第15話 【スイリア視点】距離を縮めて——心の本音——
「でも、先ほどはだめだっただろう」
将軍の指摘に、芦名殿は次の一手を繰り出した。
「もちろん、最初に申し上げた通り、基本は命の保全を第一優先とします。実は先ほどは、逃げるという選択があることを失念しておりました。従って、こちらの攻撃により相手が怯んだすきをついて逃げ出すことにいたします」
息をつく暇も与えず、彼は続けた。
「更に、スイリア姫には、空を飛ぶ能力があります。これで、上空まで上がり、一気に加速すれば、この森林地帯ですから、地上から追いつくことは不可能でしょう」
そうだったのか! 私の飛行能力を考慮に入れていたなんて。芦名殿はあらゆる角度から状況を分析していたのだ。
「もちろん、私も姫の安全に対し責任をもって臨む覚悟です。あとは姫君様のご意志次第ですが、姫君はいかがでしょうか?」
彼の熱意のこもった言葉に、私の決意も固まった。エドワード将軍に王都へ連れ戻されるよりも、芦名殿と共に旅を続けたい——そう思った。
「はい、私もこの芦名殿と一緒に旅をしたいと考えております。それに、先ほどの戦いで相手の特性はある程度わかりました。今度は決して後れを取りません」
私は深い決意を秘めた目でエドワード将軍をまっすぐ見つめた。
「しかしなぁ……」
将軍の表情がわずかに和らいだ。芦名殿はさらに驚くべき言葉を口にした。
「それに、実は私の魔法には、自分を犠牲にして、相手を安全地帯まで送り届ける能力があります。なので、もしもの時は私が盾となり、姫様をお守りいたします。なので、どうか、お許し願えませんでしょうか」
そう言って、将軍の前で深くひざまずいた彼の姿に、胸が締め付けられるような感情が沸き起こった。
そんな危険な魔法なんて使わないで——そう言いたかったが、彼の決意に満ちた背中を見て、言葉を飲み込んだ。
「ううむ、なるほど、貴殿にはそんな秘術を使えるのだな。その言葉、確かに聞き置いたぞ。もし、どうしても姫君を助けられない可能性もあるわけだが、この事についてはどう反駁するか?」
「そんな時はありません、なぜなら、姫の大事の時は私の命を代わりに差し出す契約を先ほど精霊と結んだからです」
彼の言葉に、私は思わず彼を見つめた。それは嘘だ——精霊との契約は簡単に結べるものではないのに。
だが、エドワード将軍は納得したように頷いた。
「うむ、私には精霊との契約をみられる能力があるので、確認したが、確かなようだ。そこまで言うのならば、姫の命も担保されていることだし、許可しよう。まさかそこまで姫の安全を第一に考えているとは思ってもみなかった。色々と反駁して悪かった。許したまえ」
エドワード将軍の表情が一変し、温かな笑みを浮かべた。まさか、私のために芦名殿がここまでするなんて——。感動で胸がいっぱいになった。
「いえ、こちらこそお許しいただき光栄の極みです」
「しかし、貴殿はなかなかの弁舌をお持ちのようだ。今度王都に立ち寄ることがあれば、わしの所に顔を出すとよい。歓待するぞ」
「感謝申し上げます」
「では、芦名殿、姫君をよろしく頼む」
エドワード将軍はそう言い残すと、軍勢を北方向へ進め、去っていった。
私と芦名殿は二人そろって深々と頭を下げ、その行列を見送った。
「芦名殿!」
将軍が見えなくなるや否や、私は彼に駆け寄った。
「先ほどの舌戦はなんですか! 貴方ってすごい弁舌なのですね。驚きました。よくぞあのエドワード将軍を言い負かしましたね。見ていて痛快でした!」
興奮のあまり、いつもより声が高くなっていることに自分でも気づいた。でも、抑えることができなかった。彼の才能に心から感動していたのだ。
「いや、昔取った杵柄でね。学生時代に弁論をやっていたから、自然と議論が得意になってしまった。今となっては、ああ言えばこう言うと、嫌われてしまうがね」
