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ep.20 Escape from a Crush

「じゃ、逃げんぞ」


 科学者の本音を聞き出したところで、レックスはヘリに向かう。すぐにエルも続くかと思いきや、金髪の青年はその場に立ちつくしたまま動かなかった。


「何やってんだ。おいてくぞ、馬鹿!」


 レックスが怒鳴りつけると、エルは夢から覚めたようにまばたきをした。


「……すごい。馬鹿って言われたの初めてだ」


 レックスは声にならないうめきにもだえ、初体験の感動にひたっている天才馬鹿の襟首をひっつかんだ。


「いいからとっとと来い!」

「いや、待ってくれ。僕がここで逃げたらマックスがもどれなくなってしまう」


 この()に及んで、と舌打ちしたい気持ちをぐっとこらえ、レックスは尋ねた。


「そいつ、いま何て言ってんの」

「何も」


 エルはどこかぼんやりした目でレックスを見上げた。途方に暮れたようなその顔は、帰り道を見失った子どものようだった。


「僕の中に入ってから、彼は何も語らないんだ。彼はたしかにここにいる。でもその声はもう……」

「よし、じゃあ話は簡単だ。あんたが決めろ」


 緑の瞳が丸くなる。思いもよらない方向からボールが飛んできたように。


「なんだっけ? そいつの名前。メタ……何とか」

「Metaphysical Autonomous Existence」

「そうそれ」


 Metaphysical Autonomous Existence──形而上学的、自律的存在。


「あんた、それ間違ってんよ。石っころとかあんたとか、何かにしがみついてないと動けもしねえやつは自律的って言わねえだろ」

「きみの解釈こそ正しいとは言えないな。いいかい、自律とは身体的な自由のみを指すものではない。自身で定めた規範にのっとって……」

「あーはいはい。講義はあとでな、プロフェッサー」


 エルの哲学者スイッチを押してしまったらしいことを後悔しながら、レックスは頭をかいた。


「つまりだな、俺が言いたいのは、いまの主人はあんただってことだ」


 マックスとかいう宇宙人もどきのことなど知ったことか。いまレックスの目の前にいるのは、頭のイカれた天才学者だ。


「そいつ、一億三千年も待ってたんだろ。あんたの寿命が尽きるまで、あとたかだか数十年だ。そのくらい、そいつにとっちゃ誤差にもなんねえよ」

「いや、でも……」

「あとな」


 レックスはエルにびしりと指を突きつけた。ここから先はサービスだ。タダ働きは性に合わないが、まあたまにはいいだろう。


「あんたがこの先どうしても、そいつに悪いって思ったら」


 その身を壊して、マックスを宇宙に還したいと思ったら、

 

「俺に言え。俺が責任もって、あんたを粉々にしてやる」


 これぞ一石二鳥。いや、三鳥だ。エルは罪悪感から解放され、マックスは旅を続けられる。そしてレックスは、かねてからの願望を実行にうつせる。なんて心おどる未来予想図だ。今から楽しみで仕方ない。


「……はっ」


 いっぱいに見ひらかれた緑の瞳に、星のような光がはじけた。ゆるんだ唇から笑いがこぼれる。


「最っ高だね! 気に入った。じゃあ僕はこれからたくさん綺麗なものを見るとしよう。もう見るものがなくなって、きみにお願いすることになるまでね!」


 お互い待ち遠しいそのときまで。飽きるまで楽しんだ、その後まで。最高のお楽しみは、いつだって最後に用意されているものだから。


「衝突まであと一時間半てところだね。僕が操縦していいかな?」


 右足を引きずりながらヘリに向かうエルに肩を貸しながら、レックスは「ふざけんな」と応じた。


「駄目に決まってんだろ、馬鹿」

「また言った! 僕に馬鹿なんて言うのきみくらいだよ」

「悪いな、根が正直なもんでね」


 先にヘリに乗ったレックスは、エルを引っ張り上げて後部座席に押しこんだ。性懲りもなくコンソールに伸びてきた手をたたき落とし、エンジンのスイッチを入れたところで──


「……おい」


 かすれた声が口から漏れた。顔から血の気が引いていく音が聞こえるようだった。


「レックス?」


 慌ただしく計器を確認し、スイッチを入れて切るを何度かくりかえす。やるべきことをすべてやった後に、レックスはぐしゃりと頭をかきまわして天井をあおいだ。


「……故障だ」



 *****


 故障の原因はエンジンのオーバーヒートだった。明らかに、往路で無茶をし過ぎたことが元凶だろう。

 もっともレックスに言わせれば、あの程度の無茶でトラブルを起こすとはメンテナンス不足にもほどがある。この機体の整備士に会う機会があったら、嫌味のひとつも言ってやりたい。会う会わない以前に、もし生きて帰れたら、の話だが。


「だめだね、これは」


 機体のあちこちをいじっていたエルは、油で汚れた頬をシャツの袖でぬぐった。


「点火プラグが溶けてる。ひどい粗悪品だ。正規軍のものとはとても思えない」

「辺境の部隊なんてそんなもんだ。部品や装備の横流しも珍しくないしな」


 こちらも汗と油でべたつく髪をかきあげながら、レックスは「よし」と方針転換を告げた。


「プランBだ。事務所に行く」

「事務所?」

「ここからちょっと離れたところに、作業員が休憩とか事務作業とかする建屋があるんだよ。うまい具合に地下倉庫付きのな」


 そこに避難しようという提案に、エルはきゅっと眉をひそめた。


「きみは衝突のエネルギーを舐めているのか? そんなところに隠れても無駄だよ。地下室ごと潰れて生き埋めになるだけだ」

「それでもここで爆死を待つよかマシだろ」


 さっさと行くぞと促したレックスに、「待ってくれ」と落ち着いた声がかけられる。


「その事務所はここからどのくらい離れているんだい?」

「……六、七キロてとこだな。走れば間に合うだろ」


 そうか、とエルは笑みを浮かべた。穏やかでやわらかい、レックスが恐れていた笑みだった。


「なら早く行くといい」

「ふざけんな。あんたもだよ」

「レックス」


 エルはかすかに首をふった。わかっているだろうと言うように。


「衝突まであと三十分。僕は間に合わない」


 元軍人のレックスなら、その距離を三十分で走破することも可能だろう。しかし、いくら健康体になったとはいえ、体力はほぼ一般人の、しかも右足を痛めているエルには不可能だ。


「やる前から諦めてんじゃねえよ。足も折れてるわけじゃないんだろ。固めてやるから気張れよ、ドクター。いざとなったら担いでやっから」

「そんなことをしていたら、きみの足が鈍って二人とも爆死だよ」

「つべこべ抜かすな。いいから早く……」


 エルの腕をつかもうとしたレックスだったが、エルはすっと一歩さがってその手を避けた。


「エル!」

「大丈夫だ」


 静かにエルは微笑んだ。まるで救いを与えるように。


「きみは、僕を見捨てるわけじゃない」


 頭を殴られたような衝撃は、しかし一瞬で過ぎ去った。かわりに、冷えた胸にじわじわと苦いものが広がっていく。


「……知ってんのか」


 考えてみれば当たり前だ。レックスの過去など初めから全て暴かれていたのだから。生い立ちも、軍に入った経緯も、そして離れたきっかけも。


「不快にさせたらすまない。きみを傷つける気はないんだ。ただ、わかってほしい。これは僕自身が考えて、僕が判断したことだ。きみのせいでも、他の誰のせいでもない。だから」


 行ってくれ、と。星あかりのもとでエルは微笑んだ。



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