ep.11 Sweet Gentle Smoker
昔から、星が好きだった。
しつけと称した折檻で寒空の下に放り出されたとき。家を飛び出し夜通し歩きつづけたとき。いつ果てるとも知れない行軍中に。サバイバル訓練の最中に。ふと見上げた夜空は、無数のダイヤモンドを散りばめたように美しく、圧倒的で、そしてどこか温かかった。
大丈夫だと、そう言われているような気がした。はるか高みから。宇宙の彼方から。大丈夫、ちゃんと見ている。側にいる。だから──
ぱん、とかすかな音がはじけた。
シートの上で身じろぎをして、レックスは短い物思いから覚めた。ぷう、と空気がふくらむ音がインカム越しに伝わってきて脱力する。子どもじゃあるまいし。いつまで噛んでいるんだ、この男は。
「眠いかい?」
振り向くと、大きなガム風船をこしらえたエルと目が合った。うまくマイクを避けてふくらませているあたり、無駄に器用である。
「少しうとうとしていたようだね。居眠り運転は勘弁してほしいな」
「寝てねえよ」
そう、眠っていたわけではない。少し酔っていただけだ。降るような星の海に。
離陸から約四時間。現在の時刻は午前三時半。空の旅は今のところ順調だ。幸い追っ手の気配もない。このまま何事もなければ、あと一時間ほどでN-Ⅲエリアにたどり着けるだろう。
「無理はしないほうがいい。きみも疲れただろう。よかったら席を代わろうか。こっちのほうが少しは足を伸ばせるよ」
「いや、いい。まだ死にたくないんでね」
「オートモードだろう? 間違えようはないよ」
「ここに並んでるやつ」
レックスはコンソールに指を這わせた。
「絶対に触らねえって約束できる?」
「……ガムいるかい?」
いらね、と答えてレックスは胸元から煙草を引っ張り出した。唇に一本はさみ、そのままくわえていると「レックス」と後ろから声がかかった。
「きみは優しいね」
唐突な誉め言葉に、レックスは眉を上げる。
「んなこと言っても席は代わらねえぞ」
「違うよ。そんなつもりじゃない。あるいはお人よしなのかな、きみは。なんだかんだ言いながら僕に付き合ってくれている」
「好きでやってるわけじゃねえよ」
「それに、僕の肺を気遣ってくれている」
レックスは黙って火のついていない煙草を噛んだ。これだから嫌になる。頭の良すぎるやつ、いや、目端がききすぎるやつというのは。
「ケヴィンはああ言ったけどね、本当に大丈夫なんだよ。いまの僕は完全に健康体だ。彼は面白くないかもしれないけど」
「……あんたらじつは仲悪いだろ」
「悪くないよ」
後ろから苦笑の波が伝わってくる。
「そうだな、彼は少し……混乱しているだけだよ。彼はエディに甘かったから」
カチ、とかすかな音がした。
エンジン音にまぎれたその響きに目を上げた科学者は、自身の眉間を正確に狙う銃口を静かに見つめた。
「あんた、誰だ」
ブラスターを構えながら、レックスは目の前の青年に問いかけた。
エディ・ローレンス。希代の天才学者。その男の姿に、経歴に、ふるまいに、ずっとかすかな違和感を覚えていた。
画面の向こうの澄まし顔に、感嘆するほかない膨大な業績に、数少ないエピソードから類推される人柄に、目の前の人物がどうにもうまく合致しない。姿形は確かに同じ。しかし中身に齟齬がある。ほとんど誤差のような、わずかなズレが。
最初は、猫をかぶっていたのだろうと思っていた。清潔で上品な学者像が世間一般向けの仮面で、危険でぶっ飛んだ変人ぶりが、この男の素なのだろうと。そうやって自分を納得させていた。実際、従兄のケヴィンもこの青年に散々手を焼いていた様子だったではないか。けれど、
「あんたはドクター・ローレンスじゃないな」
エディ・ローレンス。その愛称としてエルという名はそぐわない。ローレンスの頭文字からとったと言われればそうかとうなずくほかないが、同姓のケヴィンがそれを口にするのは不自然だ。
あの医師が、正しく従弟の名を口にしたのは一度だけ。煙草に火をつけようとしたレックスに向かってこう言った。エディの前では控えていただけると、と。
あれはもはや、条件反射のようなものだったのではないだろうか。長年病弱な従弟を守ってきたであろうあの医師が、意図せず漏らしてしまった台詞。
たとえ目の前の青年が「エディ」ではないとわかっていたとしても、従弟と同じ顔の「エル」を前にして、つい口に出してしまった。目の前の喫煙行為をとがめてしまった。なぜならそう、彼はエディに甘かったから。
「本物のドクターはどこだ」
金の髪と緑の瞳。知的で端整で、しかしどこか幼さが残る顔立ち。そのすべてが、にわかに見知らぬものに見えた。何か、途方もなく不気味な異星人のように。
「ここに」
金髪の青年──エルはレックスの目を見つめ返し、親指で自身の胸を指した。
「ここにいるよ」
「嘘をつくな」
「嘘じゃない。僕は正真正銘、エディ・ローレンスだ。もっとも、以前の僕とは少しだけ違うけどね。マックスに出会う前とは」
エルは穏やかに微笑み、かるく両手を広げた。聴衆に向けて解説を始める研究者のように。
「きみは、かつて地球に落ちてきた隕石の表層に、微生物と思しき物質が発見された事例を知っているかな? 残念ながらと言うべきか、綿密な調査の結果、その物質については非生物だという結論に至ったんだけどね。宇宙を旅する小惑星のかけらに、生命の痕跡を見出そうとする熱意と試みは現在も根強く続いている」
「おい」
よく動く口元めがけて、レックスはブラスターを構え直す。
「話をそらすな」
「そらしてない。さっきから僕の話をしている。ねえレックス、きみが見つけてくれた、これが」
エルは首元の石に触れた。
「この星が生んだ鉱石ではなく、宇宙の涯からやってきた隕石で、しかもそこには人類の理解をはるかに超えた生命体が宿っていたと言ったら、きみは信じてくれる?」
緑の瞳がレックスを見る。数ヶ月に拾い上げた光を宿した瞳が。
「Metaphysical Autonomous Existence」
歌うように、呪文をつぶやくように、薄い唇がその言葉がつむぐ。
Metaphysical Autonomous eXistence ──形而上学的、自律的存在。MAX。
「マックス。僕が名付けた。彼は実体を持たない思念体だ。はるか昔、宇宙の彼方からこの惑星にやってきて」
白い指が、愛おしそうに石の表面をなでた。
「いまは僕とともにある」




