第5話 【スイリア視点】銀紫の瞳に映る異邦人
私の名前はスイリア・ホルシーナ。ノースアイヴェリアの王女だ。
今は理由があって一介の医師としてタジマティアの街で診療所を営んでいる。
今日はタジマティア豊穣祭の日だ。
私の住むタジマティアの街も、いつもより活気にあふれていた。
私も午前中の診療が終わったら祭りにでも行ってみようかしらと外の賑わいに耳を傾けながら、
仕事にいそしんだ。
だが、心配事が一つあった。それが、昨今村々を荒らしまわるアカブトマガスという魔物の存在だ。
せっかくの祭りの時ぐらい、大人しくしていてほしいものだけれど……。
「精霊様、今日一日の無事をお守りください……」
窓から差し込む朝日に祈りを捧げ、足早に診療所の奥へと向かう。
患者たちへの薬を調合するため、集めた薬草の整理をしなければならない。何気なく窓の外を見ると、土煙が立ち、人々が何かに追われるように走り回っていた。
「また魔物が?」
思わず呟いた私の声は、空っぽの診療所に吸い込まれてしまう。
そう、私はここで一人医師として生きている。本来であれば王城で優雅に暮らすべき第三王女が、なぜこんな辺境の村で――。
考えるのをやめて、私は薬棚に向かった。
薬効の高い、紫色のガラーティア草を使って煎じ薬を作り始める。この薬は急性の炎症に効く特効薬だ。
私の手がふと止まる。村の騒ぎが、少し近づいてきたような……。
診察室の窓から目を凝らすと、村のはずれで一人の男性が何かを抱えて立っている姿が見えた。
「お怪我でしょうか……?」
医師として放っておくわけにはいかない。私は白衣の上から肩掛けを羽織り、診療所を出た。
近づいてみると、男性が抱えていたのは若い女性だった。
顔は紅潮し、明らかに高熱を出している。
男性のほうは――。
不思議な衣装をした、精悍な顔立ちの青年だ。
見た目は二十代後半といったところだろうか。瞳の奥に何かを秘めているような、不思議な雰囲気を漂わせている。
「そこの方、大丈夫ですか?」
声をかけると、男性は一瞬驚いたような表情を見せた。
「ああ……」
彼の言葉に少し詰まりがあったことに、私は小さな違和感を覚えた。
「先ほどの怪物にこの娘が毒のようなものをくらってしまい、動けなくなってしまった。どこか休める場所を知らないだろうか」
彼の言葉を聞いて、私は表情を引き締めた。アカブトマガスの毒か。なんて危険な。
「それは大変です」
私は素早く少女の状態を確認した。肌の赤みと熱感、不規則な呼吸。典型的な魔物の毒による症状だ。
「ひとまず、うちの診療所に来てください。こう見えて私、医者をやっているんです。案内しますので、早く」
男性の表情が少し和らいだことに、なぜか安心感を覚えた。
「恩に着る。申し訳ないが、よろしく頼む」
彼は少女を抱き上げた。その仕草には無駄がなく、何か訓練されたような印象を受ける。私は彼の背中を見ながら、小さく呟いた。
「ふむ、あなたはいったい……」
でも、そんな疑問は後回しだ。
今は目の前の患者を救うことが先決。私は足早に診療所へと彼らを案内した。
診療所に着くと、私はすぐに処置室に少女を運び入れた。
「待合室でお待ちください。処置をしてきます」
男性を待合室に残し、私は手早く少女の診察を始めた。
額に手を当てると、異常な高熱を感じる。脈拍は速く、不規則だ。私は彼女の皮膚に軽く触れ、精霊魔法を使って体内の状態を調べた。
「生命の共鳴」
微かな光が私の指先から彼女の体内へと流れ込む。これはハーフエルフとしての特殊能力だ。触れるだけで患者の内部の状態がわかる。
すると――少女の体内で暴れる赤黒い魔力が見えた。
アカブトマガスの毒が体内を巡っている。しかも、それだけではない。
少女の体には元々、赤い食べ物に対する異常な反応があるようだ。トマトか何かのアレルギーがあるのかもしれない。
「これは想定以上に深刻ね……」
私は処置室の棚から、解毒用の薬草を取り出した。
冷水でパップを作り、彼女の額と首筋に当てる。それから薄い解毒薬を少しずつ飲ませた。
症状は少し和らいだが、完全に毒を中和するには特別な水が必要だ。天狗の冷泉と冷湖の霊泉……。
少女に対する応急処置を終えて、男性を処置室に呼び入れた。
「先生、このお嬢さんはどうなったのでしょうか」
彼の口調は丁寧だが、どこか古風な印象を受ける。
私はしばらくカルテに記入していたが、ふと顔を上げて答えた。
「どうやら、この方はトマトに対して過剰に反応する体質を持っているようです。加えて、先ほどの怪物——アカブトマガスと呼ばれるものですが——から受けた毒が体内に回ってしまったようです」
私は表情を引き締めて続けた。
「このままではまずいかもしれません」
男性の顔から血の気が引いていくのがわかった。
「そ、そんな……」
少女を心配する彼の様子に、何か温かいものを感じる。この二人はどういう関係なのだろう?
