ep.1 Worst of the Worst
最悪とは、つねに更新されるものである。しかもさらに悪いほうへ。
遠い昔耳にした、あまり出来のよくない格言を思い出しながら胸ポケットをさぐる。指先が煙草の箱に触れたところで「レックス」と苦い声に止められた。
「ここは禁煙だ」
「はあ?」
デスクに両肘をついた巨漢の上司に向かって、レックスはわざとらしく眉を上げた。
「いつの間に規則が変わったんだよ」
「規則は変わってねえ。支部設立当初からウチは全面禁煙だ」
「へえ、初耳」
レックスは胸元から煙草とライターをとりだし、一本くわえて火をつけた。上司がとがめる隙もない、流れるような仕草だった。
「……まあそう焦んなよ、アーニー」
ヤニで黄ばんだ天井に、レックスは煙を吐き出した。
「その視察団とやらが来るのは来月なんだろ。いまからお行儀よくしてたらストレスでハゲるぜ」
「黙れ、若僧」
もとよりスキンヘッドのアーニーは、チョコレート色の額に青筋を立てる。
「もとはと言えばおまえのせいだろうが。採掘班でもないのに余計なもん拾ってきやがって」
「ありゃあんたも喜んでただろうが。新種の鉱物じゃねえかって」
「本部のおえらいさんが乗りこんでくるレベルのものだとは思ってなかったんだよ、あんときは」
最悪だ、とアーニーは吐き捨てた。
最悪だ、クソッタレ。
惑星アルマティ。地球から約三千光年離れた辺境惑星。そこに乱立する資源採掘会社のひとつ、マクニール社アルマティ支部が、レックスの職場だった。
レックス・レイノルズ。年齢は二十八。赤茶の頭髪に、やはり赤みがかった紫の瞳。無駄なく引き締まった長身と、そこそこ整った容貌の持ち主だが、猫背気味の姿勢とどこか気だるげな──アーニーいわく「やる気のなさが全身から伝わってくる」雰囲気のせいか、他人はあまりその容姿のよさに気づかない。
「そんないいもん見つけてやった俺にボーナスとかないのかよ」
「ぬかせ。むしろ減給覚悟しな。あいつら、視察のついでに監査までやるなんて言い出しやがった。これから帳簿のつじつま合わせにどれだけ時間がかかると思ってんだ」
「やっぱごまかしてたんか、あんた」
これは次の就職先を探しておいたほうがいいかもしれない。そんな最悪の可能性を、レックスは胸のうちで転がした。おそらく後ろ暗いところがありすぎる支部の未来は、なかなかに危うそうだった。
支部長のアーニーを悩ませている事の起こりは三か月前。レックスが採掘現場で拾った鉱石がきっかけだ。
いつものように現場の警備にあたっていたレックスは、足元に転がっていた小石に目をひかれ、なにげなく拾い上げた。手の中にすっぽりおさまるその石の、ごつごつした黒い表面には一筋の緑が輝いていた。
宝石だったらもうけもの。そんな軽い気持ちでレックスは石を持ちかえり、社内の鑑別班にまわしたところ、新種の鉱物ではないかという騒ぎになった。それから、あれよあれよという間に石はレックスから取り上げられ、遠い地球の本社へ送られたというわけだった。
「そういうわけで、おまえら警備部隊は今日から清掃部隊だ。ひと月くれてやるから、その間に社のすみずみまで磨き上げろ。本社のお偉方がなめられるくらい、ぴっかぴかにな」
「ふざけんな。掃除ならあんたの専門だろうが。もと掃除屋のアーニーさんよ」
「そっちはもう足洗ったんだよ。嫌ならかわりにこっちだな。視察団の対応はレックス、おまえにまかせた」
レックスは煙草をくわえた唇をひん曲げた。転がりつづける「最悪」が、底にぶちあたる音が聞こえた気がした。
「最初からそっちが目的かよ」
