ep.13 Gotta go to Hell
レックスが軍人だった頃、上官にくりかえし説かれたことがある。現状把握の重要さだ。
何が起こるかわからない戦場で、一分一秒ごとに異なる局面を見せる前線で、自身の置かれた状況を正確に把握すること。
パニックに逃げるな。思考を放棄するな。生き残りたくば目を開けて、ありのままを観察しろ。先入観で目を曇らせるな。
座学と訓練と実戦で、その原則はもはや息をすることと同じくらいレックスの身に染みついている。
それでも今のこの状況は、脳が理解を拒否するほどに衝撃的だった。
「エル!」
レーダーの画面をにらみながら、レックスは叫んだ。
「下いるやつあんたの知り合い!?」
攻撃は下方からだった。しかし戦闘機の類いではない。その手のものが近づけば、こちらのレーダーが捕捉する。ミサイル接近までも、そして今このときも、レーダー有効範囲に敵機はいない。それが意味するところは、つまり、
「あー……」
コンソールから顔をあげた青年は、なんとも言えない表情で頭をかいた。
「まさかケヴィンがここまでやるとは……」
「はあっ!?」
まさかの心当たりに、訊いたレックスのほうが仰天する。
「あんたらやっぱり仲悪いんじゃねえか! 何したらここまで恨まれるんだよ!」
「なんで僕が何かした前提なんだ!? あと僕らの仲は悪くない……悪くないよね?」
「俺に訊くな! てか、あのドクター、軍属だったのか!?」
海上からの攻撃。それが意味するところはひとつ。艦対空ミサイル攻撃だ。
無法地帯に限りなく近いアルマティにも、いちおう軍隊は配備されている。陸と空と、そして人工海域にも。
数ある資源採掘会社の私設武装組織も、さすがに海上戦力までは有していない。理由は簡単。金がかかりすぎるからだ。海をわたる艦船は、さすがに国家規模の予算でなければ購えない。つまり、この攻撃は連邦軍所属の軍艦からということになる。おそらくステルス機能を搭載した巡洋艦か駆逐艦あたりからの。
「いや、ケヴィンは民間の医師だよ。ただ彼はちょっと軍に顔がきくんだ。なにしろ彼の祖父は先代の連邦軍総司令官だから……」
「──!」
声にならない悲鳴を、レックスは呑みこんだ。
「つまりあんたも総司令の孫!?」
「僕は違う。ケヴィンの母方の祖父だから。いやあ、本当にまさかだよね。ケヴィンはあの人と折り合いが悪かったはずなんだけど。さすがの彼もなりふり構っていられないってところかな」
感心したようにうなずくエルを、レックスはふざけるなと怒鳴りつけた。畏れ多くもレックスの前職の元トップに、なんて嫌疑をかけやがると。
「いくら孫の頼みだからって、総司令が私情で軍を動かすわけねえだろ!」
「ちなみにあの人は僕のことを死ぬほど憎んでいる」
「オーケー、なら仕方ねえ!」
高度はじりじりと下がり続ける。ランプの点滅はやまない。眼下の海が一秒ごとに近づいてくる。
「レックス」
落ち着いた呼びかけとともに、肩越しの体温が離れる。
「きみ、泳ぎも得意だよね」
なにを、と振り向いたレックスはあんぐりと口を開けた。
オーバーサイズのフライトジャケットを脱ぎ捨てたエルの肩と腰に、太いベルトが巻きついている。おそらく離陸のときから仕込んでいたのであろう、背中に装着するタイプのパラシュートのあちこちを引っ張りながら、エルはにこりとレックスに笑いかけた。
「着水したら救助を待っていてくれ。ケヴィンも、きみ一人なら危害を加えることはないだろうから」
あとこれ、とエルはレックスにフライトジャケットを押しつけた。
「救命胴衣も兼ねているから着ておくといいよ。あとでよく乾かしておいてくれ」
じゃ、と緊急脱出用ハッチに手をかけたエルを、レックスは「待て」と引き止めた。
「高度が足りない! 今出たら死ぬぞ!」
「大丈夫、大丈夫」
エルはひらひらと手をふり、ヘッドセットに手をそえた。
「言っただろう? マックスの故郷に行くまでは死ねないって。それまでは生きてるよ。そのために僕は」
──生かされているんだから。
ほとんど唇の動きだけで発せられたその言葉が、耳に届くと同時に暴風が顔を殴った。ヘッドセットが宙を舞う。ひらいたハッチから華奢な身体が躍り出る。
「まっ──!」
伸ばした右手は空をつかんだ。キャノピー越しの視界に映ったのは、夜明けの空と広大な海。そして、二つの青の間を滑るように飛んでいく白いグライダー。
「……んの野郎」
レックスは噛み締めた歯の間からうなり声をもらした。あの形状、あの飛び方は、ただのパラシュートではない。短距離の飛行が可能なパラグライダーだ。
つまるところ、あの天才学者は初めからすべて予測していたのだろう。従兄の医師が絶対に追いかけてくることを。そのために正規軍すら動かすであろうことを。そして機体が撃ち落とされることも。もしかしたら、おおよその撃墜時間すら割り出していたのかもしれない。
全部わかっていたくせに、あの男は小型機に乗りこんだのだ。素知らぬ顔でレックスに操縦させ、道の途中であっさり降りた。まるでタクシーを利用するように。
「地獄へ落ちろ!」
親指を下に向け、レックスは古典的な罵声を空にたたきつけた。操縦桿に片手をかけたまま、もう片方の手でベルトを外してフライトジャケットを着こむ。高度計を横目でにらみつつ、きたるべきタイミングに備えて両足に力をためる。高度が下がる。海の青が迫る。
今だ、と見極めた瞬間、レックスは操縦桿から手を離してハッチに飛びついた。鋼鉄のフレームを蹴り、眼下の海にダイブする。
数瞬の後、激しい衝撃ととともに大量の海水と気泡が全身をつつんだ。底へ引きずりこもうとする渦にあらがい、強く水を蹴る。少しでも速く、少しでも遠くへ。墜落する機体から離れたところへ。
ドォン、と轟音が響いた。暴力的な水流を振り切り、レックスは力の限り水をかいた。海が静けさを取りもどすまで。
どのくらい泳いだだろう。限界の一歩手前で、レックスは海面に身を浮かせた。いつの間にか昇っていたアルマティの太陽が目を射抜く。
呼吸を整えながら胸元をさぐったところで、レックスは我に返った。そこに求めるものがあるはずもない。まあ、あったところで火もつかないが。
舌打ちをして指を引っ込めかけたところで、固いものが指先に当たった。つまみだしたそれを目の上にかざしたレックスは、肺が空になるほどの空気の塊を吐いた。
朝日にきらめく黒と緑。ループタイにはめこまれたその石を握りしめ、レックスはそのまましばらく波間を漂っていた。




