第12話 【スイリア視点】月夜の秘密——隠されていた想い——
眠れない夜だった。
窓から差し込む月明かりに照らされ、天井を見つめながら、今日あった出来事に思いを馳せる。芦名殿との対面、彼が異世界の人間だという衝撃の事実、そして私自身の正体を明かしてしまったこと……。
胸の内がざわついて、どうしても眠りにつけない。
「少し外の空気を吸おう」
そう決意して、部屋を出た。
廊下を歩いていると、芦名殿の部屋の前で足を止めた。彼はもう眠っているだろうか? いや、無礼だわ。こんな夜更けに訪ねるなんて……。
そう思って通り過ぎようとした瞬間、ドアが開いた。
「誰か?」
芦名殿の落ち着いた声が聞こえた。慌てて振り返ると、彼は窓辺に立っていた。
「芦名殿、まだ起きていらしたのですね」
私は銀紫色の髪をなびかせながら、恥ずかしそうに顔を覗かせた。
夜着姿で廊下をうろついているところを見られるなんて、何て恥ずかしいの……。頬が熱くなるのを感じる。
「こんな時間に起きていて、すみません。私も眠れなくて……」
部屋に入り、少し躊躇いがちに彼の隣に立った。
窓の外には、満月に照らされたショワル村の夜景が広がっていた。
エルフの村はいつも美しいけれど、満月の夜は特別だ。木々が月光を吸収して、銀色に輝いている。
「エルフの村の夜は美しいでしょう? 特に満月の夜は、木々が光を吸い込んで輝くんです」
「ああ、とても静かで穏やかだ。水の都・ヴェネツィアの夜を思い出すよ」
「ヴェネツィア? それは芦名殿の世界の場所なのですか?」
「そうだ。イタリアという国にある水の都だ。任務で立ち寄ったことがある」
彼の言葉に、少し羨ましさを覚えた。彼は色々な世界を見ているのだ。それに比べて私は……。
しばらく沈黙が流れた。私のことを「王女様」と知った芦名殿は、どう接すればいいのか戸惑っているのかもしれない。
「あの、芦名殿…」
「はい?」
「少し散歩しませんか? 村の夜は特別なんです」
思い切って提案してみた。彼と二人きりになるのは、ちょっと緊張するけれど……どうしても彼ともっと話したい気持ちが抑えられなかった。
「ああ、喜んで」
彼の答えに、心臓が小さく跳ねた。
月明かりの下、私たちは村の小道を歩き始めた。
夜のエルフの村は、昼間とはまた違った顔を見せる。
木々の間に吊るされた青く発光する灯りが道を照らし、虫の音と共に何処からともなく流れてくる笛の音が、心に安らぎを与えてくれる。
「この灯りは何だ?」
「精霊ランプといって、エルフが育てる特殊な植物から採れる樹液を使っているんです。精霊の力で何年も光り続けます」
村の精霊ランプの話に熱中するあまり、足元に気を配るのを忘れてしまった。
「わっ!」
小さな水たまりでつまずき、思わずよろめく。
その瞬間、芦名殿が私の腕をつかんだ。彼の手の強さと温もりを同時に感じた。思わず彼と目が合い、耳先が赤く染まるのがわかった。
「す、すみません……普段はこんなことないのですが……」
恥ずかしさのあまり、つい笑ってしまう。
「スイリアでも転ぶことがあるんだな」
「もう、そんなに笑わないでください! 私だって完璧じゃありませんし……」
頬を膨らませながらも、照れくさい気持ちが広がった。
「ただのエルフなら気づいていたのに、人間の血のせいで鈍感になっているのかもしれません」
半分冗談、半分本音で言ってみた。
「それなら俺の責任だな」
彼の予想外の返しに、一瞬驚いたけれど、すぐに笑いが込み上げてきた。
「うふふっ! まさか芦名殿がそんな冗談を言うなんて」
硬派な印象の彼が、こんな風に冗談を言うなんて意外だった。でも、嬉しい意外さだった。
村の小さな広場にやってきた私たちは、ベンチに腰を下ろした。
懐から小さな布包みを取り出して差し出す。
「少し甘いものをどうぞ。エルフ特製のお菓子です」
「ありがとう」
芦名殿が一口噛むと、彼の顔に驚きの表情が広がった。
「これは……うまい! なんという菓子だ?」
