第2話 血に濡れた夢
村に漂う空気は重く沈んでいた。
子供の失踪が続き、誰もが顔を伏せ、家に鍵をかけて暮らしている。
村の広場には怯えた母親のすすり泣きが響き、その声は村全体を覆う不吉な鐘の音のようだった。
「また一人……」
誰かがそう呟くのを、俺は耳にした。
前夜の夢が頭を離れない。血に濡れた人形、鎖の音、泣き声。あれはただの夢じゃない──現実と繋がっている。
その確信は、日に日に強くなっていった。
⸻
村の外れにある小屋で休んでいたとき、少女が訪ねてきた。
「大丈夫? 顔色、悪いよ」
栗色の髪を揺らし、彼女は心配そうに覗き込んでくる。
「……いや、何でもない」
そう答えたが、彼女の目はごまかせない。彼女は元奴隷で、数々の辛い目を見てきただろう。その分、人の表情の裏を読むのがうまい。
「何か……見たんでしょ?」
その一言に、心臓が跳ねた。
夢のことを話すべきか迷ったが、まだ言えなかった。代わりに俺は「少し休む」とだけ告げ、藁の寝床に身を横たえた。
⸻
まぶたを閉じると、あの世界が再び広がっていた。
闇の水面。血に濡れた人形が、ゆっくりと沈んでいく。
耳を澄ますと、子供の泣き声が確かに聞こえた。
その声を追うように歩くと、錆びた扉が現れる。扉の隙間からは、微かな光が漏れていた。
「……ここにいるのか」
手を伸ばそうとした瞬間、背後から鎖の音が響いた。
振り返ると、そこには人の形をした黒い影が立っていた。
顔はなく、ただ口の裂け目だけがだらりと笑っている。
「お前も……閉じ込めてやる」
次の瞬間、影は鋭い爪を伸ばして襲いかかってきた。
⸻
全身が鉛のように重く、逃げることもできない。
爪が頬をかすめ、鮮烈な痛みが走る。夢なのに、血の匂いまで漂った。
「……ぐっ!」
恐怖が喉を締めつける。
もしここで殺されれば、俺は戻れない──そう直感した。
夢の中で死ねば、現実でも……。
「戻ってきて!」
遠くから声が聞こえた。少女の声だ。
必死にその声に縋り、意識を現実へ引き戻す。
⸻
飛び起きると、体中が汗に濡れていた。
頬に手を当てると、確かにかすかな痛みが残っている。夢の傷が現実にまで及んでいたのだ。
少女が側にいて、怯えた目でこちらを見ていた。
「今……苦しそうに叫んでた。何があったの?」
震える声に、俺は返す言葉を失った。
⸻
翌日、村の広場に人々が集まった。新たな証拠が見つかったのだという。
それは、村外れの古びた納屋に続く泥の足跡だった。
俺の背筋に冷たいものが走った。
──夢で見た“扉”。
あれは、この納屋を示していたのか。
⸻
村人たちと共に納屋に入ると、かび臭い空気が鼻を突いた。
中は暗く、埃が舞っている。
俺は心臓を抑えながら、奥へ進んだ。
そこで見つけたのは、泥にまみれた小さな人形。
夢で見たものと、寸分違わぬ姿だった。
さらに奥で、かすかな声が響いた。
「……助けて……」
鎖の音が鳴り、震える小さな体が隅に座り込んでいた。
生きている。まだ間に合ったのだ。
⸻
だが同時に、藁の山の下から異臭が漂ってきた。
掘り返すと、そこには動かぬ二つの影──既に命を落とした女性たちの遺体が横たわっていた。
「……夢の通りだ」
口に出した瞬間、村人たちの視線が俺に集まる。
そして、群衆の中にいた一人の男の顔が青ざめた。
「なぜ……知っている……誰にも言っていないはずだ……」
震える声でそう呟いた男は、その場に崩れ落ち、嗚咽混じりに告白した。
「……俺が……やった……」
⸻
静まり返る納屋の中で、俺は自分の手が震えていることに気づいた。
夢で見た光景が現実と繋がり、人の命が失われた事実を突きつけられた。
夢はただの夢ではない。
そこは人の罪と狂気が形を取る場所であり、同時に真実への道でもあった。
俺はまだ、この力の本当の意味を知らない。
ただ一つ分かっているのは──もう二度と、逃げられないということだけだ。