視察団の対応、つまりはお守り。すかしたスーツ姿の集団を想像して、レックスは喉の奥でうなった。
「何名様だよ、そのご一行は」
「五人だな。本社から三人、外部から二人」
「外部?」
「本社が鉱石の調査を依頼した学者さまだってよ。到着は一か月後だ。現場の安全確認は念入りにな。連中が怪我でもしたら面倒だ。護衛の選出はまかせるが、なるべく上品そうなのを前に出しとけよ」
「そいつは無理な注文ってもんだ」
とくに最後のやつが、とレックスがせせら笑ったときだった。ビィーッ! とけたたましい警報が響きわたった。
レックスは腰からブラスターを引き抜き、扉の脇に身をよせた。
「レックス!」
「そこにいろ、アーニー!」
デスクの下に隠れた上司に鋭い指示を出す。
警報は、侵入者を知らせる合図だ。社屋のセキュリティが強制的に切断された音。
上品な地球とちがって、辺境の惑星はそれなりに野蛮で危険で遠慮がない。資源採掘会社の間では採掘権をめぐる武力衝突もしょっちゅうで、ゆえに各社は自前で武装組織をかかえている。おもてむきは警備担当と称しているが、その実態はといえば、アルマティに住む者ならローティーンでも知っている。
壁にぴたりと身をよせて、レックスは耳をすませた。
とぎすませた聴覚が、かすかな足音をとらえる。扉の向こうから近づいてくるそれは一人分。
レックスは静かに呼吸をととのえた。引き金にかけた指先に力をこめる。足音が止まる。扉が勢いよくスライドし──
「──やあ、はじめまして!」
ほがらかな声がはじけた。
「アポなしの訪問で失礼するよ! こちら支部長室で合ってるかな……と、これはまた」
部屋に飛びこんできたその青年は、ぱちぱちとまばたきをした。
「てあつい歓迎だね。アーニー・ベイル支部長はどちらかな。僕は……」
「黙んな」
ブラスターを構えたまま、レックスは青年の言葉をさえぎった。
「両手をあげて床にひざをつけ」
銃口を前に首をかしげた青年の、年は二十歳前後か。さらりとゆれる金髪と、すきとおった緑の瞳。それがレックスの顔を映し──
「きみか!」
「──っぶねえな、あんた!」
次の瞬間、青年はレックスに飛びついてきた。
「会えて嬉しいよ、僕のアレキサンドライト! きみが見つけてくれたんだろう? ああ、どんなに感謝しても足りないよ! ありがとう! 本当にありがとう! きみがいなかったら僕たちは……」
「わかったわかった、とりあえず離れな」
感謝の言葉をまくしたてる青年の手を引っぺがし、レックスはブラスターを腰におさめた。
「いちおう確認するけど、セキュリティ切ったの、おたく?」
「セキュリティ? ああ、あのエレメンタリーの工作もどきのことかい? 切ったよ。モスキートみたいにうっとおしかったからね。部外者が口を出して悪いけど、あのできそこないは即刻ダストシュートにぶちこむべきだね! もう僕がやっておいてあげたけど。よかったら代わりのシステムを構築してあげようか?」
「……だ、そうだぜ。どうする、ボス」
「その話はあとで聞かせてもらうとして」
ゆらりと立ち上がったアーニーが、鬼の形相で侵入者をにらみつける。
「まずは自己紹介が先じゃねえのか?」
「それはもちろん。そこの彼に邪魔されなければとっくにしていたよ! あらためて、はじめまして。僕はエル」
緑の瞳がきらめく。数か月前に拾い上げた、未知の鉱石によく似た輝き。
「マクニール本社から依頼を受けた鉱物学者だ。さあ、前置きはこのへんにして、さっそく案内してくれたまえ! きみが見つけたあの石のありかへ!」
転がりおちた最悪が、底をぶち抜く音がした。




