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ep.10 Fly Me to the Night

「よう、ドクター」


 暗い格納庫の片隅で、レックスは片手をあげた。口には煙草。直に座った床は固く、背を預けた壁は冷たい。


「あんたにしちゃ遅かったな」


 揶揄するように言ってやれば、エルはぶかぶかのフライトジャケットに包まれた肩をすくめた。


 首元には緑の鉱石をはめたループタイが復活している。毒物ではないと判明したものの、やはりその無骨な岩石は、当人の洗練された雰囲気にどうにもそぐわなかった。


「そう責めないでくれよ。これでもけっこう苦労したんだ」

「ナニーの目を盗むのに?」

「必要物資の調達に、だよ」


 エルは片手にさげていたザックをレックスに放った。ずしりと重いそれを受けとめ中身をのぞけば、ドクターお手製と思しき火薬系のアレコレに混ざってカラフルなチューイングガムが詰まっていた。


「ビールないじゃん」

「飲酒運転は感心しないな」


 エルはレックスの隣に歩み寄り、壁に背を預けた。


「で、あんたのナニーは?」

「寝てるよ。長旅の疲れが出たんだろう。アルマティに着くなり強行軍を重ねてきたわけだし」

「それ、あんたのせいだって自覚ある?」

「もちろん。だから少しでもゆっくり休めるように手伝ってあげたんじゃないか」

「手伝い、ねえ……」


 やはり、あのコーヒーは飲まなくて正解だった。あのとき、馴染みのある香りの向こうに見え隠れした違和感に、レックスは口元まで運んだカップを止めたのだ。

 あれに何か、おそらく睡眠薬の類いを仕込んだのは、この倫理に欠けたドクターで間違いなかろう。


「あんたさ」


 レックスは煙草を口から外し、床にすりつけた。


「あいつと仲悪いの?」


 直球の質問に、半拍おいて「いいや」と否定が返ってくる。


「心配性なだけだよ。僕が病弱だったものだから、昔から何かと世話を焼きたがるんだ。彼が医学を志すようになったのも、たぶん僕のせいだろうね」

「いい兄貴じゃん」


 従兄だよ、と訂正してエルはかるいため息をついた。


「僕がこんなことを言う資格はないんだけどね、心配され過ぎるのも苦しいんだ。彼本来の人生を、僕がねじ曲げてしまったんじゃないかって……」

「だからって、あんたが好き勝手するのも違うと思うけどな」

「……驚いた」


 暗がりの向こうで、緑の瞳がまたたいた。


「きみ、もしかして説教してる?」

「説教してきくタマかよ、あんたが。兄弟喧嘩に俺を巻きこむなっつってんだよ」

「従兄弟」


 律儀に訂正して、エルは口元をふっとゆるめた。


「巻き込まれたくないなら、なんできみはここにいるんだい?」

 

 予想していた質問だったが、レックスは答えなかった。素直に答えるのが癪だったのかもしれない。結局このイカれ学者の望むままに動いている自分自身に、苛立っていたせいかもしれない。


 ケヴィン・ローレンス。天才学者の従兄にして、自身も(おそらく)優秀な研究者で医師。非の打ちどころのないミスター・パーフェクト。


 そんな彼の口から語られたことを、レックスは何ひとつ信じることができなかった。完璧すぎて無理があるのだ。あの、聞く者にとって都合のよすぎる話の運びは。さらに極めつけは、


「アーニーと連絡がとれない」


 ケヴィンの手配で、夕食前に基地の通信機を借りて支部との通話を試みたレックスだったが、画面に映ったのは「砂嵐の影響により通信不可」の文字だけだった。


 アルマティでは珍しくもない自然現象に、その場にいた誰もがやれやれと肩をすくめた。仕方ありませんね、とケヴィンは言い、そうだなとレックスもうなずいた。そうだな、明日また試してみようと。


「明日また試してみればいいんじゃないかい?」


 そのときの台詞をエルがなぞる。口の端を持ち上げて、意味ありげな視線をくれて。


「明日がくれば、それもいいかもな」


 吸い殻を靴の底でぐりぐりと潰しながらレックスは応じた。まったく、この科学者はたちが悪い。社屋のセキュリティシステムをバラして組み直したこの男なら、すべて承知の上だろうに。


 砂嵐の影響により通信不可。それは社員への暗号メッセージだ。真の意味は次のとおり。緊急事態発生。最大の警戒をもって身を隠せ──


「あのさ、ドクター」


 まったくもって嫌になる。結局この男の手の平で踊らされているような感覚が。すべての選択肢を奪われて、否応なしに厄介ごとに巻きこまれている状況が。


「せめて報酬払ってくんねえ? 俺、基本タダ働きはしない主義なんだわ」

「……意外だな」


 この日二度目の、意表をつかれたような顔をエルは見せた。


「てっきり、真実を話せ、とか言われるんじゃないかと思っていたんだけど」

「言ったら次はどんなデマカセ聞かせてくれんの」

「そうだな、僕じつは宇宙人なんだ、とか?」

「へえ、そりゃすごい」


 不毛な会話を打ち切って、レックスは腰をあげた。エルがくる前に点検を済ませていた小型機に歩み寄る。


 機関砲つきの航空機は、本来民間の採掘会社が持つには過ぎた代物だが、なにかと物騒なこの星ではまあまあよく見かける機種だ。そのキャノピーを開け、レックスは「必要物資」が詰まったザックを後席に放りこんだ。


