ep.23 Coffee & Cigarette
九月。惑星アルマティにおいてもっとも過ごしやすく、もっとも爽やかな季節の、爽やかな朝。レックスは爽やかさとは無縁の室内で端末にかじりついていた。
ディスプレイに映し出される数字の洪水。デスクの上には山積みの書類と汚れたコーヒーカップ。それから、今にも吸殻があふれそうな灰皿。
「……終わる気がしねえ」
椅子に背を預けて天井をあおげば、すかさず横から「甘えんな」と上司の叱責がとぶ。
「終わらせんだよ。監査は明日だぞ」
「いやもう無理だろ、これ」
レックスはどんよりした顔で新しい煙草に火をつけた。さして広くもない経理部屋は、霧がたちこめたようにかすんでいる。
「いさぎよくゲロっちまえば? それか飛んじまうか」
「ああ、それもいいな。どっちにしろ、てめえの頭を吹っ飛ばしてからってことになるけどな」
こちらも憔悴しきった顔で、しかし目だけはぎらつかせながらアーニーは葉巻を噛んだ。
「この先も息してたけりゃ、黙って手だけ動かしてな。だいたいてめえが妙なもん拾ってこなけりゃ……」
「だあ、もうわかったっての。だからこうして手伝ってやってんだろ」
耳にタコができるほど聞かされた恨み言をさえぎって、レックスは汚れたカップからコーヒーをすすった。冷めて煮詰まったその液体は、本物の泥水とさして変わらなかった。
N-Ⅲ上空での小惑星爆破から約三ヶ月。その間、マクニール社アルマティ支部は某警備部社員がやらかした不祥事──当の社員は自分も被害者だと強く主張しているが──の後始末に忙殺されていた。
立ち入り禁止の紳士協定を破ってN-Ⅲエリアに向かったことへの釈明にはじまり、合同飛行基地爆破の賠償(これについては連邦軍の奇妙な介入により、マクニール社の金銭的負担はほぼ発生しなかった)、さらに連邦軍のヘリ一機の修理費の支払い(こちらはきっちり請求がきたあたり、根に持たれてんなとレックスは思った)、それから、延び延びになっていた本社による監査への対応準備。
殺人的な忙しさに見舞われたアルマティ支部では、まず経理部の社員が倒れた。次に穴埋め要員として引っ張ってこられた警備部の社員が早々に音を上げて退職した。
なお、警備部の社員に手をつけたのは、完全にアーニーの判断ミスだとレックスは思っている。いくら計算は自動ソフトがこなすとはいえ、数字を見るだけで蕁麻疹が出ると公言している連中に書類仕事をさせるなど、とても正気の沙汰とは思えない。
そんなアーニーを止めなかった警備部主任のレックスにも多少の責任はあるかもしれないが、当事者として非常に言いづらい状況であったのだから仕方ない、とレックスは自分で自分を慰めている。
「てか、いいかげん人雇えよ」
疲労と煙でかすむ目で決算報告をチェックしながら、レックスは上司に提案した。
「金ならあんだろ?」
三ヶ月前、レックスがサン・ルイスにもどった翌日、支部の口座に謎の大金が振り込まれた。振り込み人は不明だが、明細に並んだゼロの数を見てレックスは盛大に舌打ちしたものである。どうせ振り込むなら個人口座によこしやがれ、と。
エディ・ローレンスという名の鉱物学者とは、N-Ⅲを出て別れたきり会っていない。その従兄ともだ。採掘場で寝転がっていた二人を回収しに来たヘリの中にも、黒髪の医師の姿はなかった。それでも、どうせすぐにあの従兄弟たちは再会したのだろう。そうレックスは思っている。
そこから先のことは知らない。あとは話し合いでも喧嘩でも、気の済むまでやればいい。こちらに火の粉さえ飛んでこなければ、好きなように、好きなだけ。
「警備部の補充も含めてさっさと雇ってくれよ。通常業務にも支障出てんだろ?」
