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ep.22 Just Something Beautiful

 ケヴィン、と。そうつぶやいたエルの声は、ひどく頼りなかった。まるで今にも泣き出しそうな、幼い子どものような。


『エディか? 今どこにいる?』


 言葉を忘れたように黙りこんでいる科学者のかわりに、レックスがマイクに顔を近づけた。


「まだN-Ⅲのど真ん中だ。機体の故障で動けない。なんとかしてくれ」


 スピーカーの向こうで、隠す気のない舌打ちが響いた。


『大口をたたいたわりに……』


 おお、とレックスは少しばかり感動した。この男もここまで不機嫌をあらわにすることがあるのだなと。


『時間がないので手短かに。あと三分で小惑星への攻撃が始まります』

「どこから!?」


 同時に叫んだレックスとエルの声に、『宇宙から』とノイズ混じりの音声が重なる。


『宇宙軍第六方面部隊の協力が得られました。駆逐艦三隻からの主砲同時斉射。うまくいけば、小惑星の破壊が可能です』

「ちょっと待ってくれ、ケヴィン」


 ようやく我に返ったらしいエルが声をあげた。


「そんなことは不可能だ。あれの大きさと速度を考えてくれ。飛んでくる銃弾を撃ち落とすようなものだよ。うまくいくはずが……」

『エディ』


 たしなめるようにケヴィンが従弟の名を呼ぶ。


『きみの悪い癖だ。自分が出来ないからといって不可能と決めつけるのは感心しないな』


 やんわりとした小言に、エルが首をすくめる。ささいなやりとりに、二人の日常がかいま見えるようだった。無邪気に傲慢な天才と、それを(いさ)める常識人。


『とはいえ、難しいことは確かだね。成功しても、破片が落下する可能性がある。たとえ拳大の破片でも被害は甚大だ。気休めかもしれないが、遮蔽物の陰で身を伏せているんだよ。いいね?』


 それじゃあ、と切れかけた通信を、エルが「ケヴィン」と呼びとめる。それきり言葉が続かないエルに、ややあって『エディ』と静かな応答が返ってくる。


『きみに謝らなければならないことがある。きみは初めから気づいていたんだろうけど……』

「わかってる」


 スピーカーの音声を、性急なエルの声が断ち切る。


「ちゃんとわかってるよ、ケヴィン。きみは僕を実験動物にしまいと……僕を守ろうとしてくれたんだろう」


 未知の生命体を宿した科学者。作り話でもなんでもなく、それが真に実在するのだと世に知られれば、エディ・ローレンスの処遇はどうなるだろう。どこかの研究施設に閉じこめられて、あらゆる人体実験の対象にされるかもしれない。あるいは、人類に害を与える存在と見なされて()()されるかもしれない。


 そんな最悪の未来から、この医師は従弟を救おうとしていたのだろうか。苦しませるくらいならいっそのことと、暗い衝動に突き動かされたのだろうか。


 あくまでひとつの可能性だ。あの医師の身のうちに、もっと醜く、もっと身勝手な欲があったことをレックスは知っている。だが、それもまた全てではないのだろう。そこまで単純なものでもないのだろう。この二人の二十年間というものは。


 沈黙が、どのくらい続いただろう。断続的なノイズに混ざって、かすれた声が機内に響いた。


『……あと十秒』


 スピーカーの向こうでカウントダウンが始まる。


「ケヴィン」


 エルはコンソールにかがみこみ、宝物のようにマイクを両手でつつんだ。


「ありがとう」


 息を呑むような空気のゆらぎが、通信機を通して伝わった。


『……エディ』


 あと五秒。


『きみに話したいことがある』


 三秒。


『だから、ちゃんと帰ってきてくれ』


 ブツッと通信が切れた。ふらりと立ち上がったエルの襟首を、レックスはとっさにつかんで床に引き倒した。


 ──ゼロ。


 空が燃えた。星が震えた。


 その日、アルマティの上空約十万キロメートルで砕かれた小惑星は、無数の破片となって地上に降りそそいだ。その大半は大気圏で燃え尽きたものの、ごく一部の破片は地表に達した。火球となって落下した隕石は激しい衝撃波をともなって地表をえぐったが、幸いにも落下地点はいずれも無人地帯であり、人的被害は確認されなかった。辺境星域を一時騒然とさせたこの小惑星は、最接近時の地上の名称にちなみ、のちにN-Ⅲと呼ばれることになる……



 *****



 最後の一本となった煙草をくわえ、レックスはライターで火をつけた。横転したヘリにもたれて足を投げ出し、明け方の空に紫煙をくゆらせる。


「……痛い」


 隣で地面に寝転がっていた青年が、額を押さえてうめいた。


「こぶができてる。きみ、わざとやっただろう」


 爆破の直前、床に引き倒されてから今まで意識を失っていたエルは、指の間から恨みがましそうな視線をレックスに送った。


「誤解だ、ドクター」


 レックスは煙草をくわえたまま唇の端を持ち上げた。


「伏せてろって言われただろ? 兄貴の言うことは聞くもんだぜ」


 従兄、と不機嫌そうにつぶやいて、エルはのろのろと上体を起こした。


「せっかく爆破の瞬間を見ようと思ったのに」

「やっぱりかよ」


 嫌な予感はしたのだ。立ち上がりざま外に飛び出していきそうなエルの襟首をひっつかみ、床に叩きつけた判断は間違っていなかった。まあ力加減は多少誤ったかもしれないが、あの状況では致し方ないというものだ。


「本当に、なんてことをしてくれたんだ。一生に一度見られるかどうかの貴重なチャンスだったんだよ? それに破片が落ちたなら、その方角も確認したかった。うまくすれば落ちたてほやほやの隕石をこの手につかめたかもしれないのに……ケヴィンに頼んだらもう一回やってくれるかな」

「……やってくれねえんじゃねえの」


 まず小惑星を引っ張ってくるところから始めなくてはならない。運が良ければ一億三千年後に実現するかもしれないが。


 ああ、と悲劇役者のような声をあげて、エルはごろりと地面に転がった。


「……きみが言ったんじゃないか。綺麗なものをたくさん見ろって。あれは絶対綺麗だったのに……絶対に見逃したくなかったのに……」


 子どものように頭をかかえ、事実とは微妙に異なる文句を垂れ流すエルを放っておいて、レックスは短くなった煙草をふかした。


 見上げた空に日が昇る。透き通った金と赤が、群青の空にとけてゆく。綺麗だな、と柄にもなくレックスは思った。目に映るものをただ美しいと、純粋にそう思えたのはいつぶりだろう。


「そういや、ドクター」


 いじけたように丸まった背中に、レックスは声をかけた。


「あれ何なんだよ。あんたが言ってた──」


 アレキサンドライト。初めて会ったとき、この青年が口にしていた言葉だ。


「あれかい?」


 興味を示してもらえたことが嬉しいのか、エルはいそいそと身を起こした。


「マックスがね、教えてくれたんだよ。きみのその」


 エルはレックスの目元を指差した。光の加減で赤にも紫にも見える、珍しい色合いの虹彩を。


「目が宝石みたいだったって。話を聞いてずっと僕も見てみたかった」


 アレキサンドライト。陽の光に透かせば緑に、そして夜の灯りのもとでは赤紫に輝く宝石。


「夢がかなってよかった。マックスが言っていたことは本当だった」


 朝焼けの空のもとで、エルは笑った。澄んだ緑の瞳をきらめかせて。


「──綺麗だ」



 

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