「ねえ、よかったら僕に操縦させてくれないかな。初めてだけど教えてもらえれば……」


 科学者のたわごとを無視してレックスは操縦席に身をおさめた。メインスイッチを倒せばコンソールに緑のパイロットランプが点滅する。微弱な振動に、身体の芯がじんと熱くなる。空を飛ぶのは久しぶりだ。


「扉はどうする?」


 後部座席によじ登ったエルが声をかける。鋼鉄製の格納庫の扉は固く閉ざされたままだ。


「回路をハックして開けようか?」

「できんの? じゃ頼むわ」


 発進準備が整ってから緊急用のレバーを上げて開けるつもりだったが、機外に出ずに済むならそちらの方がいい。


「ああでも、こっそりというのは無理そうだね」


 小型端末をリズミカルに叩きながらエルが首をひねる。


「開けられるけど警報が鳴る。ダミーをかぶせてごまかすこともできるけど、ちょっと時間が厳しいかな」

「べつにいいさ。どうせ音でばれる」


 機械はだませても人間の耳はだませない。扉の開閉音と小型機のエンジン音で、誰かが起き出してくるだろう。


「いいのかい? すぐに追いかけられちゃうよ?」

「追っかけてこられないようにすりゃいいんだろ」


 一瞬きょとんとしたエルだったが、すぐにぱっと顔を輝かせた。


「お願いだ! 僕にやらせてくれ! こんなこともあろうかとプラスチック爆薬の改良版と遠隔爆破装置を……」

「シートベルト」


 わかりやすくしょげた様子でベルトを締めるエルの姿に、らしくもなく仏心がわいてしまい、レックスは「ま」と言葉を続けた。


「そっちのほうが手間がはぶけていいかもな。五分でいけるか?」

「まかせてくれ!」


 エルは素早くベルトを外し、ザックを抱えて機体から飛び降りた。ちょっと待ってて、と言いのこし、格納庫の隅へ駆けていく。ほどなくもどってきたエルは、何やら口をもごもごさせていた。


「なに食ってんの」

「プラスチック爆薬の残り。これ甘くてガムみたいだよね」

「……今すぐ吐き出すのと俺に放り出されるの、どっちがいい?」


 わかったよ、とエルは口の中の危険物をべっと機外に吐き出した。レックスが投げてよこしたヘッドセットをつけ、わくわく顔で口をひらく。


「せっかくだから時限式とのハイブリッドにしてみたよ。いまからセットするけど何分あればいい?」

「三十秒てとこかね」

「おや、それっぽっちでいいのかい」

「それより遅いと、警報で駆けつけてきたやつらが巻き添え食うだろ。発進で二十秒、離脱に十秒もありゃ充分だ」


 アイアイサー、と陽気な声にキリキリとかすかな音が重なる。安っぽいキッチンタイマーのようなその音が、突如ぷつりと途切れ、


「あ」


 間の抜けた声が耳に届いた。


「ごめん、十秒でいいかな」

「──っの!」


 後席のエルを罵倒する時間も惜しみ、レックスはコンソールに飛びついた。


「開けろ!」


 インカム越しに指示を飛ばすと眼前の扉が震えた。けたたましい警報とともに、扉が左右に開きはじめる。


「遅い遅い遅い!」

「だから怒鳴らなくても聞こえてるって!」


 じりじりと扉が開く。まるでこちらの焦りを楽しむように、ゆっくりと開いていく扉の向こうに夜が見える。起爆まであと何秒か、気にかけている暇すらない。とにかく早く、コンマ一秒でも早くとレックスはコンソールを操作する。


 エンジン推力最大。アフターバーナー全開。ぶわりと全身の血が沸き立つ。ああ本当に、久しぶりだ、この感覚は。


「行くぞ!」


 ドンッ! と圧倒的な衝撃に肺が、腹が殴られる。エンジンが轟と咆え、暴力的な浮遊感に全身が包まれる。


 半開の扉すれすれに、超短距離滑走型の小型機が躍り出た、その約三秒後──


 ──ドォン!


 さらなる衝撃が背後で轟いた。あおりをくらって急降下しかける機体を、レックスはすんでのところで立て直した。


「……さすが」


 ぱちぱちと、後部座席で緊張感のない拍手が響いた。


「もとエコー。ばっちりじゃあないか」

「……どーも」


 安定した機体を操りながら、レックスは投げやりな声を放った。


 はじめから、格納庫は爆破するつもりだった。離陸してから旋回し、格納庫めがけて機関砲を数発。追っ手の移動手段をつぶすためだ。短い時間稼ぎにしかならないが、やらないよりはいくぶんマシな作戦。


 それを即座に察し、格納庫に爆薬を仕掛けたところまでは、まあ褒めてもやってもいい。問題はそのあとだ。この間抜けなドクターのせいで危うく二人とも黒焦げになりかけたし、そもそも火力が強すぎた。それはもう物凄く。レックスの予想の三倍くらい。


「なあ、ドクター」


 操縦をオートモードに切り替えて、レックスは後部座席を振り返った。


「ほんとにビールねえの?」


 キャノピーの外では無数の星がまたたいている。久々の夜間飛行だ。高揚を冷ますためにアルコールを入れたかったのだが、エルは「ないよ」と首を横にふった。性懲りもなく口をもごつかせながら。


「ガムならあるけど」


 ぷわっと大きなガム風船をふくらませた科学者に、レックスは特大のため息を吐き出した。


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