「うるせえな。てめえに言われなくともわかってんだよ。求人ならとっくに出した。けど集まらねえんだよ、人が」
「なら条件上げろよ。ケチってねえで」
「うるっせえな、ほんとにてめえは。それももうやったんだよ」
二度も、とアーニーはいまいましげに指を二本立てた。
「それでやっと応募一件だ。この星も、いつの間にこんな人手不足になったんだか」
「たんにウチの評判が最悪なだけじゃねえの」
書類をさばきながらレックスがぼやいたときだった。
キンコン、と軽やかな、しかしどこか間の抜けたベルが鳴った。同時にアーニーがものすごい勢いで立ち上がる。
「侵入者だ!」
「はあ?」
気の抜けた顔でレックスは上司を見上げた。
「いよいよおかしくなったか? ただのチャイムだろ。受付は何やってんだよ」
「馬鹿野郎! あの学者野郎がシステムいじってこうなったんだよ! こいつは正真正銘警報だ!」
レックスは即座に腰のブラスターを抜き、扉の陰に身を寄せた。侵入者というのは本当らしく、扉の向こうから人の気配が近づいてくる。妙に聞き覚えのある、ぱたぱたという軽い足音に続いて──
「──やあ、こんにちは!」
一迅の涼風のような、ほがらかな声が室内に吹きこんだ。視界にきらめく金の髪。透き通った緑の瞳。
レックスは特大のため息を吐き出した。ありったけの忍耐力をかきあつめ、ブラスターを下ろす。
本心では撃ち抜いてやりたかった。誤射のふりをして本当にやってしまえたらどんなによかっただろう。
「こちら、面接会場で合ってるかな?」
「あんた……」
今までどこで何をしていたとか、今度は何しに来やがったとか、そもそもお従兄様の許可はとってんのかとか、聞きたいことは山ほどあったが、すべてが面倒くさくなったレックスは──なにぶん慣れない事務仕事で疲れていたせいもあり──端的に要求を口にした。
「帰れ」
「おや、ご機嫌ななめだね」
にっこりと青年は笑った。清潔で上品で、人によっては「天使のような」と表現するかもしれないその笑みが、じつは悪魔も恐れ入るほど物騒なものであることをレックスは知っている。
「帰しちゃっていいのかい? せっかくの応募者を。人がいなくて困っているんだろう?」
なぜそれを、という問いをレックスは呑みこんだ。この科学者に対して「なぜ」は無意味だ。ときとして有害だ。
「余計なお世話だ。いいから出てけ」
「待て、レックス」
背後でアーニーがうなった。
「この際、背に腹は変えられねえ」
「おいアーニー」
正気かよ、と目で訴えたレックスに、アーニーは絶望的な表情で首をふった。
「選んでる場合か?」
レックスは黙って室内を見わたした。山積みの書類。床に散乱するファイル。あふれた灰皿。汚れたコーヒーカップ。
「選ぶ必要はないよ。どうせ僕しか応募しないから」
「……あんた、まさか」
条件を上げても応募者はなし。それは本当にゼロだったのだろうか。誰かがエントリーしたところで、それがこちらの目に触れる前に消されていたとしたら。社のセキュリティシステムをいじり倒したマッドでイカれた科学者なら、そのくらい朝飯前で……
レックスは新しい煙草に火をつけ、深く煙を吸い込んだ。
寝不足の目に煙がしみる。こめかみがうずく。はらわたは限界まで煮えくりかえっている。
だけど、なんだろう。腹の底からふつふつと、何かが湧き上がってくるようなこの感覚は。わけもなく大声を上げたくなるような、笑い出したくなるような衝動は。
「ドクター」
遠い昔、手をのばした輝き。今は間近でまたたくその光に目を細め、レックスはふっと煙を吐き出した。
「とりあえず、コーヒーいれてくれよ」




