第2話 【陽菜視点】狼の群れと軍人の剣 ─ 思いがけない出会い
闇に紛れた森で、赤い眼が六つ揺れていた。
低い唸り声が空気を震わせる。狼たちの牙が月明かりに白く輝いている。
私は恐怖で声が出なかった。
軍服姿の男性が私の前に立ちはだかっていた。
狼たちは私と彼を完全に包囲していた。
さっき一頭を倒したけれど、残りの群れは簡単に引き下がろうとしない。むしろ怒りに満ちた眼差しが、より鋭く私たちを射抜いていた。
「動くな。抵抗すれば一斉に狙われる」
男性の低い声に、私は震える頭でこくりと頷いた。
森の空気が一気に張り詰め、自分の心臓の鼓動が耳元でうるさいほど響く。葉のこすれる音さえも遠くから聞こえてくるよう。
軍服の男性の姿勢はぴんと伸び、肩から背中のラインが一直線。凍るような漆黒の瞳は一瞬も敵から離れない。夜光を弾く軍帽の庇の下から覗く表情には、恐怖の欠片もない。
何よりそこに立つだけで放つ威圧感に、思わず息を呑んだ。
狼たちは私たちを囲むように位置を変え、まるで作戦を立てているよう。普通の動物じゃないみたい…もしかして魔物?
周りの音が消えていくような緊張感。私の速い心拍が狼にも聞こえるんじゃないかって思うくらい。
突然、狼たちが一斉に襲いかかってきた!
「危ない!!」
男性の声に、私は頭が真っ白になって叫んだ。
「おらおらーっ! あたしのほうがうめぇぞー! 高級黒毛和牛級のピチピチのJKじゃい!!」
……え? 私、何言ってるの⁉︎とっさに叫んだせいで、変なこと言っちゃってる!!
でも不思議と狼たちが一瞬固まった。
「今だ!」
彼はその隙を見逃さず、リーダー格の狼に向かって飛びかかった!
まず大きく踏み込み、浮き上がるように身体を捻る。その動きは、人間とは思えないほどの速さ。
「はああっ!」
上段から一閃する刀が、狼の頭上から斜めに肉を断つ。キィン!という鋭い金属音と共に、狼の身体が大きく仰け反る。
そのまま流れるように返す刀で、後ろから襲いかかろうとしていた二頭目にも一撃。二の太刀があまりに素早く、私の目には残像しか捉えられなかった。
驚いたことに、倒れた狼の身体からは血が出ない。代わりに黒い煙のような物質が立ち上り、死骸ごと闇へ溶けるように消えていった。
「あれって…魔物の負のエネルギーなのかな…」
思わず呟いてしまった。まるでゲームのボスを倒したときのエフェクトみたい。
リーダーを失った残りの狼たちは、キャンキャンと怯えた声を上げながら一目散に森の奥へと逃げ去った。
突然の静寂が訪れ、私はようやく息をついた。緊張から解放された身体が、どっと疲れを感じる。
「大丈夫か? どこか怪我はないか?」
男性が優しい声で話しかけてきた。さっきまでの鋭い眼差しが嘘のように、今は穏やかな表情。
「は、はい、だ、大丈夫です……ありがとうございます……」
震える声で返事をしながら、笑顔を作ろうとするけど涙が止まらない。
「それにしても、さっきの叫び声、とっさの機転だったな。おかげで勝機を掴めた」
彼が私の背中をそっと撫でる。
「あ、あはは……なんか、とっさに思いついちゃって」
もう顔から火が出そう。あんな恥ずかしい台詞、一生忘れられないよ…。
「俺は芦名定道だ。君は?」
初めて名乗る彼の姿に、月光が優しく降り注いでいた。刀を収めた今の彼は、さっきまでとは打って変わって穏やかな雰囲気。でも背筋はまっすぐで、軍人らしい凛とした佇まいは健在。
「天音陽菜です! 助けてくれてあんがとなし!」
地元の会津弁が思わず出てしまった。でも彼は気にせず、安心したように微笑んだ。
「やっぱりけがをしているのではないか?」
彼の声に我に返り、自分の足を見下ろした。
「さっき狼に噛まれたんですけど、傷がなくなってて……」
確かに痛かったのに、傷跡すらない!
「確かにおかしな話だな。突然この不思議な世界に放り込まれ、奇妙な獣に襲われ、傷まで瞬時に消える……」
芦名さんは小さく息を吐いた。「まるで夢の中の出来事のようだ」
本当にそう。でも、あまりにリアルすぎる。
芦名さんがじっと私を観察している。初めて近くで見ると、目鼻立ちがはっきりした整った顔立ち。20代後半くらい? でも瞳の奥には、もっと年を取った人のような深みがある。
「お嬢さんは日本人か?」
「はい、日本人です」
丁寧に答えると、彼の視線が私の髪に向けられた。
「日本人という割には髪色が欧米人のようだし、もしかして混血なのか?」
「混血って……。純粋な日本人ですよ! 髪はオシャレで染めてるだけです」
髪を染めることに驚く彼を見て、ふと思った。もしかして彼、本当に昔の人なの…?
