第6話 【スイリア視点】お互いの観察
朝日が診療所の窓から差し込み、薬草棚をオレンジ色に染め上げていく。
私はすでに起きて旅の準備を始めていた。
解毒剤、包帯、軟膏類——これから山へ向かう旅には、医師として万全の備えが必要だ。
ふと、診療所のドアがゆっくりと開く音が聞こえてきた。
「おはようございます。芦名です」
彼の声には不思議な安心感がある。まるで長年の訓練で鍛え上げられた、静かな強さを感じさせる。
「お入りくださいませ~」
私は振り返って微笑みかけた。
芦名殿は昨日と同じ軍服のような衣装で現れた。
「おはようございます、芦名殿。さあ、お座りになってください。ハーブティーはいかがでしょうか?」
彼は周囲を見回してから腰を下ろした。
「そうだな、せっかくだしいただこうか」
私はキッチンへ向かい、特製のハーブティーを淹れ始めた。
戻ってくると、芦名殿が診療所の内装を熱心に観察している様子が目に入った。棚の書物、壁の絵画——彼の鋭い目は何も見逃さない。
「やはり、ただの村の医師ではないな……」
彼の小さな呟きが聞こえて、思わず口元に笑みがこぼれた。鋭い観察眼をお持ちですね、芦名殿。この診療所の調度品の中には、確かに辺境の村医者が持つにしては高価すぎるものがいくつかある。
お盆にハーブティーと朝食を載せて戻ると、彼の視線が私に向けられた。
「どうぞ、お召し上がりくださいませ」
「ありがとう」
彼がパンに手を伸ばそうとした瞬間、私は思わず声をかけてしまった。
「部屋をずいぶん熱心にご覧になっていたようですわね、何かお気づきになられましたか?」
その言葉に、芦名殿の体が一瞬硬直した。隠し事のある人特有の反応——私にはよくわかります。
毎日のように患者を診る医師として、人の微細な表情の変化を読み取ることには慣れているのですから。
「あいや、すまん、わかってしまったか」
後頭部をぼりぼりと掻きながらのごまかし笑い。普段は厳しい表情の彼のそんな仕草が、不思議と可愛らしく見えた。
「構いませんわ。私、精霊様のおかげで自分の近くのものはある程度見なくとも感じることができるのです。もちろん、目よりは正確ではございませんけれど、なんとなくの雰囲気はわかるのですわ」
これは嘘ではありません。ハーフエルフの血を引く私には、精霊と交流する能力があるのです。森の小さな精霊たちは、しばしば私の周りを舞い、様々な情報を伝えてくれる。
「精霊? これが異世界の力というものか……」
"異世界"? その言葉に、私の心は強く反応した。やはり彼は——
私が彼を観察していると、彼も同じように私を見つめ返していることに気づいた。
特に私の尖った耳に視線が集中している。
「あらあら、今度は私をご覧になっているのですね。どうぞ、存分にご覧くださいませ」
からかうような私の声に、芦名殿の頬が赤く染まった。こんな反応をする大人の男性は珍しい。
「あ、いや、失礼した。つい何でも分析してしまう性格でね。気を悪くしないでほしい」
私は笑みを深め、銀紫色の髪をかき上げて、自分の尖った耳をわざと見せるように動かした。
「この耳、気になりましたでしょう? そうですわよね、ハーフエルフは珍しいのですもの。外では耳を隠す魔法を使っておりますので、普段はお見せしておりませんわ。今朝はうっかりしておりましたの」
いたずらっぽく舌を出してみせると、彼の堅い表情が少し和らいだように見えた。
「ハーフエルフとは、なんだ?」
彼の素直な疑問に、私は丁寧に答えた。
「ハーフエルフというのは、エルフの親と人間の親から生まれたハーフでございますわ。私の場合は、父が人間、母がエルフなのですの。エルフは基本的に人間とかかわりをあまり持たず、森の奥で暮らしていることが多いので、ハーフエルフも必然的に珍しいというわけでございますわ」
私の説明に、芦名殿は真剣な表情で頷いていた。
「なるほどな、この世界はわからないことだらけだな」
再び"この世界"という言葉。私の胸の中で確信が強まる。
「この世界ではとはどういう意味でしょうか?」
私の問いかけに、彼の表情が一瞬凍りついた。明らかに言葉の選択を誤ったという顔だ。
もしかして彼は別の世界から——
そんな推測を確かめようとした矢先、玄関ドアが大きな音を立てて開いた。
「おはようございます! スイリア様!」
ミアの明るい声が響き渡る。いつも通り元気よく小走りでやってくる彼女の姿に、心が和んだ。獣人族のミアは私の弟子でありメイドであり、何より大切な友人だ。
彼女は居間に飛び込んできたが、芦名殿の存在に気づいた瞬間、その表情が一変した。
「ぴっ!」
鋭い悲鳴と共に猫のように素早く後退し、ドアの陰に隠れる。「フーッ!!」と威嚇するその姿に、思わず笑いをこらえるのに苦労した。
