ep.12 Don’t Think, just Fall
静かに微笑む青年を前に、レックスはゆっくりと息を吸った。
数秒かけて吸い、同じだけ息を止める。さらに数秒かけてゆっくり吐き、再び息を止める。軍隊式の呼吸方だ。恐怖やパニックを回避する、もっともシンプルな方法。新兵時代にたたき込まれたテクニック。
考える前に身体がそれをなぞったことを、レックスは感謝した。さもなければ、何をしていたかわからない。たとえば、大声でわめき散らすとか、狭い機内でブラスターを乱射してしまうとか。
宇宙の涯からやってきた知的生命体。そう正体を明かした青年を、鼻で笑ってやりたかった。あるいは、罵声を浴びせてやりたかった。何を馬鹿な、ふざけるのもいい加減にしろ、と。
だが、そのどちらもレックスはできなかった。目の前の青年が口にしたことが、真実だとわかってしまったから。理由はない。根拠もない。ただ直感で、レックスはそれが誤りでないことを理解していた。
「彼がこの星にたどり着いたのは、ざっと一億三千年前のことだ。もちろん、その頃この星に人間は住んでいなかった。いや、生命そのものが存在しなかった。彼を迎えたのは氷と岩石。鉄とケイ素、アルミニウム、マンガン、チタン、窒素……」
淡々と、青年の口が言葉をつむぐ。エルという名の、人間の形をした「何か」が。
「望んで来たわけじゃない。事故のようなものだったそうだよ。わかりやすく言えば、そう……船が難破して無人島に流れついたようなものかな。舟板代わりの星のかけらにしがみついて、たった一人で」
語りながら、エルは首元の岩石を指でなでる。無意識の所作のように、ゆっくりと何度も。
「本来の彼ならば、すぐにでもこの石の軛から逃れてまた旅を続けられたはずなんだが、どういうわけか、この石にその身を……という表現は正しくないが、まあ大目に見てくれ。とにかく石に囚われてしまった彼は、そのまま長い眠りについた。一億三千年の、長くて深い眠りに」
いつしか、レックスの呼吸は平時のものにもどっていた。
恐怖は、すでにレックスのコントロールの下にあった。完全に消えてはいないものの、制御可能な大きさと形に落ちついている。
かわりに首をもたげているのは、底なしの驚きと好奇心。それら全てを、冷静に観察している自分がいる。
感情を抑えつけず、さりとて爆発させず、理性で監視しながら次の行動に備える。五感が捉えたすべての情報をふるいにかけ、身体を緊張と弛緩の間合いに置く。次にとるべき最善の行動に向けて。
相手を組み伏せる。自由を奪う。あるいはより直截に、すみやかに危険を排除する──
「そしてね、きみに出会ったんだ」
一瞬、息が止まった。
「見つけてくれてありがとう」
ありがとう、とエルは笑った。初めて会った日の夜と同じように、透き通った緑の瞳をゆるませて。ありがとう、レックス、と。
「……あんた」
ふっと息を吐いて、レックスはブラスターを下ろした。
「イカれてんな。知ってたけど」
いつの間にか床に落ちていた煙草を拾い上げ、唇にはさんで火をつける。機内に満ちる煙の香りが、ひどく懐かしいものに思えた。
「……んで? そのマックスが、なんであんたにくっついてんだよ」
「それはまあ、気が合ったからとしか言いようがないな」
本気とも冗談ともつかない口ぶりでエルは言う。
「たぶん、僕とマックスは似ているんだよ。脳波というか、波長みたいなものが。研究所に運びこまれた彼がね、もどらなきゃと訴えるものだから、じゃあ僕が連れて行ってあげようかと言ったら──」
そこでエルはひょいと肩をすくめた。
「こうなった」
なにか、とてつもなく重要な箇所をすっ飛ばされた気がしたが、レックスはあえて問い直さなかった。話の途方のなさに、さしもの特殊部隊あがりの脳も焼き切れそうだ。
「おかげでポンコツだった僕の体もこのとおり、マックスがすっかり直してくれてね。なにしろ昔の僕じゃ、シャトルにも乗れないどころか、歩くことすらままならなかったから」
いやあ本当に助かったよ、と笑顔で語るエルを前に、もういいか、と諦めの境地でレックスは煙草をふかした。
もういいだろう。わかろうと努力するのは。このイカれ野郎を理解するなど、どだい不可能なのだから。
「おかげでケヴィンには相当驚かれたけど。マックスのこともなかなか信じてくれなくてね」
「……そうだろうな」
レックスはローレンス医師に心から同情した。
自立歩行も困難な患者がいきなり健康体になって、おまけにそれが宇宙人(正確には人ではない)のせいですなどと言われた日には、主治医はいったいどうすればいいのか。俺だったら棺桶にぶちこんで火葬場に送りつけるな、とレックスは束の間の妄想にふけった。
「きみは恩人なんだ。きみがマックスを起こしてくれたおかげで、僕は今ここにいる」
「俺は拾っただけだけど?」
それでも、とエルは笑った。
「僕たちはきみに感謝している」
彼でもなく、僕でもなく、僕たちとエルは言った。最初からそうだった。初対面で飛びついてきたこの男は、何度も感謝を告げていた。きみがいなければ僕たちは、と。
「あんたはともかく、なんでマックス君が感謝するんだよ」
「ああそれはね……」
エルが口をひらいた、そのときだった。
けたたましい警報が機内に響いた。コンソールに飛びついたレックスは、事態を把握すると同時に叫んだ。
「対ショック姿勢!」
次の瞬間、耳をつんざく爆発音がはじけ、夜空にぱっと赤が散った。
すさまじい衝撃とともに、機体を九十度かたむく。急激なGの変化で胃がせり上がる。
背後で悲鳴と、何かがぶつかるような音が聞こえたが、確認している余裕はなかった。操縦桿に両手をかけ、痙攣する機体をどうにか平衡にもどす。
「レックス!」
肩越しにエルの腕が伸びてきた。触るな、と止める間もなく細い指が的確にコンソールをたたく。ものの二秒で警報がやみ、揚力が回復する。
「初めてじゃなかったのかよ!」
「初めてだよ! でも機械のことならなんとなくわかる! 車と違って単純でいいね!」
いや、普通は逆だろう。そう突っ込む余裕も、残念ながら今のレックスになかった。
機体が揺れる。コンソールの無数のランプが激しく点滅して不調を訴える。左翼破損。左エンジン出力低下。燃料漏れに隔壁破損──
「ああ、これは」
コンソールの上で踊っていた指が止まる。どこか気の抜けた表情で、エルはレックスを見た。
「堕ちるね」




