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ep.19 From 130 million years ago

「きみは、この宇宙がどれほど広いか知っているかい」


 講堂で学生を相手にする教授のように、エルは問いかけた。


「観測可能な範囲でざっと一千億光年。光が一年で進む距離が一光年だから、宇宙の端から端まで旅をするのに一千億年かかるというわけだ。もっとも、これが正確な数値かは所説あるところだけどね。いずれにせよ、宇宙が広大であることに文句をつける者はいない。その宇宙を、彼はずっと旅してきたんだ」


 涯なく広く、底なしに深い漆黒を。気が遠くなるほど長い長い間。


「この惑星に漂着したのは、彼の本意ではなかった。また気ままな旅にもどるには、自身を捉える石を破壊しなければならない。さて、かつては無人かつ不毛だったこの惑星で、石を破壊するにはどんな手段があると思う?」

「……隕石をぶつけるってか」

「そのとおり」


 エルは満足そうに目を細め、片手の拳にもう片方の手の平をぶつけた。


「彼に必要なのは、外部からの強烈な衝撃だった。彼は、それまで旅をしてきた宇宙の記憶を呼び起こし、隅々まで探し求めた。無限にも等しい宇宙を行き交う星々の軌道を追い、あらゆる可能性を検証し、計算し、そして解をはじき出した。自分を解放してくれるその星が──」


 エルは自身の足元を指さした。


「ここに堕ちてくる時を。その日まで、彼はひとときの眠りにつくことにしたというわけさ」


 レックスは短くなった二本目の煙草を深く吸い込み、行儀悪く地面に吐き捨てた。少し迷ってから、三本目をくわえて火をつける。


 チェーンスモークはしない主義だが、今夜ばかりは仕方ない。話の途方もなさに食らいついていくためには、こちらも外部からの応援が必要だった。


「そっから一億三千年? 気が長すぎんだろ」

「一千億光年の世界では誤差みたいなものだよ。そんな星があっただけでも奇跡だ。いや、奇跡なんて表現は正しくないね。可能性がゼロパーセントでない限り、それはいつか必ず起こるんだから」


 いつか、気の遠くなるような先。数千年、数億年、数兆年先の、いつかの未来に。


「きみには感謝しているんだ」


 それはもう何度も伝えられたことだ。ありがとう、レックス、と。何度も、何度も。


「マックスにも予測ができなかったことが一つある。一億三千年の間に、この星は有人惑星となった。人類のあくなき探求心は、彼の予測をも超えたということだね。あのまま……彼が眠りについたまま、予定どおり小惑星が衝突すれば、この一帯の人的被害は相当なものになっただろう。この場合は、おもにきみの会社の人々かな」


 N‐Ⅲで採掘作業にあたっていた人員は、およそ百名。おそらくレックス自身も含め、衝突に巻き込まれて全員が塵になっていたことだろう。


「ずいぶんお優しいことで。人間がちっとばかし減ったところで、そいつにとっては痛くもかゆくもねえだろうに」

「あらゆる生命は尊重されるべきだ。彼はむやみに他種族が傷つくことを好まない」

「あんたは例外?」


 エディ・ローレンスが損なわれることについてはどうなのだと、問いかけたレックスの前で、白い顔が微笑んだ。


「これは僕が望んだことだ」


 彼が。エディ・ローレンスが。現代医学ではどうにもならない、壊れかけた身体に囚われた天才科学者が。


宇宙(そら)に帰りたいという、彼の願いを僕はかなえてあげたい。檻に囚われている気持ちなら、僕にはよくわかる。彼が自由になる手助けを、僕はしたいんだよ。それはきっと僕自身のためにもなる」


 熱っぽく語っていたエルは、ふと夜空を見上げた。


「もしかしたら、彼と一緒に僕も飛んでいけるかもしれない。マックスと一緒に、永劫の旅に出られるかもしれない」


 人間(ひと)の殻を破って、意識だけで、思考だけで。高く、遠く、どこまでも自由に()けていけるとしたら。


「それってすばらしいことじゃないか」


 にっこりとエルが笑う。さも浮かれたように。楽しいパーティーが待ちきれないといったように。


「タイムアップだ、レックス。じき迎えがくる。僕たちのための迎えだ。残念ながら、きみの席はない。せっかく来てもらったのに悪いけど、きみは早々に退散すべきだね。招かれてもいないパーティーに顔を出すほど、きみは無粋な男じゃないだろう?」


 レックスは黙って三本目の煙草の灰を落とした。四本目は、さすがにいらなかった。もうたくさんだった。煙も、科学者の世迷言も。


「……わかんねえ」


 吸殻を靴の底で踏みつぶしながら、レックスは苦い声を吐き出した。


「あんたが、そのご大層な頭で何考えてるかは知らねえけどよ、さっきから何ひとつわかんねえ」

「なんだい、きみ、やっぱり脳筋……」

「やかましい。そうじゃなくて、あんた」


 無粋な男らしく、レックスは真正面から指摘してやった。


「なんでさっきから泣きそうな顔してんだよ」


 ひゅっと息を呑む音が、夜の空気を震わせた。


「あんたのそれ、納得してるってツラじゃないだろ」


 笑いながら、もっともらしい心情を語りながら、その目はずっと泣いているようにレックスには見えていた。


 本当の望みを押しこめ、蓋をし、顔をそむけてただ笑う。そんな下手くそな演技を延々と見せられるこちらの気持ちにもなってみろ。


「なあ、ドクター」


 ため息をひとつ吐き出して、レックスは赤茶の髪をかきまわした。まったく従兄ともども手がかかる。頭の良すぎるやつはこれだから嫌だ。


「あんた、本当はどうしたいんだよ」


 マックスではなく、エルは。エディ・ローレンスは。


「……僕は」


 笑みがはがれ落ちた顔で、エルはつぶやいた。


「仕方ないと思っていた」


 生まれたときから故障だらけの身体をかかえていた青年の口から、「どうせ」と乾いた声がこぼれ落ちる。


「どうせ、いつか人は死ぬ。僕の場合、それが少し早いだけだ。仕方のないことだと思っていた。どうしようもないことなんだと……とっくの昔に受け入れていた、のに……」


 エルは片手で自身の胸元をつかんだ。白くなるほど固く握られた拳が、かすかに震える。


「マックスが来てくれて、欲が出た。自由に動けるのが嬉しくて、いろんなところへ行けるのが楽しくて、諦めていたあれもこれも見られると思ったら、止まらなくて……」


 隣の州の大学にもぐりこんで、恒星間シャトルに飛び乗って、あこがれの廃坑見学にくりだして。


「僕は」


 緑の瞳から、ぽろりと透明な水の粒が落ちた。いつかの荒野で、西日をはじいて輝いていた小さな宝石。


「綺麗なものを、もっと見たい」


 空にまたたく星よりも、もっと身近で、もっと矮小で、それでもずっと綺麗なものを。その緑の瞳を通して、もっと。


「馬鹿」


 赤紫の目の端をゆるめて、レックスは希代の天才にその言葉を放った。


「最初っからそう言やあいいんだよ」




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