「失礼ですが、娘さんでしょうか?」
私の質問に、彼は少し考え込んだようだった。何かを隠しているのだろうか?
「いや……実は、私とこのお嬢さんとは血縁関係はない。誤解のないように言っておくが、みだらな関係でもない」
彼の話し方に、私は思わず微笑んだ。そんなに慌てて弁解しなくても。
「偶然この近くで出会い、一緒にいたところ、怪物に襲われてしまったというわけだ」
私は彼と少女を交互に見比べた。
確かに、二人の間に血縁関係があるようには見えない。
しかし、ただの他人同士にしては、彼の少女への心配りは大きい。何か事情がありそうだ。
「そうだったのですね」
私は穏やかに微笑んだ。
「何か事情があるようですね。わかりました」
よそ者に詮索されることを嫌がっているのは明らかだった。私はそれ以上追及せず、本題に入った。
「この方を救う方法はあるのですが、私一人ではとてもできないんです。どうか手伝っていただけないでしょうか」
「それは何だ?」
彼の質問に、私は窓の外を見つめながら答えた。
「この町の隣にショワルの村というところがあります。そこの山奥に、二つの湧水があるんです——天狗の冷泉と冷湖の霊泉」
彼は「天狗」という言葉に眉をひそめたような気がした。不思議な反応だ。
「天狗の冷泉には、怪物を退治する強い力がみなぎるといい、冷湖の霊泉には、解毒作用のある水が湧き出ています」
私は少し寂しげな気持ちで続けた。
「本来なら定期的に採取してストックしておくべきなのですが、最近はあのような怪物が山を跋扈し、村を襲うようになって……一人では行くことができなくなってしまいました」
自分の怠慢が招いた事態に、後悔の念が湧き上がる。もし定期的に水を取りに行っていれば、今すぐにでも少女を治療できたのに。
「もし可能であれば、一緒に来ていただけないでしょうか」
私の提案に、彼は一瞬の迷いもなく答えた。
「もちろん、いいとも」
その即答に、私は心から安堵した。彼の真摯な目には、嘘がないように思えた。
「ついでにあの怪物を倒しに行くこともできれば、より万全だな」
彼の言葉に、私は思わず微笑んだ。心強い言葉だ。
「ありがとうございます!」
そういえば、まだ自己紹介もしていなかった。私は少し恥ずかしげに付け加えた。
「そういえば、申し遅れました。私はスイリアと申します。ここで医者をやっています」
「俺は芦名定道だ。芦名と呼んでくれ」
芦名……変わった名前だ。この地方ではあまり聞かない響きだ。でも、彼の様子や言葉遣いからすると、遠い国から来た旅人なのかもしれない。
「では芦名殿、今日はもう遅いですから、ここに泊まっていってください。水の採取は明日にしましょう」
私は立ち上がりながら説明した。
「隣に離れがありますから、後で案内します。必要なものがあれば遠慮なくおっしゃってくださいね」
彼は少し気になったことがあるらしく、質問してきた。
「町はずれのここで一人暮らしなのか? それはそれで不用心ではないか?」
その質問に、私はくすりと笑った。心配してくれる彼の気遣いが嬉しい。
「ご心配なく」
私は右手の手のひらを見せながら言った。
「これでも私は精霊魔法の使い手なので、狼や人間の盗賊くらいなら敵いませんよ」
そう言って、私は少しばかり自慢げにウィンクした。手のひらに緑色の光を集め、小さな星屑のように渦を巻かせる。彼の目が驚きに見開かれた。
「そうか……それは頼もしいな」
彼の声には感心の色が混ざっていた。
「いや、俺のような男をやすやすと泊まらせるのは大丈夫なのかと思ってね。余計な心配だったようだ」
その言葉に、私は優しく微笑んだ。心配してくれるなんて、紳士的な人だ。
「先ほどから貴方の所作を見ていましたが、変なことをするような方には見えませんでした」
私はまっすぐに彼の目を見て続けた。
「それに、あのお嬢さんを救うために躊躇なく行動なさる様子を見て、貴方を信用しても大丈夫だと判断したんです。私も、変な人を泊めたりはしませんから」
彼はどこか照れくさそうに目を逸らした。
「そうか……」
頭を掻きながらの彼の姿に、思わず笑みがこぼれそうになった。
「では、明日は世話になる。よろしく頼む」
私は頷き、彼を離れに案内した後、少女の容態を見守るべく処置室に戻った。
窓の外では、夕焼けが深まり、遠くの山々が黒い影になっていた。
明日はどんな日になるのだろう。
この謎めいた旅人と共に山へ向かう旅に、私は少し期待を抱いていた。
お読みいただき、誠にありがとうございます!
皆さんの応援が私の創作の原動力となっています。
少しでも楽しんでいただけたなら、ブックマークや感想、評価ポイントなどをいただけると大変嬉しいです。
「良かった」「このキャラクターの言動が印象的だった」など、ほんの一言でも構いません。
読者の皆さんの声を聞くことで、より良い物語を紡いでいけると思っています。
よろしくお願いいたします。