彼は照れくさそうに頬を掻きながら答えた。その仕草がどこか愛らしく感じられた。
「いやいや、でも、頭脳明晰なエドワード将軍をぐうの音も出ないほど論破できた人間は私は見たことがありません。芦名殿は本当にすごいです!」
心からの尊敬の念を込めて言った。
「それに……」
言葉を続けるのに、少し勇気が必要だった。頬が熱くなるのを感じながら、私は伝えた。
「こんなにも私のことを想って下さり、とてもうれしいです…。私、とても感動いたしました。
私、実は、人里にいた頃は、ハーフエルフということで、裏で半端者なんて気味が悪いと言われたことがあって、こんなに私のために言ってくださる人がいてくださり、とてもうれしかったです」
胸の奥に温かいものが広がっていく。あんなに必死に私のことを守ろうとしてくれた人は、今までいなかった。
「あ、いやその、突然思いついたのだ。他意はないから、気にしないでくれ」
彼の言葉に、少し胸が痛んだ。気にしないでと言われても、気にしたい気持ちがあったのだ。
「そうなのですか。……そこは、スイリアのことが大切だからとか言ってほしかったですけど」
思わず本音が漏れた。私の声は蚊の鳴くような小ささだったけれど。
「え? なんだって?」
「なんでもありません! さぁ、さっさと行きますよ!」
恥ずかしさのあまり、つい声を張り上げて先に歩き出した。
頬を両手で覆いたい気持ちをこらえながら、私は早足で進んだ。背中に彼の視線を感じる。どんな表情をしているのだろう? 振り返るのが怖くて、ただひたすら前に進んだ。
「あ、待ってくれ!」
彼の声が後ろから追いかけてきた。でも、まだ振り返れない。
気持ちが落ち着くまで、もう少し時間が必要だった。
「スイリア!」
彼に名前を呼ばれ、思わず立ち止まった。肩が小さく震えているのが自分でもわかる。
「さっきは言葉が足りなかった。本当は……スイリアのことを放っておけなかったんだ」
その言葉に、全身が熱くなるのを感じた。
「嘘でもいいから、そう言ってほしかったです……」
声が震えていた。なぜこんなに感情的になるのか、自分でも理解できない。
「嘘じゃない。本当だ」
彼の声には強い決意が込められていた。心臓が早鐘を打つ。
「エドワードとの舌戦も、王都に行かないようにしたのも、全部スイリアのためだった。スイリアが王都に行くのを嫌がっているように見えたから、何としても彼女を連れて行かれないようにしようと思ったんだ」
それが彼の本音だったのか——。感動のあまり、目に涙が浮かんだ。
「……本当ですか?」
ゆっくりと振り返り、彼の表情を窺う。
「ああ。スイリアの自由を守りたかった」
彼の真摯な瞳に、嘘はなかった。
私の顔に笑顔が広がっていくのがわかった。まるで暖かい光が心の中から溢れ出すような、そんな不思議な感覚だった。
「ありがとうございます……」
たった一言では伝えきれない気持ちだったけれど、それしか言葉が見つからなかった。
芦名殿は私の笑顔を見て、言葉を失ったように立ち尽くしていた。彼の目には、驚きと何か別の感情が映っているようだった。それが何なのか、考えるのは後回しにしよう。今は、この温かな気持ちを大切にしたかった。
「それじゃあ、行きましょうか。この先に泉があります。急がないと、日が暮れてしまいますよ」
彼の腕を軽く引っ張りながら言った。私の指が彼の腕に触れた瞬間、小さな電流が走ったような気がした。
「ああ、そうだな」
彼はそう答え、優しい笑顔を見せてくれた。
私たちは再び天狗の冷泉を目指して歩き始めた。
森の中を歩きながら、私は思った。「きっと、エドワード将軍が現れなければ、芦名殿のこんな一面は見られなかっただろうな」と。
大変な事件だったかもしれないけれど、私にとっては大切な思い出になった。彼との距離が、また一歩近づいたように感じられた。