「エルフクリスタルといいます。特殊な木の実から作られていて、月の光を浴びると味が変わるんですよ」
彼が素直に驚いてくれることが、なぜかとても嬉しかった。
夜空を見上げながら、少しずつ心の壁が溶けていくのを感じる。
「芦名殿は……軍人として、どんな経験をされたのですか?」
「俺は海軍の駆逐艦の艦長だった。大海を渡り、時に戦い、時に守る任務に就いていた」
「船の……長? それはどんな責任があるのですか?」
「乗組員全員の命を預かり、任務を遂行する責任だ。決して軽いものではない」
「それは王族の責任と似ていますね……」
思わず遠い目をしてしまった。
「王族としての生まれに悩んでいるようだな」
彼の鋭い洞察に、思わず息を呑む。
「そんなに分かりやすいですか?」
「ああ。君の瞳を見れば分かる。生まれた位置に苦しんでいる人の目は、どこか影を宿しているものだ」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。誰にも見透かされないよう隠してきた気持ちを、彼は一目で見抜いたのだ。
しばらく黙っていたが、勇気を出して言った。
「……私は逃げ出したんです。王宮での生活を」
「なぜだ?」
「ハーフエルフである私は、どちらの国でも完全に受け入れられなかった。人間の国では『耳が長い変わり者』と、エルフの国では『血が穢れている』と……」
封印していた記憶が溢れ出す。
「それに、政争の道具として使われそうになって……。医術を学ぶ口実で、この地に逃げ出してきたんです」
「なるほど」
彼は月を見上げながら言った。その横顔は凛々しく、どこか儚さも帯びていた。
「生まれや立場は変えられないが、自分の生き方は選べる。君が選んだ道は間違っていない」
その言葉が心に染みる。
「芦名殿も……何かから逃げているのですか?」
「いや、俺は逃げてはいない。だが、同時に帰るべき場所もない」
「戦場で……仲間を失ったと聞きました」
「ああ。艦長として守れなかった者が大勢いる。その責任は今も背負っている」
彼の言葉に深い痛みを感じた。そっと手を伸ばし、彼の握り拳に触れた。
「でも、あなたはここで新たな使命を見つけましたね。陽菜さんを助け、この世界の問題を解決するという」
「それが俺のケジメのつけ方かもしれないな」
私は小さく笑った。
「何かおかしいか?」
「いいえ。芦名殿が強さの中に優しさを持っていることが嬉しいだけです」
彼の瞳に映る星空を見つめながら、私の心は決めていた。この人のために何かできることがあるなら、力を貸したい。それが「運命」なのかもしれない。
帰り道、リスが突然飛び出してきて、私は思わず悲鳴を上げた。
「きゃっ!」
驚いて芦名殿にしがみついた私は、すぐに我に返って赤面した。
「も、もう……恥ずかしい」
「王女様でも、びっくりすることはあるんだな」
「だ、だって突然でしたから! それに今日はただのスイリアですから!」
彼は軽く笑った。その笑顔がとても素敵で、見とれてしまった。
宿の入り口に着いたとき、私は突然勇気を出して質問した。
「あの……一つだけ」
「なんだ?」
「芦名殿は、ハーフエルフをどう思いますか?」
彼の答えを待つ間、心臓は早鐘のように鳴っていた。
「君はただの『ハーフエルフ』などではない。スイリアという一人の優れた魔法使いであり医者だ。それ以上でも以下でもない」
その言葉に、心の奥が温かくなった。思わず微笑みが広がる。
「ありがとう……それが聞きたかったんです」
部屋に戻る前、廊下で私たちは別れた。
「おやすみなさい、芦名殿。今日はありがとうございました」
「おやすみ。明日は早いからしっかり休むといい」
深々と頭を下げると、自分の部屋へ向かった。
部屋のベッドに横たわりながら、今夜の出来事をすべて思い返す。
「芦名殿……」
なぜか彼の名前を呟くと、胸が熱くなった。
こんな感情は初めてだ。苦しいような、でも同時に温かいような……。
明日の旅に思いを馳せながら、私はようやく眠りについた。
夢の中でも、彼の優しい笑顔が浮かんでいた。