芦名殿の呆気にとられた表情といったら! きっと獣人など見たことがないのでしょう。
「ミア、こちらは旅のお方で芦名殿という方よ。連れの方が病気になられたので、うちに泊まってもらっているの。不審者じゃないから大丈夫よ」
私の説明に、ミアは少しずつ部屋に戻ってきたものの、その猫耳はまだぴくぴくと警戒している。
「そ、そうなのですか。これは失礼いたしました」
彼女は丁寧に頭を下げた。
「こちらでメイド兼医者見習いをさせていただいておりますミアと申します」
「芦名定道だ。よろしく頼む」
二人の間に漂う緊張感を和らげるため、私は話題を変えることにした。
「さて、ミアも来たことだし、出かける準備をしましょうか」
窓際に歩み寄り、カーテンを開けると、朝の清々しい光と空気が部屋に流れ込んできた。
「ミア、こちらに患者さんがいるのだけど、ちょっと私はこの芦名殿と出かける用事があるから、看病と留守番をお願いね」
その言葉を聞いたミアの耳が驚いたように立ち上がった。
「えっ、その輩…ゴホンゴホン、芦名様とお出かけになるのですか? 一体どういう用事で…? 危険です!!」
「輩」と言いかけてすぐに言い直すミアの様子に、芦名殿が小さく苦笑しているのが見えた。獣人特有の警戒心は時に過剰なこともあるのです。
私は昨晩のいきさつを丁寧に説明した。
アカブトマガスによる少女の中毒と、治療に必要な特別な水のこと。芦名殿が護衛として同行することも。
説明を聞くうちに、ミアの表情に心配の色が濃くなっていく。彼女の尻尾がゆっくりと左右に揺れ始めた——これは彼女が不安を感じているときの仕草だ。
「そ、それならば、私に命じてくだされば、わざわざスイリア様が御自ら行くことはないのではないでしょうか」
彼女の声が震えている。
「スイリア様にもしものことがあったら私は…」
ミアの心配そうな瞳に、温かいものが胸に広がる。彼女の忠誠心と純粋な愛情に、いつも心を打たれるのです。
私は彼女の頭を優しく撫でた。
「いいえ、今回の件は私が自らあたります。なぜなら、私にはこの地域一帯を安全に守る義務があるからです」
それは、第三王女である私の責任なのです。たとえ王都から離れていても、この土地の人々は私の民。彼らを守ることが、私の使命なのだから。
「それに、精霊魔法も定期的に使っていないとだんだん精霊たちが離れていってしまってよくないですしね。大丈夫、私の強さは貴女もよく知っているでしょう?」
ミアはしばらく逡巡していたが、最終的には納得してくれた。
「わかりました。では、患者様とこの診療所の留守はお任せください」
そう約束した後、彼女は私の耳元で小声で囁いた。
「スイリア様、くれぐれもご油断なきよう。どうしてもだめな場合は、お父上にご報告の上、王都から軍勢も呼びますからね」
彼女の過剰な心配に、私は微笑まずにはいられなかった。
「もう、ミアは心配性なんだから。大丈夫、そんなに大事にはならないわ。この芦名殿も結構強いみたいだから、心配ないわ」
「どうしてこの男が強いとわかるのですか? 確かに顔はいかついので、強そうには見えますが…」
私は小さく笑った。実は昨夜、小さな森の精霊に彼の部屋を見てきてもらったのです。彼から感じる気配は、単なる旅人のものではない——戦いに慣れた者の、静かで力強いオーラを纏っていた。
「大丈夫、その辺は昨日の夜に精霊を通して色々と調べたから抜かりないわ」
ミアは渋々納得し、今度は芦名殿の前に立って言った。
「芦名様、スイリア様をくれぐれもよろしくお願いいたします。こんな上品に見えて、意外と無茶したりもするので、どうか守ってあげてくださいませ」
その言葉には「もし何かあったら許さないわよ」という無言の圧力がこめられている。彼女の私への深い愛情の証なのです。
芦名殿はそれを真摯に受け止め、深く頭を下げた。
「わかった。こちらも連れが厄介になるが、我々が帰るまで看護をよろしく頼む」
その礼儀正しい応答に、ミアの耳がリラックスして下がるのが見えた。緊張がほぐれたようです。
「それじゃ、作戦会議でもしましょうか」
私は本棚から古い地図を取り出し、テーブルに広げた。陽の光に照らされた羊皮紙の上に、これから向かう山々の姿が浮かび上がる。
芦名殿の目が瞬時に地図を理解していく——それは軍人のような鋭さだった。
この男性は決して普通の旅人ではない。
彼の正体、そして彼が連れてきた少女のことも含めて、これから少しずつ探っていく必要がありそうです。
私は内心で小さく笑みを浮かべた。久しぶりの冒険に、心が高鳴っているのを感じたのです。
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