「そうだったのか。綺麗な髪だから地毛かと思ったんだが……」
突然の褒め言葉に頬が熱くなる。話題を変えようと彼の軍服に視線を移した。
「でも、その軍人コスプレって、今どき流行ってないですよ」
「『コスプレ』とは何だ?」
え? コスプレも知らないの?
「『コスプレ』って仮装や変装みたいなことです。好きなキャラや職業の格好をして楽しむっていうか……」
「なるほど。最近の若者言葉はよくわからんな。ちなみにこれは正式な帝国海軍の軍服だが、君はこれを見たことがないのか?」
帝国海軍? ちょっと待って…。
「見たことないです。それに日本の海軍って、ずいぶん前に解散しましたし」
その瞬間、彼の顔から血の気が引いた。手が小刻みに震え始め、声も微かに裏返る。
「帝国海軍が解散しただと? 一体どういうことだ……?」
目を見開いたまま、どこか遠くを見るような視線。彼の反応があまりにも異様で、少し怖くなった。
「本当に知らないんですか? 小学校で習いますよね? 日本は戦争に負けて…」
言いかけて、彼の表情の変化に気づいた。すごく苦しそう。
歴史で習った通り、当時の日本人にとって敗戦は想像すらできない衝撃だったんだ。私は言葉を選びながら続けた。
「日本は戦争後、軍隊を持たない平和国家になったんです」
芦名さんの目が揺れる。唇が震えて、言葉に詰まっている。
「君、そう簡単に、負けるなどと言ってはいけないぞ」
声を震わせながら言った彼に、私はそっと一歩近づいた。
「特高や憲兵にしょっ引かれる…」
特高って特別高等警察、当時の思想取締を行う秘密警察だったよね。教科書で読んだことがある。
「特高って特別高等警察ですよね? 憲兵も今の日本にはいないし……いったいいつの時代の話をしてるんですか?」
「昭和十八年だが……」
え? マジで?
「昭和十八年って……1943年!? 80年以上前ですよね? まさか、過去から来たってことですか?」
頭の中がパニック。時空を超えてる⁉︎
芦名さんは膝から崩れるように地面に座り込んだ。肩が小刻みに震えている。
「逆に君はいつの時代の人間なのだ?」
「令和……って言っても分かりませんよね? 2025年です」
その数字を聞いた瞬間、彼の顔からあらゆる色が失われた。
「に、にせん……にじゅう……?」
彼は耳を疑うように目を閉じ、背筋を伸ばして呼吸を整えようとしている。
距離をとるべきか、それとも慰めるべきか迷いながら、私はゆっくりと彼の隣に膝をついた。
「そちらの時代から見れば、江戸時代みたいな感覚ですよね。80年って長い時間です」
彼は混乱しながらも冷静さを取り戻そうとしていた。でも、次の質問は避けられなかった。
「では君が言った、日本が戦争に負けたという話も本当なのか?」
私は静かに頷いた。
「日本は1945年に連合国に無条件降伏しました」
その言葉で彼は青ざめ、胸を押さえて目を伏せた。まるで激痛に襲われたように。
「ちょっと、大丈夫ですか?」
心配になって、思わず手を伸ばす。
「すまない……少し動揺してしまった」
彼は何度も深呼吸して、落ち着かせようとしていた。私も言い方が突然すぎたかと申し訳なくなる。
「私のほうこそ無神経でした。終戦の様子、写真でしか見たことないから…」
彼の目には涙が浮かんでいた。その痛みを想像もできなくて、言葉が見つからない。
「降伏後、日本はどうなったんだ? 欧米の植民地にでもなったのか?」
恐る恐る尋ねる彼の瞳は、祖国を思う気持ちで揺れていた。
「一時期は占領されましたが、すぐに独立を取り戻し、今では経済大国になりました。日本は存続していますよ」
その言葉に、彼の表情が少しだけ和らいだ。
「それを聞いて安心した……」
彼が涙を堪えながら続けた。「部下たちの犠牲が無駄ではなかったと聞けて、良かった……」
静かに流れる一筋の涙に、私の胸が締め付けられた。歴史の教科書では語られない、実際に戦争を生きた人の苦しみを、今初めて目の当たりにしている気がした。
「ちょっと、泣かないでください…」
慌ててハンカチを取り出し、「使ってください」と差し出した。
彼がハンカチで目頭を押さえた瞬間—
突然、私たちの間に光が瞬き、窓のような四角い形になった。そこには…星型の顔に小さな翼を持つ、まるで絵文字から飛び出してきたような奇妙な生き物が映っていた!
「はいっ、いい雰囲気のところすみません~」
この突然の訪問者は一体何者なのか?
芦名さんは反射的に私を守るように立ち、異世界での新たな謎が始まろうとしていた…。
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