新たなタバコを取り出して、ジッポで火をつける。多分良い銘柄だが、吸わない来太にはわからなかった。


「光太が、女に懸想してはる」


「いいじゃないですか、今まで彼女いなかったんでしょう。もう二十六やし、いい頃合いじゃないですか。父さんだって、女親みたいに、息子かわいさで婿にやりたくないわけじゃないだろうし」


「来太、わざわざお前にこれを伝えるいうことは、どういうことかわかっているやろ」


 父の眼光が鋭くなる。来太は思わず唾を飲み込んだ。


「情に流される選定者は、不具と同義や。我ら一族は、全ての事象に公正な物差しでなきゃならん」


 それは同時に、長男にも関わらず、来太に桑原家当主の継承権がない理由でもあった。桑原家の裏家業に人情はいらない。


「しかもよりによって、光太の想い人は木屋町の馬鹿女や。万が一にも、あれが次の世代を作ると思うと涙出てまうわ」


「光太がそんな馬鹿な女を選びますかねえ」


「人間、惚れると見境がなくなるやろ。来太なんてその最たるものやんか」


「俺は単に、女の子と遊ぶのが好きなだけです」


 そこに情があるかどうかと考えたら、正直よくわからない。一族の中で、来太は惚れやすく情が深いから選定者に向かない、と言われて育ったが、実際のところは何も考えていない気すらする。


「それに加え、四方田(よもだ)の親父さんの容態があまりよくないと聞いていてな。ほんと、気ぃ揉むことばかりや」


「……つまり、何かあったら、俺にお鉢が回ってくることも考えとけと」


「そういうこっちゃな」


 父は、紫煙をため息と共に吐き出した。俯くと共に、白い髪が滑り落ちる。その、桑原家の、白い髪が。


 会話の冷え切った客間に、夏虫がジージーと唸っている。できる、できないの問題ではなかった。来太はそもそも、家業を継ぐための教育すら受けていないのだ。今は、弟が暴走しないように祈ることしかできない。


「来太」


「はい」


「平和なんて、蝶の見る夢でしかない。しかし、平和の天秤は、我らの手にかかっている。桑原の家のものとして、それをゆめゆめ忘れるな」


「……承知しています」


 口には出したが、来太には実感が湧かなかった。家柄から逃げてばかりだった来太には。白い髪と紫色の瞳は、来太自身も有しているということを、見つめ直すことから始めないといけなかった。






「来太さん、どうかしましたか?」


 殿下が覗き込んでくる。いつの間にか作業する手が止まっていたらしい。


「いいえ、少し考え事をしていただけです」


 来太は慌ててキーボードを叩く。古い機種でも、何か大きな原因があるわけでもないのに、このところ殿下のパソコンは調子が悪い。殿下の私物のデスクトップパソコンにしろ、ノートパソコンにしろ、楢仁殿下が使うものはすぐフリーズしたり、ネットが繋がらなかったりする。今日もテレビ会談の前だというのに、配信がうまく映らないと呼ばれたのである。来太にとって中の事情など知る由もないが、どうやら今日は重要な会談のようで


ある。会議室に集まった侍従や事務職の面々は心なしかソワソワとしている。通信障害が起こった時のために、同室で控えているようにとの命を受けて来太もここにいるが、なんとなく場違いのような気がする。


「すみません、いつも手を借りてしまって」


「これが私の仕事ですので。はい、これで繋がりますよ。今からカメラをオンにしますので、殿下は画面前にお掛けください」


殿下が席に着くと、目の前に広げられたスクリーンに、相手の顔が映し出される、と思ったその時だった。


瞬間、バチンと部屋の電源が落ちた。


会議室が一瞬で暗闇になる。


「殿下!」


 来太は叫ぶが、なぜかその声は反響せず闇に吸い込まれていく。まるで、月も星もない暗黒の宇宙に放り出されたような感覚だった。


「手荒な真似をして申し訳ありません」


 照明がつく。蝋燭だけの明かりの中、視界に真っ先に入ったのは、社殿の内部のような神棚と、駄々広い白木張りの床だった。神棚の前には、殿下が一人で立っている。先ほどのスーツ姿ではなく、黄丹の狩衣をサラリと着こなす姿は、いつもの柔和な雰囲気とはかけ離れている。


「殿下!?」


「ご容赦ください。桑原の家の者には強固な監視がついていて、こうするしか方法がなかった」


 蝋燭の灯りの先は常闇で、どこまで続いているのかわからなかった。ここは殿下が自ら作り出した精神世界の内ということか。この場合、外界からの干渉がないと、外に出ることは叶わない。国主が最高級の術者なのはこの界隈の常識として知ってはいたが、皇太子でもここまでとは。


「これは、どういうことですか」


 殿下は顔を曇らせた。


金枝(きんし)の王の座を狙う者に、私の命が狙われています」


 金枝の王。


 この世界に神はいない。人間が心の中で作り出した神は各地に存在するが、それ以上でもそれ以下でもない。代わりにいるのは、通称金枝の王と呼ばれる運営者だった。金枝の王は、一つの世界につき一人選定され、主に自然現象や環境などの構築、人間の行動の管理などを見えざる手で行う。世界を一つのコンピュータだとすると、そのユーザーに当たるのが金枝の王だった。来太の実家である桑原家は代々、その王の選定を行なっている。


「金枝の王って、殿下と現王とは何の関係も……まさか」


 背中に嫌な汗が伝う。


「候補者潰し、ですか」


「それしか考えられません」


 金枝の王の素質で一番必要なもの、それは知識とそれに伴う霊力の強さだった。霊力は突然変異でもない限り家系に直結する。特に、国家を運営してきた一族の長は、当然運営するに足る霊力を持っている。候補として上がるのも当然であった。


「お願いです、来太さん。私を護衛してはいただけないでしょうか」


 殿下の瓶底眼鏡の奥では、気弱そうに瞳が揺れていた。

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